かつて学生時代にアメリカを3ヵ月ほどヒョロヒョロと旅行したことがある。
が、最近『アメリカ50州を読む地図』(浅井信雄著、新潮文庫)を読んで、当時のことをかなり忘れてしまっていることに自分で驚いた。
「思い出は心に焼き付けるものだ」主義を気取っていた俺はカメラを持たずに出かけ、オミヤゲも何一つ買わなかったから、その旅行の記念や記録はナーンモ残っていない。
たしか20州くらいはまわったように思うのだが、行った州さえ正確に思い出せない。自称地理オタクとしてはショックだのう。
あと10年もすると、さらに確実に記憶はとぎれとぎれとなるに違いない。
そこでこの機にこの本にならい、記憶のある州について、アイウエオ順に一言ずつ記しておくことにした。わが栄光の軌跡をすべて開陳だ。(*印の州は友人同行)
オクラホマ州
旅の中盤に立ち寄った。まっ平らな平原の続く、乾燥した州。
オクラホマシティの長距離バス乗り場で、大きく胸の開いたブラウスを着た巨乳のヒスパニック美女がいて、一瞬目がクギヅケになった。
そのあとトイレへ 行って小用を足していたら、隣の小便器に2メートルくらいある黒人の男が来て、小便しつつニヤニヤしながら「ユー、サッキアノムネ、ミテタダロ? スゲエヨナ」みたいなことを話しかけてきた。
こんなとこでそんなこと話しかけるな、このアメリカ人が。
それ以外の記憶なし。
オレゴン州
旅の終盤、最大の都市ポートランド(ほとんど記憶なし)と、太平洋に面したクースベイという小さな町に行った。雨の多い、緑豊かな州。
クースベイでは ユースホステルに泊まり、ブルース・マクファドンというカナダ人と知り合って、翌日いっしょに町のみどころをまわった。でも、どんなところへ行ったかは覚えていない。池のアヒルを見て「みにくいアヒルの子」の話をしたのと、カナダ人作家ファーレイ・モウワットの話をしたのだけ覚えている。
3ヵ月目になると ヒアリングはそこそこできるようになっとったんだな。
カリフォルニア州*
ロサンゼルスとサンフランシスコ、あわせて17日ほどいた。
ロサンゼルスには日本からの到着時に5日間くらいと、帰国前に1週間ほど。
到着した時は友人数人と一緒だった。その日のうちにハリウッドに行き、すぐにトリプルエックスを観に行こうということになった。
映画館に入ろうとする と、受付の黒人係員が僕たちに向かって何かをわめいている。何を言ってるのかわからない。一緒にいたやつが「なんかゲイブって聞こえるぞ。カネを払えっちゅうことか?」と言うのでさらに耳をこらしてよく聞くうち、受付の黒人係員の言わんとしていることが突然ハタと判明した。
彼は「ゲイフィルム!」と我々に繰り返していたのだ。明らかにオノボリサンの日本人学生に対して、「それでいいのか?」と確認してくれているのだった。親切な係員だった。
もちろんそこはヤメてヘテロ映画にした。
その後、ディズニーランドやサンタモニカに行った。
帰国前の1週間は一人だったが、もう金がなくて、ヒスパニックの多い治安最悪地区のホテルに泊まっていた。毎日何をして過ごしていたのか記憶がない。
そこではよく銃声を聞いた。
同じホテルに泊まっていた長期滞在の日本人の若者たちがコックリさんをやっていて、バイクでアメリカ横断をする予定のやつがコックリさんに憑依されてしまった。
サンフランシスコではアデレードインという小奇麗でアットホームなプチホテルに泊まり、毎日フィッシャーマンズワーフへ通った。金門橋やUCバークレーへも行った。
ケンタッキー州*
ブルーグラス音楽のフェスティバルをまわるツアーに参加し、ビルモンローやラルフスタンレーなどを見た。スタンレーの演奏が始まった瞬間、どういうわけか思いっきり泣いてしまった。
その後、友人2人とレンタカーを借りてアパラチア山中を1週間ほどドライブしたとき、この州のピッパ・パセズという超ど田舎のユースホステルに泊まった。たしか1泊2〜3ドルだったように思う。ユースといってもただの民宿。
その宿には他に泊り客はなく、日本人が珍しいのか、その宿の小学生の男の子が俺たちの部屋にずっと入り浸っていた。
コロラド州
「かんとりーろー、ていくみーほー」とジョン・デンバーが歌うのどかな世界を想像して行ったデンバーは、やたら近代的な都市で、斬新なデザインのビルがバンバン建っていた。
あと、ロッキー山中の世界最大の露天風呂、ホットスプリングスに行ったが、ただの巨大な四角い温水プール。死んだ虫がいっぱい浮いており、情緒ゼロだった。
ジョージア州*
アトランタのバス待合所で、老婆に「カネくれ」と単刀直入に言われ、単刀直入に断った。
テキサス州
サンアントニオとエルパソで2日ずつ滞在。
サンアントニオに長距離バスが着いて待合所の下りエスカレーターに乗ると、降り口の両側にヒスパニック系の子どもたちが20人くらいズラリと並んで、エスカレーターを降りてくる人を待ちうけている。何のお出迎えかと思うと、みんな手に「ハングリー」と書いた紙片を持っている。その差し出された何十本もの手をかいくぐって外へ。
街に出て、アラモ砦と、パセオ・デル・リオという小川沿いの小道を歩く。パセオ・デル・リオは素敵なお店やカフェなどが並んでいる非常に雰囲気のいい散歩道で、「ウーム、新婚旅行でまた来たいなあ〜」と思った。
エルパソは街全体がほとんどメキシコ。メキシコ女性には日本人ぽい顔立ちの超美人がゴロゴロいることにいたく感動した。スペイン語ができたなら、「みんな日本に来いよ、スターになれるぞ〜」と声をかけてまわったかも、まじで。
そうだ、つんくに頼んで「メキシカン娘。」はどうか。
テネシー州*
音楽の都・ナッシュビルでカントリー音楽を聞き、東部のアパラチア山脈地域はレンタカーでドライブ。
さびれた印象の州だった。
ニューメキシコ州
砂漠の州。宮沢りえ写真集で有名なサンタフェに2日ほど滞在。赤土でできたインディアンぽい美術品や土産物屋が軒を並べる、おしゃれな観光地。でも何一つ買わない俺であった。
バスで移動中、砂漠で竜巻を見た。
ニューヨーク州*
ナイアガラの滝を見に行ったが、どうってことなかった(当時の印象)。
バッファローのバス待合所のトイレで大便していると、ドアをバンバン叩く者がいる。「ゲラウ!」と叫んでいるので、「ノウ! ホワーイ!」と怒鳴り返すと、巨漢の黒人がドアをよじ登って上から顔を覗かせ、こん棒で殴りかかってくる。
こっちは大便中。冗談やないで、こりゃ命かカネかどっちかとられるな、と覚悟を決めて大便を中断し、ズボンをはいて外へ出ると、黒人大男はガードマンのバッジをつけていた。
俺と同じように隣の大便用個室に入っていた白人男性も引きずり出され、いっしょに保安室に連れて行かれて取調べを受けた。
どうやら、隣の白人が個室でヤクか何かをしていたらしく、俺は仲間と疑われたようだった。白人はガードマンに「ユー、ゲイ?」と聞かれて「イエッサー」と答えていた。
結局、パスポートを見せただけで疑いが晴れて釈放されたのだが、それにしても無実の人間を大便中にトイレから叩き出しておいて、ごめんの一言もなしかよ。トイレから出るときに格闘したら射殺されたのかもしれん。恐ろしい国だ。
ニューヨーク市には1日だけ滞在した。かの有名なYMCAに宿泊。落書きだらけの地下鉄にも乗った。
バージニア州*
西部のアパラチア山脈には、ブルーリッジ・ハイウェイという、信州のビーナスラインを延々と長くしたような快適な道が続いている。そこをレンタカーで数日間走った。
この地域はアメリカ白人社会の最貧困地域。裸足の子もかなりいた。
2日がかりで、カーター・スタンレーというブルーグラス歌手の墓を訪ねた。緑の丘の頂上に墓石があり、どういうわけかそのまわりを1頭の白馬がぐるぐる回っていた。
フロリダ州*
デイトナビーチという大西洋に面したリゾート地で数日泳ぐ。やしの木陰でギターを弾いたり。
レストランでは、当時まだ日本になかったサラダバーに興奮し、料理が来る前に腹がパンパンになるまで野菜ばかり食いまくった。
ミズーリ州
セントルイスとカンザスシティに2日くらいずつ滞在。
セントルイス、とにかく暑かった。ミシシッピ河畔にそびえるゲートウェイ・アーチという巨大なアーチ周辺の芝生公園で昼寝したが、焼け死ぬかと思った。
カンザスシティはミズーリ州とカンザス州にまたがっているが、俺が行ったのはたぶんミズーリのほうだったと思う。例によって「ザ・チーペストホテル」に泊まっていたせいかもしれないが、とにかく何もないさびれた街だった。
ホテルのロビーのテレビでみんな大リーグを見ていて、試合がロイヤルズの勝利に終わると、マネジャーがわざわざ俺のところまで嬉しそうに「カンザスシティ、ウォン!」と報告しにきた。
モンタナ州
山また山のほかに記憶なし。
ユタ州
ソルトレークシティ、気持ち悪いほど小奇麗なモルモン教の総本山。人間味ゼロの退屈な街だった。
ルイジアナ州
ニューオーリンズに数日滞在。観光地区フレンチクォーターでは生ガキに舌つづみをうち、プリザベーションホールでジャズを聞く。
が、例によって宿泊は治安最悪地区のザ・チーペスト宿舎で、宿から一歩出ると生きた心地がしなかった。だって、すさみきった街角の飲み屋にはボロボロの黒人男たちが文字通りあふれかえっていて(中に入りきれずに外に立ってラッパ飲みしている)、前を俺みたいなよそ者が通ると、何かをわめきながら追いかけてくるんだもん。
観光地区とその他の貧困地区の差がやたら極端な街だった。
ワイオミング州
「シェーン、カンバーック」の背景の山として有名なグランドテトン国立公園と、世界最初の国立公園イエローストーンに行った。
グランドテトンはたいへんに美しい山。麓のモーテルに部屋をとってくつろいでいると、ノックの音が。開けてみると白人の美女だった。「ハンバーガーパーティーをやってるから来ないか。ギターも持ってこい」と言う。
隣接のオーナー家のリビングに案内されると、7〜8人が盛り上がっていた。タダで飲み食いしまくりながらみんなで歌う。「ジャパニーズ・フォークソングをやってくれ」と言われたが、残念ながらこのころ俺は日本の民謡など一曲も歌えなかった。
イエローストーンでは、地獄めぐりをし、すてきなロッジに宿泊。ていうか国立公園だからして俺の好きな貧困地区やら安ホテルが存在しないのだな。
バスで移動中に野生のムースやバッファローも見た。
ワシントン州
シアトルに数日滞在。
港のマーケットで潮風を浴びながら、目を上げると氷河を抱いたレーニア山が見えるという贅沢な景観。アジア人も多く、リラックスできるいい街だった。アメリカで住むならここだな。
ワシントンDC*
数日滞在。ホワイトハウス周辺をウロチョロし、くそ広いスミソニアン博物館をウロチョロした。
・・・ほかにも行ったかもしれないが、あとは忘れた。わが青春の記憶、これで全部。こうやって書いとけばこれ以上の記憶喪失は予防できるだろう。
あ、そうそう、おみやげは何も買わなかったと書いたが、ただ一つだけ、若き日の俺は下宿や音楽の仲間を喜ばせたい一心で、彼らが最も喜ぶはずの書物(いわゆるひとつのノーカット写真集)をどこかのアダルト書店にて1冊購入したのだった。
その貴重なる書物をリュックの底にしのばせて帰国の途についたのだが、輝かしくわが祖国の土を踏んだ瞬間、無情にも唯一のスーベニアは税関の荷物検査官に没収されてしまったことを今、思い出した。
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