チャンピオン


 そのとき俺の脳は「チャンピオン」に壊されかけていた。

 あまりの晴天に我慢ならず、仕事をダッシュで切り上げて午後2時すぎから六甲山系をうろついた。そして夕方に下山し、いつものように水道筋灘温泉で1時間以上くつろいだが、その水風呂に入っているとき、ふいに「チャンピオン」が俺の脳内に降臨したのだ。

 じつを言うと、ここ数日ずっと、俺の脳は「チャンピオン」に支配されていた。

 きっかけは数日前。
 大阪のどこかの店で昼飯を食っているとき、その店のBGMで流れてきたのが「チャンピオン」だった。
 「チャンピオン」は言うまでもなくアリスの往年のヒット曲だが、耳にするのは20年ぶりくらいだろう。

 俺は外食時にはたいてい本を読んでいる。その日も古代史関係の文庫本を開いており、BGMなどほとんど耳に入っていなかったはずだ。
 しかしこの曲が流れてきたとたん、俺の耳はそのBGMにクギヅケになった。

 昔は普通だったが今思えばスゴイ、というようなものにはたまに出くわす。この「チャンピオン」はまさにそれだ。
 なんという曲なんだ。ここまで大げさ、いや、ドラマチックな歌だったとは。

 まず時代劇+狂言師+暴力団を3で割ったような、ドスの利いた谷村新司の歌唱がすごい。そこにハスキーな堀内孝雄の声がかぶさって、ユニゾン部分では地獄の雄叫びのような、そしてサビでは背筋が寒くなるほど濃厚なハーモニーがこだまする。

 また、歌詞の譜割が完璧だ。最近の歌はラップのみならずどれも洋楽メロディーに日本語を乗せるために、単語や文章の本来の区切りが破壊されていて、字幕が出ないと何を言ってるのかわからないものが多い。
 しかし「チャンピオン」は、日本語を学ぶ外国人にテキストとして聞かせたいほどの完璧な日本語となっている。

 わずか ばかりの 意識の中で
 君は 何を 考えたのか

 アップテンポでありながら、ほとんど単語ごとに切れ目がある。見事というほかない。
 歌詞の内容がまたすごい。

 
立たないで もうそれで十分だ
 おお神よ 彼を 救いたまえ!


 お前はいったい何教の信者なのか。
 ラストがまたいい。

 
ロッカー ルームの ベンチできみは
 切れた くちびるで そっとつぶやいた

 you're King of Kings.(オカマのつぶやき)
 あー(谷村の吐息)

 ここからだここからがすさまじい。いったん終わりかと思わせながら不死鳥のようにボルテージが蘇って最高潮に達する。

 帰れるんだ これでただの男に
 帰れるんだ 
これで、 (シンバルじゃーん)
か・え・れ・
〜んだぁぁ〜〜〜ぉおおおおおおーーーーー、らーいららーいららーいららーいららーい、らーいららーいららーいららーいららーい、らーいららーいららーいららーいららーいららーーーい・・・!


 彼らがこれをシラフでやっていること自体に無条件で感動せざるをえない。もう降参、お手上げだ。
 それ以来、隙あらばこの「チャンピオン」が俺の脳内BGMとしてダイナミックに鳴り響き、俺の口を借りて勝手に歌いだす状態が続いていた。

 そして昨日、山を歩いている時は忘れていたこの歌が、銭湯の水風呂で身を引き締めたとたんにまた鳴り響きはじめた。
 この歌は何度繰り返しても色褪せない。そして俺を困惑させる。帽子を目深にかぶって禿頭を隠しながらこの大げさな歌を歌う谷村の顔を思い起こすだけで俺の顔面は変形し、我慢できない爆発的な笑いがアッパーカットのようにこみ上げてくる。
 他人のいる場所で思い出すのは危険な歌なのだ。

 前置きが長くなったが、話はここからだ。

 水風呂で思い出された「チャンピオン」は風呂から出ても俺の脳内を占領し、体を拭き服を着て靴を履いても、さらに夜道を歩いてJR六甲道駅に着いても、まだ俺の顔面を歪め、小さく痙攣させ続けていた。俺はおそらく、口の中で小さく歌い続けていたはずだ。ドスの利いた谷村の声まねで。
 俺は駅のホームにいる多くの人の前で自分の精神力が破綻を来たさないよう、必死で「チャンピオン」と闘っていた。
 そのため、俺の頭は余裕ゼロの状態だった。

 やがて電車は来た。俺の前に止まった車両は意外にも空いていた。
 俺は「チャンピオン」とともに電車に乗り、空いていた席に座った。

 やがて リングと 拍手の渦が
 一人の 男を 飲み込んでいった〜
 You're King of Kings.
 (チャラッ)

 だめだ、やばい。顔面のニヤつきを必死で抑え、俺は周囲をすばやく見回す。正面には若い女性が座っている。その隣はおばさんだ。絶対にこんなところで歌ってはダメだし吹き出してもダメだ。
 横を見た。女子高の制服だ。反対側はOL・・・

 「チャンピオン」に支配された俺の腐れ脳も、ようやくここでピンときた。すばやく目をドア横の黄緑色のステッカーに走らせ、「女性専用車両 平日午後5時〜9時」の時刻を確認する。うは、モロです・・・。

 真っ先に思ったことは、「気づかなければよかった」だった。気づかなければ苦しまずに済んだ。
 瞬間的に頭をうなだれ、寝たふりをする。
 いやしかし、さっきまで周囲を見てたくせにいきなり寝たフリをするのは、「私は今この瞬間ここが女性専用車両であることに気づいたオバカサンです」と言っているに等しいのではないか。
 女性専用車両に乗ってしまったことに気づかない無神経な男よりも、気づいてドギマギしてる小心な男のほうがよっぽど恥ずかしい。

 寝たふりをするのはやめ、疲れてうつむいている男のフリに切り替える。
 そして薄目で自分の格好をチェックする。最も恐ろしいのは「わざと女性専用車両に乗る変態」と思われることだ。ドロドロの登山靴。風呂上りでバサバサの髪。そして胸に「島らっきょう」、背中に「ガチマヤ〜」と書かれた変なTシャツ・・・。

 ・・・なんでこんなTシャツ着てるんだよぅ〜。

 2分で着くはずの住吉駅は、永遠に遠ざかる。

 おお神よ 彼を 救いたまえ・・・。

(2006年10月の日誌より)

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