そのとき俺は、冷たい夜道を独りで歩いていた。
深夜0時をまわっていた。上着のジッパーをいちばん上まで上げても、冷気が襟元から忍び込んでくる。
それでも俺は寒さを感じなかった。頭の中は「岩窟の聖母」に支配されていた。そう、俺は久しぶりに夢中になれる本に出会ったのだ。
ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』。帰りの電車で読んだくだりは特に印象的だった。
ルーブル美術館でモナ・リザの向かいに展示されているダ・ヴィンチの絵「岩窟の聖母」は、イエスに祝福を与えようとするヨハネに対し、聖母マリアがなぜか威嚇するようにヨハネの頭上に手をかざしているという。その手はまるで頭をわしづかみにするかのような鉤爪の形をしているらしい。さらに奇怪なことに、そこへ横から大天使ウリエルが手を伸ばし、マリアがつかんだ見えない頭部を喉元から掻き切るような仕草をしているという。
あまりの奇怪さに、当時この絵をダ・ヴィンチに発注したキリスト教団は猛然と反発し、ダ・ヴィンチは同じテーマで別の絵を書き直さざるをえなくなった。この絵はその後も現在に至るまでさまざまな論議を呼んでいるらしい。『ダ・ヴィンチ・コード』は、ダ・ヴィンチが異教の秘密結社に所属していたという事実を軸に展開される、高度に練られたミステリーだ。
それにしても「岩窟の聖母」とは、いったいどんな絵なのか。俺の貧弱な脳はその絵の構図を想像することで手一杯だった。
あと1分たらずで家に帰り着く頃、俺の背後から1台の原付バイクが近づき、追い越していった。
そのとき俺の数メートル前には、1台の自転車が走っていたらしい。「岩窟の聖母」に心を占領されていた俺は、事件が起きるまでその自転車には気がついていなかった。
その瞬間、深夜の街に尋常ならざる女の叫び声が響いた。
ハッとして前を向くと、俺を追い越した原付バイクが前の自転車から何かを奪って離れていくところだった。バイクには若い男が2人乗りしていた。
自転車をこいでいた若い女はバイクに手を伸ばしたが、どんどん離れていくと見るや両手でハンドルを強く握り直し、悲鳴とも叫び声ともつかぬ高い声をきれぎれに発しながら、猛然と原付バイクを追いかけてペダルを踏み始めた。
ひったくりだ。
とっさに俺も追いかけようと足を地面から浮かしかけたが、そのときすでに原付バイクはみるみる遠ざかり、女の自転車も猛スピードで遠ざかっていくところだった。とても追いつけない。
しかし被害に遭った若い女が、勝ち目のない競争に必死で挑んでいる。これを放置できようか。いやしかし、ではどうすればいいのか。
やがてバイクは交差点で左折し、自転車もそのあとを追って消えて行った。そのまま300mも行けば岡本の交番がある。バイクに置き去りにされた女は、おそらく泣きながらその交番へ駆け込むことだろう。
そこへ俺みたいな赤の他人がノコノコ現れて、いったい何になる?
俺はそんなことを考えつつ、結局なにごともなかったかのように家へ帰った。
帰ってから、「事件を目撃してすぐケータイで110番し、今そちらの交番前に犯人と被害者が現れるから捕まえてくれと言うべきだった」ことに気づいた。
その後、不快感は数時間続いた。
ひったくり現場に遭遇しながら何もできなかった俺自身にも腹が立ったが、それ以上に犯行のセコさに苛立った。
若い女はおそらく前カゴにバッグを入れていたのだろう。彼女にとって大切なものがいろいろ入っていたに違いない。ささやかな庶民の、ささやかな宝物。それを野郎がバイク2人乗りで掠め取るというセコさ、小ささ。
男ならモナ・リザでも盗んでみろ! ヨハネの喉元でも掻き切ってみろ!
みなさん。自転車のカゴに大事なものを入れるのは絶対にやめましょう。
(2005年2月の日誌より)
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