『ぼくが父であるために』へ「さいろ社の本」へホームへ

『ぼくが父であるために』
読者の声


男はかくも美しく・・・/チェミー/2002.4.2

一気に読み終えました。女はたいした努力もなく母親になれます。父親になるために男はかくも美しく変化するのか。もちろん潜在していた感性が子どもによってよびさまされるということなのですが・・・。
こんなふうに父親になれたあなたをほんとうらやましく思ったほどです。素晴らしいメッセージを有難うございました。

私の周りでこのところいくつかの離婚話を耳にします。珍しくないというのが偽らざる実感です。社会通念が緩やかになってきたことや夫婦が個人対個人の関係で成立し始めてきたことの現われかもしれません。

私達夫婦のことを考えて、感じ入ることもありました。

『ぼくが父であるために』へ「さいろ社の本」へホームへ


しおりはトイレ用/さいわい/2002.1.22

夜、一気に読ませていただきました。
しおりはトイレに立ったときに使っただけです。
やはり私も男児の親だからか、子どもとのかかわりの部分では共感するところだらけでした。
松本さんが丘くんやまりもちゃんを愛しく思う気持ちは、きっとどの親も同じなんじゃないかと思いました。また、みんなそうであってほしいとも思いました。

『ぼくが父であるために』へ「さいろ社の本」へホームへ


自分の子から一人の人間へ/とちくん/2002.1.18

この本を読んで思ったのは、「言葉が身体に溶けてくる感じ」ということでした。
丘くんとのエピソードがごく自然に伝わってくる。
情景がすごく、すごく頭の中に広がるんです。
その時の空の色、まわりの景色、風、におい、二人のココロ。
そのすべてがどんどん自分の身体と一体化していくんです。

本の中の松本さんは松本さんだけど、そこにはたくさんの「自分」もいました。

目頭が熱くなることが何度もありました。
坂本弁護士事件の引用の部分では、思わず涙が出てきてしまいました。
また、二人のほんとに幸せいっぱいなエピソードを読んだときも思わず涙が・・・。

そして、「自分もやはり父親であること」を再認識させられました。

当たり前だけど、子どもが生まれたら父親なんですよね。
なんだか、そうなんだけど、不思議というか。
そして、その子を愛してしまう。子どもは愛されるように生まれてくる。
最近、なぜ子どもは可愛いのか、考えるんですけどよくわからない。
でも、身体からすごいオーラが出ていて「愛さずにはいられない」。
あのパワーはすごい。

それでも、子どもが大きくなるにつれ、自分の子という感覚から一人の人間として変貌していく、そう認識させられる一冊でした。
(ただ愛らしく、まぶしい時代から、社会へ交わっていく・・・)

文章の表現が常に、客観的におさえられていて、その距離感がとてもいいと思いました。
ラストのほうだけ、やや感情的な部分?もありましたが、それだけ心の葛藤があったということなのだと思います。

結婚という価値観が変わってきていることは事実ですね。
まわりにも、一緒に住んでいるけれど、籍は入れていない2人がいます。
互いに働いていると、その距離感が必要な時もあるのかな、とも思います。
その少しの遠慮・配慮が長くつき合っていく秘訣なのかもしれません。

『ぼくが父であるために』へ「さいろ社の本」へホームへ

たぶん松本さんとほぼ同じことを/マーリン/2001.11.25

第一章「春風の発見」でもう涙です。
私も子どもを持つことなんか嫌でした。
子どもがどんな存在なのか知らなかったし、想像するなんてまったく無理でした。

でも、子どもとの時間にたぶん松本さんとほぼ同じことを・・・ずっと感じ続けています。そういう人は多いでしょうね。

うちは13歳と11歳になりました。女の子です。
幼子の時代はあっという間に過ぎました。
あと5、6年もすれば、この子たちは飛び立ってずっと遠くに去ってゆく。
日々、そのことを思いながら暮らしています。

ともかく、大切に読ませていただきます。
子どもたちにも読ませたい。

『ぼくが父であるために』へ「さいろ社の本」へホームへ

たった一つの不満は・・・/タカシ/2001.11.22

 とても面白かったです。

 色々と考えさせられたりもし、また、地震の時の自分はどうだったのか、と思い出したりしました。
 凄く大きな出来事で、当たり前だけれど、一人一人にとっても、とても大きな事だったんだなあ、と改めて思いました。
 丘くんのこと、丘くんを守ろうとした松本さん夫婦のこと、とても身にしみました。

 体罰に関して、世間の価値観の押しつけについて、いちいちうなずけます。

 自分に子どもができて思ったのは、とにかくいつも一緒に居てやろう、ということでした。
 自分は両親が離婚し、片親で育ちました。子供やってる時は全然気にならなかったけど、思い出に父親が居なくて、それが今、少し寂しいですね。だから、たっぷり一緒に居てやろう、とそれだけ考えています。
 子供ができると、それまでの楽しみよりも大きな楽しみができる、というのと同じように、離婚については、イーブンなら避けたい、と思っていましたが、松本さんのような形が取れるなら、本当に結婚とか離婚とか、全く関係ないなあ、と思いました。

 周りにわかりやすいように行動する、というのが大人の社会人でしょうけれど、そうした社会が別に何を与えてくれるという訳でもありませんからね。

 あっ、与えてくれるものもありました。大阪では新婚世帯補助があります。これを貰いおわるまでは離婚はせんとこう、というのが目下の目標ではあります。
 なんていうと、離婚間近か、てな感じですが、全然そんなことはないんですけれどね。

 うーむ、ついつい自分に引き寄せて考えてしまいます。引き寄せついでに、やっぱり自分も簡単でいいから育児日記を付けておこう、と思いました。
 どんどんどんどん大きくなっていって、それはそれで嬉しいんだけど、その時その時に色々考えたこととか、少し思い出して、残しておいてもいいかな、と。

 お前が居るから別れられなかった、と言われることを考えると、結婚という形にこだわらない松本さんの生き方は、丘くんにとっても、とても大きな財産になると思います。

 たった一つの不満は、もっともっとたくさん読みたかった、ということでしょうか。
 まあでもこれは、ホームページを期待しましょう。
 それから、雑誌創刊の時の苦労とか、エピソードとか、このあたりのことも読んでみたいですね。

『ぼくが父であるために』へ「さいろ社の本」へホームへ

ぼくには、こんな経験はあったのだろうか/黒猫/2001.11.18

午前3時から読み始めたら、文体のノリと感性の瑞々しさに惹きつけられて、一挙に読了しました。

しかし丘クンは、よい親に巡り合わせた幸せ者ですね。
それは、貴兄とあなたのお母さんとの組合せ以上かもしれないです。
子どもは親を選べないが、村瀬学さんが言うように13歳になって関係をリセットするのはいいアイディアかも知れないね。
それは夫婦という関係を開放=解放することにも通底してゆくでしょう。
鶴見俊輔は、昔々、「サークル夫婦」という出入り自由な夫婦像を提唱したことがあります。
いまのあなた達の家族が、それに近いのかも知れないな。

また地縁関係での子育てというのは、ぼくらの小さい頃(郷里は松山市ですが)は、まだ多少なりとも成立していたように思います。
ぼくらの小学生の頃は、夕方から夜半にかけて道端で町内の大人たちも混ざって草野球まがいのことなど行われていたり、お互いの家庭を行き来していましたからね。

それからこれは貴兄の資質でもあるのでしょうが、観念からではなく微細な経験を掘り下げながら、思想を形成する態度も好ましいです。
11頁の最後の4行は、美しい光景ですね。
ぼくには、こんな経験はあったのだろうか。

丘クンが大きくなって、この本を読み返したときの感動が、いっそうかれを勇気づけるんじゃないのかなぁ。
そのとき「しっかりーっ!」の声援が、かれにも届いているでしょう。

『ぼくが父であるために』へ「さいろ社の本」へホームへ