看護婦と勇気さいろ社の本ホーム
『看護婦と勇気』の紹介記事

看護婦 悩み苦しみ闘い
(1998.4.14 朝日新聞)

 看護婦が医療現場を素直に語った1冊の本に、反響が広がっている。ほとんどの人が実名で登場し、自らの医療ミスについて勇気を出して「告白」した看護婦もいる。出版社には「看護婦は何のために、何をするべきか、考えさせられた」と投書が寄せられ、看護系の大学や専門学校の中には教材として使うところも出てきている。(社会部・杉林浩典)

 タイトルは『看護婦と勇気―医療問題と出会うとき』。医療と福祉関係の月刊誌を発行する「さいろ社」(大阪府茨木市)が昨夏、発刊した。取材には、同社編集長の松本康治さん(35)らスタッフ四人があたった。本には計十五人の看護婦が登場する。

●人間として

 神戸市内の病院に勤める長束真砂子さんはは、自分のミスについて語っている。五年前、重い心臓病の乳児に、医師の指示の十倍の量の心臓疾患薬を投与した。気づいて医師に知らせたが、乳児は翌日、死亡した。
 病院側は乳児の病状がもともと悪く、ミスが直接の死因ではないとして、乳児の家族に「病状悪化による死亡」とだけしか話さなかった。長束さんもその場で、自分のミスを切り出すことができなかった。
 自責の念に苦しんだ長束さんは事故から十日ほど後に、乳児の家族を訪ね、事実を告白した。家族は「(事実を)言えずに、つらかったでしょう」と励ましてくれたという。
 長束さんは「謝罪しても何の解決にもなりません。でも、過ちの責任を自分でとったことで、病院の手足ではなく、1人の人間としての看護婦に戻れた気がしました」と振り返る。

●泊まり込み

 阪神大震災をきっかけに兵庫県宝塚市の市立病院を辞め、神戸市西区の仮設住宅でボランティアを続ける黒田裕子さんも登場する。
 いまも、神戸市内に泊まり込んで、お年寄りや障害者の看護や介護をしている。食事指導や医療相談から、掃除や買い物の手伝いまで、仕事の幅は広い。十人の仲間と分担しながら続けている。
 現在仮設住宅に残った人の九割は六十歳以上のお年寄りや障害者だ。最後の一人がいなくなるまで、ボランティアを続けるつもりだ。
 「これまで看護婦として自分を育ててくれたのは患者さんであり、地域の人たちだった。そのお返しができるのは、今しかないと思った」と語る。
 視覚障害を引き起こすクロロキン薬害を受けた患者の投薬記録に関する資料を、病院幹部から提出させた看護婦。薬害エイズやハンセン病の患者の支援活動に取り組む看護婦。さまざまな場所で、悩みながら生きている人たちの姿を、本は描き出している。
 栃木県大田原市にある国際医療福祉大の城ヶ端初子教授(基礎看護学)は、さいろ社の雑誌などでこの本のことを知り、学内で教材にしている。冬休みには、看護学科の学生約二百三十人に「看護婦にとって勇気とは」というテーマでリポートを課した。

●勇気は責任

 ある二年生は「看護婦は医師と患者の間の単なる連絡係ではない。医師と看護婦は、それぞれの役割を果たしながら患者や家族を支えていく必要がある」と書いた。
 アジアから留学している別の学生は「看護婦の勇気という言葉は、『責任』という言葉に置き換えられると思った」と記した。
 城ヶ端教授は「患者の立場に立ち、自分で考える看護婦になってほしいと、日ごろ話している。しかし、実際の医療現場では、病院側に立ってしまう人も少なくない。看護婦のあるべき姿を考えるいい教材になった」と話している。
 神戸市の看護専門学校でも四月から教材として取り上げる予定だ。
 これまでの発行部数は約三千部。さいろ社にも、はがきや電子メールで数十通の感想が寄せられている。「看護婦のプロ根性を見た」「行動を起こす勇気が自分たちに欠けていた」と、看護婦や医師ら医療関係者からの便りがほとんどだ。
 編集長の松本さんは「紹介した看護婦さんは、特別な人ばかりではありません。少しでも開かれた医療にしていくためにも、勇気ある一歩を多くの方に期待しています」と話している。本の問い合わせは、さいろ社。

書評:看護婦と勇気
評者:水野智(名古屋大学医学部附属病院医療情報部)
(『看護展望』98年4月号、メヂカルフレンド社)

 従来より医療問題に関するユニークな書をいくつか刊行して注目を集めてきた大阪の小さな小さな出版社、さいろ社の手によるものである。

「病院」という狭く特異な世界が想定してきた枠組みでは解決できない問題にナースが遭遇した場合、時には「規則」や「病院の方針」に、時には「先生」に、そしてある時には「労働条件」や「専門性」にゲタを預ける形で逃げ場を見出す…というケースが往々にしてみられる。しかし一方で、そんな問題から逃げることなく真正面から向き合った看護職たちもいる。

 「あとがき」で編集者の松本が述べるように、本書は“医療問題”といわれる様々な場面に遭遇し、自らの専門性や職業的自律性、そして自身の人間性を賭し勇気ある決断、勇気ある行動をとったナースたちの10のケースを記したものである。「医療ミスと訴訟」「薬害と難病」「『脳死』臓器移植」「阪神大震災」の4章で構成される。
  「自分にはこれほどの勇気が持てるのか?」「この決断(あるいは行動)は、この場合本当に正しかったのか?」「ナースのこんな当たり前の行動すら困難な今日の医療界とは?」など、様々な思いが頭の中を駆け巡る。“勇気づけられる”というより、いい加減で逃げ腰の日々を送っている者にとってはむしろ“ドーンと心の重たくなる”ような本である。

 初めてこれを読んだのは昨年の秋であったが、この中の2つのケースが妙に私の記憶に残った。
 ひとつは、自分が犯した医療ミス(シゴシンの過剰投与)によって新生児1名を死亡させてしまったベテランナースが、その事故を隠そうとする病院側の態度や後ろめたさに悩んだ末、犯したミスのすべてを自ら明らかにしたというケース。むろん彼女が口を噤んでいさえすれば全く明るみにに出ることのなかった事件、遺族さえも「病状の悪化による死亡」と信じており、彼女の告白で初めて事態の真相を知ったのである。

 なぜ彼女はこんな状況下で敢えて(?)すべてを告白したのか。むろん彼女の良心に負うところが大であることは言うまでもないが…。少なくとも私が彼女の立場なら、それをする勇気は正直言って「ない」。患児や遺族への思いや良心の呵責、そして職場の圧力や職場に与える被害との板挟みに、自ら生命を絶ってしまう可能性はあっても、遺族の面前ですべてを告白する勇気は(卑怯ながら)ない。
 働くひとりの人間が、己の良心と、自らの心の拠りどころである職場との間に苦渋し揺れ動き、そして決断するという過程の重さを改めて思い、正直であること、良心に従うことの難しさ、自分自身の卑怯さ、小心さに深い深いため息をついた。

 2つ目は、阪神大震災の被災地におけるナースの活動に関する一文である。
 被災地の病院に勤務する婦長(37歳)は、地震初日には病院に駆けつけることができず2日目まで避難所や別病院で救援活動を行った。しかし彼女はただただ「病院に行きたかった」という。現地で出会った日赤救護班から「(看護婦なら)ここで働け」 と言われても嫌だったという。道端で死にかけている人の心臓マッサージをしていても、「こんなことをしていたら抜けられなくなる。病院へ行けなくなる」とさえ思ったという。
 極限の状態におかれて初めて見えてくる自己と職場との関係や距離、職場コミットメントとは何か、職場とは何か、仕事仲間とは何か、新鮮な示唆と大いなる問題提起をしてくれた。

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