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【鹿児島県】の激渋銭湯 | ||||||||||||
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竹迫温泉
鹿児島市内の銭湯はほとんどが温泉で、しかも設備などのレベルが高く、多くはビル銭になっている。その中でも珍しくここは瓦屋根に板壁と、昔ながらの味わいを残した温泉銭湯だ。 路面電車の「騎射場」停留所で下りて、北東へ3分ほど歩く。道路に面して間口が広く、前に6~7台の駐車スペースがある。 なんとも素敵な外観 暖簾はなく、男湯と書かれた戸を開けて入る。いきなりタタキに番台があり、バーサンがフネ漕いでいる。 目の前に広がる脱衣所は、外壁に合わせて青く塗られた木の柱に板張り天井などにイニシエ風情が感じられる。でも床はビニール製で、バス停みたいなプラスチックベンチ、ロッカーはアルミと、まあ素朴といえば素朴だが、くつろぎ感はいまいち。 浴室へ。おや、女風呂とは天井まで壁で完全に仕切られたセパレート浴室、これは珍しい。でも空間が広いので圧迫感はない。四角錘天井に四角い湯気抜きが開いている。 中央と横手に大きな湯舟が2つある。中央のはわりに新し目の湯舟で、気泡と電気に仕切られている。40~41度とぬるめで、まずこれに浸かる。うほっ、やわらかい湯だな。 一方、横手にある大きな湯舟は心にキュンとくるようなレトロな逸品、茶色と白の小さな四角タイルが市松状に貼られている。いやー、これ、いいね! 片側に80cmくらいの石塔があり、そこから源泉がドバドバ投入されている。無色透明、さわると47度くらいありそう。湯はジェット2連の勢いで反対側からどんどん溢れ出る。湯舟の湯温は42~43度かな。 その手前にはポリの水風呂があり、さらに無料の乾式サウナもある。これらを順ぐりに何度もまわる。これはメタメタぬくもるぞ。 常連おやじいわく、「ここは湯がいい、市内でこんなに源泉を垂れ流してるのはここだけちゃうか、遠くからも来るよ」(というようなことを鹿児島弁でおっしゃった) 舐めてみると、微妙に塩味。というか人間の体液に近いような、まったりと複雑な味がする。 カラン周りも問題なし。シャワーからも温泉が出る。 張り紙の説明書には「加水」と書いてあるが、レトロ槽のほうはほとんど源泉ママのような感じ。 みんなゆっくり入ってるなあ。椅子や桶はきちんと片付けて上がる人ばかり。俺も1時間ほど堪能した。 ただ、上がりは脱衣所の床がビニールなため、濡れた足裏がベタベタするのが残念。ヒソカに脱衣所の雰囲気を重視する当サイトでは、これで星付きを逸した。 建物やお湯・設備は俺にとって申し分ないだけに、惜しい! (2005.12.6) (追記:2012年に改装されました) (改装後の竹迫温泉、2014年1月) |
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霧島温泉★
市電「高見馬場」から徒歩3分。鹿児島中央駅や天文館からもほど近い、ようするに鹿児島市街の中心部。 そのビルの谷間にアンタ、かわいらし~い昔ながら系の銭湯ちゃんがちょこんといてるやおまへんかー。 (左)昭和レトロな切妻に木の板で屋号あり (右)湯気抜きが縦長 そんなにケナゲな面持ちで俺をじっと見つめないでくれ。照れるやん。すぐに入ってあげるからね。 玄関部分は3段ほど高くなっている。戸を開けるとタタキに木の番台。 そこで湯銭を払うや、おかみさんは「おおきに~」って・・・? なんでも奈良は橿原のご出身だそうだ。 タタキにはフタのない下駄箱があるが、他客もおらんし脱ぎ捨てた。 で脱衣場へ上がると、そこは木の香ただよう正調の郷愁空間。天井の美しさがひときわ目立つ。タタキとの仕切りは障子貼りだ。 なにか京都あたりの銭湯テイストを感じる。ああ、鹿児島にこんな銭湯があったとは。 (左)男女壁上部のアーチカットが泣かせる (右)複雑な構成の天井 でも京都との違い・・・そう、ここは鹿児島、温泉天国なのよね! いざ浴室へ、と・・・! カラフルタイルな極楽空間 うーむぅ~、素敵。とっても。細かなタイル使いがまた京都を思わせる。 奥壁の女性のモザイクタイル画、男女壁のガラスブロックなどがいちいち俺の心の怪しい部分を刺激してきやがるぜ。 さてと、浸かろうか。深浅の中央湯船は奥端に2又の給湯口があり、そこから清澄なる源泉が注ぎ込まれている。 いよいしょお~っとドップリドップリ。おぉ、この湯はまさしく本物温泉、まったりふわふわのツルスベ系、いわゆる美人の湯系統でんがな。あぁ~、ヒフがぁ~ヒフがぁ~ハヒフヘホ~と喜び勇んで嬉し涙を流してやがる。 深いほうにはジェットもあり。このまったりツルスベが背中直撃でハヒフヘホ~。 給湯口のところにはひしゃくが置かれている。飲めとな。飲んだよ。まあるい感触、薄い塩味だ。 手前には無料サウナがある。2段になった乾式の本格派。 そして奥のこれまたタイル使いのニクイ小浴槽は水風呂になっている。この水がまたアンタ、只者やないね。こっちは塩味はないが、湯船の温泉に共通するヤワラカ系が掛け流しだ。 午後2時過ぎ、貸切状態。縦長の湯気抜きから差し込む光、ゆらめく湯。 都心の極楽ここにあり。 上がって聞くと、80年ほど前からやってるそうな。温泉は47度、地下800mから汲み上げているとのこと。カランの湯もすべて温泉だ。 鹿児島ってやつぁあ・・・。(2010.7.2) ※「レトロ銭湯へようこそ西日本版」に掲載されました。 (本書が買える銭湯一覧) |
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甲南湯★ ≪廃業≫
街中銭湯だらけ、しかも「そのほとんどが温泉」であるという温泉キングダム鹿児島。 でも「そのほとんどが」ということは「温泉でない銭湯」もあるっちゅーことね。 あるのよ。1軒だけ。 温泉キングダムにはるばる赴きながら、あえてその温泉でない唯一の銭湯、甲南湯へ颯爽と向かう銭湯クソバカ野郎ここにあり。 初めて行ったのは去年の正月元旦だった。銭湯は元旦休みと決まっておるのだが、南国には珍しい大雪で交通機関がマヒしたため、仕方なく市内散歩がてら見に行った。 そしたらあんた。 (左)2011年1月1日の甲南湯 (右)同 桜島が真っ白になるほど雪が降ったというのに、玄関上からブーゲンビリアがこぼれんばかりに咲き誇っているではないか。 このとき俺の心の何かがほどけたね。あえて言うなら心がソロモン諸島化した。わかるだろうこのトロピカルフィーリング。 入口正面にはこんな小さなタイル絵も 咲き乱れるブーゲンビリアに心をつかまれた俺は、1年半の年月を経て、今度はこの銭湯へ入ることを俺の人生における核心的利益と位置づけて鹿児島まで足を伸ばした。 そしたらば・・・。 (左)あれ? 俺のブーゲンは? (右)き、切られている・・・ うーむ・・・あまりに残念! 暖簾をくぐると番台にばあさんがいたので、いきなり「表の花がなくなってますね!」と苦情を言うことから始めてしまった。 「そうよ。切った。落ち葉がバラバラ落ちてすごいでな」 ぶしつけな俺にばあさんは嫌な顔もせず、やさしく教えてくれた。 ここでようやく落ち着きを取り戻した俺は周囲を見た。 タタキからいきなり板張りの脱衣所へと続くオールドファッションな懐古空間だ。洗濯機や金魚の水槽などもあって、常連との家庭的密着度をモロに物語る。 (左)タタキと下駄箱、番台、ばあさん (右)脱衣場から浴室方面 裸になって浴室へ入ったとたん、俺は大声で「し・び・れ・るーーーーー!」と叫んでしまった。心の中での話だが。 まあとにかく写真を見てよ。 (左)富士山のタイル絵だ! (右)かかり湯まんまる! (左)主湯もほぼ円形、奥に入浴剤入りデンキ風呂 (右)水風呂も丸い! けっこう広々とした昔ながらの四角い浴室。だがそこに配された湯船の位置と形状が、風呂慣れした俺の三半規管をこれでもかと猛烈に刺激してきやがるぜ。 主湯は外側は扇形だが、内側段から先は円形に近くなっている。水風呂は五右衛門風呂を思わせる。そして完全円のかかり湯鉢の愛らしいこと! もうこいつら、まるまるもりもりしやがって! それらがことごとく細かな昭和式タイルで形づくられている。床タイルの細かさもタマラン。 男女壁は端から端まで色ガラスのブロックで埋め尽くされている。 壁際に、今は機能していない凸型水鉢がある。このタイルづかいも捨てがたい。 ふしぎな水鉢(からっぽ) 時間が遅かったせいか、他に客はいなかった。俺は夢心地で鹿児島唯一の非温泉銭湯をゆっくり味わった。 これまで鹿児島の温泉にはたくさん入ったけど、この銭湯の深い味わいは格別だ。 ていうか銭湯だ。これは栄えある銭湯文化と言わざるを得ない。声を大にして叫ぼう。もちろん心の中での話だ。 お湯と水の交互入浴で大満足の湯あがり。ばあさんに聞くと、昭和初期からやってるという。 かなりご高齢のようだが、風呂掃除は、会社勤めをされている息子さんが閉店後にゴシゴシ磨いておられるらしい。尊敬に値する。 女湯も他客がいなかったので見せていただいた。そしたらば! 女湯最高 男湯よりもさらに広いやんけ! そしてタイル絵はどっかの外国の山のようだ。 「わたしの腰が立たんようになったらおしまいですわ」 ばあさん。ばあさんの鹿児島弁は半分くらいしか俺にはわからんかったけど、いつまでもお元気で。できればあと30年くらいはこの素敵な風呂をお守りください。マジでお祈りいたします。 銭湯好きのみなさん。温泉キングダム鹿児島の旅は楽しいけれど、とりあえずこの銭湯を優先順位トップでよろしく。 (2012年8月) |
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昭和湯
鹿児島の奥座敷とも言われる市比野は小さな町。その中心部の細い路地に、ひっそりと隠れるように昭和湯はある。 宿でもらった市比野温泉マップにも、なぜかここだけは掲載されていない。道行くばあさんに「昭和湯はどこですか」と尋ねると、「昭和湯・・・昔の昭和湯ですか?」と逆に聞き返される。そんな昔の温泉銭湯だ。 商店街からなら小緑酒店の角を曲がり、橋を渡って右手の細い路地を入る。 暖簾はかかっておらず、うっかりしていると通り過ぎてしまう。注意深く見ると「女湯」の表示が見つかるが、「男湯」はない。入口は2つあるけどな・・・と思っていると、オヤジ客が「女湯」から入っていく。ギョ! 躊躇しつつ、前を地元民オジサンが通ったので尋ねたら、「受付はそっちだから」との返事。 意を決して「女湯」の戸を開けると、横長でタタキの玄関スペースになっている。なーんだ、どっちから入っても同じだったのか。 そして確かに女湯側に小窓があり、住居部分の生活スペースとつながっている。声をかけるとオヤジさんが出てきた。100円を払う。 (左)「女湯」の表示。タイルが渋い (右)夜の光景 「女湯」を開けて入った玄関スペース 今度こそ男湯の戸を開けると、狭い脱衣所。ロッカーはなくタナのみ。 裸になって浴室へ。狭い浴室に湯気がもうもうと立ち込めている。「昔の昭和湯」の言葉どおり、古びた空間だ。先客はさっき入っていったオヤジ一人。 細かい豆タイル張りの湯舟が奥に一つだけある。他にはカランなし、椅子なし、なんもなし。 かなりキテル感があるが、湯舟に源泉らしき湯がドバドバ投入され、へりからどんどん溢れているさまは、まさしく温泉だ。 お湯は無色透明無味無臭。かかり湯すると43~44度と熱めだが・・・おおっ、これは相当なツルツル感! どっぷりと浸かると、この湯がタダモノではないことがすぐにわかる。湯の中で肌をさすればニュルニュル、しかも湯の鮮度がピチピチ。これは名湯だぞ。ドバドバの源泉をさわると、46度以上はある。 湯舟のヘリに座り込んで髪を洗い、体を洗い、ヒゲも剃る。そしてせっけんをいくら洗い流しても、肌のヌルヌルが消えない。 湯気もうもうで最初はわからなかったが、この浴室は男女隔壁が天井までつながった、完全セパレートタイプになっている。 お客は途中で2人来た。地元民の憩いの湯だ。 上がりは脱衣所で、地元オヤジ客と語らう。 「市比野の湯は施設によって全部違うよ。いっぺん全部検査して比べてみんといかん。あんたも最低5~6軒は入ってよ」 「最近はどこも地域の特色がなくなっていかん。九州新幹線は車内で長渕剛のライブをやりゃあええ」 「そーつー(焼酎)買って帰れ。あっちのほうもビンビンになる。水で割って1週間くらい置いてから飲むとうまい」 と、オヤジはこのようなことを鹿児島弁で力説していた。 しかし、教えてもらった酒屋に寄って帰ると、残念ながらもう閉まっていた。ていうか夜7時を過ぎると市比野商店街の店は全部閉まってた。 結局、市比野では3軒入ったが、湯はここが一番気に入った。からだ中がツルッツルに光って不思議なくらい。「美人の湯」と呼ばれる温泉はよくあるが、ここはガチ。 設備は何もないが、公衆浴場の原点を感じさせられる印象深い湯屋だった。 (2005.12.11) 角から見たらフツーの家(翌朝撮影) |
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丸山温泉★
温泉地に泊まったら、言うまでもなく朝風呂だ。 市比野商店街の北端を東に行くと、市比野川の橋のたもとにわりと目立つ看板が出ている。橋の上から眺めると、かなり鄙びのケハイ。湯治宿も兼業しているのかな。真正面に市比野のシンボル・丸山がデンと座っているので、この山から名前をとったのだろう。 (左)看板が立派 (右)この狭い坂を下りる 早起きして、営業開始の7時にこの坂をちょんちょんと下る。と、木造の渋い受付があり、中ではコタツで誰かが寝ている。声をかけると起きてこられたので100円を払ったが、たった100円で起こすのは申し訳ないような。 浴舎はその奥のコンクリ造りの建物。 (左)受付、どうですこのたたずまい (右)浴舎入口 戸を開けると小さな脱衣所、棚のみ。服を脱いで浴室に入る。 と・・・おぉ! おぉ! こここ、これは・・・すばらしい! 中央に湯舟が一つポンとあるだけの古い小さな浴室だが、全体がブルー系の色調で統一された、美しくも芸術的な浴室だ。広い窓越しに朝日があふれ、蛇口からはざんざか温泉が注がれ、先客のじいさんがのんびりと湯に浸かっている。 こ、神々しいとしか言いようがない・・・これは聖なる空間だ。 どうしますか、もう 湯舟に使われているタイルがまずたまらない。へりは藍色の丸タイルで中心線が引かれ、その両サイドに四角形の茶色い曲面タイルが並ぶ。底には緑色の柄が入った美しいタイルが敷き詰められている。 男女隔壁には青と赤の入ったガラスブロックが使われていて、とにかく浴室全体の配色センスがすばらしい。この浴室は「作品」と言うべきだろう。 しかもこれらがいちいち、ちょうどいいくらいに古びた味わいが滲み出ていて、あーもう、こんなことがあっていいのか、どうしましょう・・・。 カランは男女壁側に二つあり、シャワーもついている。椅子もあり。 窓を開けると、のどかな市比野川の景色が全面に広がっている。 あまりに浴室が素晴らしいので、お湯のことを忘れていた。43度くらいのきれいな湯で、湯質はこの上で紹介している昭和湯と似た感じだが、ツルツル度はわずかに昭和湯のほうが高いかも。 それにしてもだ。朝っぱらから素っ裸になり、この聖なる浴室で、ピッカピカでツルッツルの湯に身体を伸ばし、やさしく包まれて、しみこまれて、ホーけにホーけて精神あの世行き。 こんな快楽が許されていいものだろうか。 上の昭和湯と丸山温泉のどちらかに星をつけようと考えた。泉質重視の温泉マニアなら昭和湯につけるかもしれない。だがせっかくの銭湯サイトだし、浴室の美しさとカラン類の存在から、あえてこちらに軍配を上げておこう。 (2005.12.12) |
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弥次ヶ湯★
指宿駅の北側、二月田駅との間の十町・大牟礼地区には小さな温泉が点在している。ガイドブックなどにはあまり載っていない、古くから地元民に愛されてきた温泉銭湯だ。 二月田周辺は、片田舎という言葉がピッタリの、町はずれの農村地帯。やしの木がたくさん並んだ指宿市役所の前を通り、10分ちょっと歩くと、バナナの大きな紫色の花が咲いているそばに看板が見えてくる。 看板に沿って地道を少し入ると、なんとも古式蒼然たる建物が現れる。 黒光りする太い柱や梁。まるで日本昔話の世界だ。 番台はなく、写真の向かって左側の建物の縁側にいるばあさんに料金を支払う。 愛想が良くて感じのいいそのばあさんによると、110年以上前に建ったまんまとのことだ。2階は休憩所になっているらしい。 「右側のお風呂がぬるいほうですから、子どもさんはそっちがええかな。左のお風呂は熱いよ」 中に入ると、脱衣室なんてものはなく、いきなり浴室。手前に木の棚があって、そこへ脱いだものを放り込んでおく。 で、目の前にはこんな湯船が。 6~7人サイズ これは熱いほう。建物内部は適度に改装されているが、湯船はレトロなんていう生っちょろい言葉では追いつかないシブさ。ただもう当たり前に明治初期のまんま、それがどうしたという感じ。 先客はイレズミ者が一人だけで、限りなく静かだ。 湯は45度近いかもしれない。限界に近い温度だ。ちょうどしじみのすまし汁くらいに白濁した、やや塩味のする湯。それが横のマスからどんどん自噴していて、加水もせず、流し込む量を調節して適温にさます仕組みになっている。 湯船や床は石でできており、温泉の成分が100年以上にわたって蓄積されている。天井などの湯屋造りも独特で、見応えがある。 で、こっちがぬるいほう。「大黒湯」という別泉源らしい。42度くらいか ぬるいほうの風呂は、泉源が異なるようだ。やはり石づくりで、そのきめ細かな感触がたまらない。 しばし湯船のふちに寝そべって、桶で湯をすくって腹にダラダラと掛ける。聞こえるのは鳥の声と、湯の湧き出る音のみ。 これまで俺は人間として最高の死に方は腹上死と考えてきたが、それは間違いだった。日本人たるもの、ここで腹に湯をかけながら死ぬべきではないのか。 途中で、地元民らしきおじさんが入ってきて、おもむろに湯船のそばにある木のフタをどけると、そこは飲泉専用の湯が満ちていた。おじさん、ひしゃくですくって飲んでいる。 俺も飲んでみた。塩とイオウの味、まったりとした舌ざわり。効きそうである。 (2003.5.1)→南薩旅行記 追記: 隣の管理棟の2階には休憩室があって、ここがまた素晴らしい空間だ。もうほんま泣けてくる。 休憩室(2014年) さらに、浴場の裏手には湯治客のための快適な宿泊棟もある。帰りたくないよ、ホンマ。 (最新訪問:2016年12月) ※「レトロ銭湯へようこそ西日本版」に掲載されました。 (本書が買える銭湯一覧) |
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村の湯★
指宿駅から北へ徒歩15分ほど。 のんびりとした住宅地を歩いていたら、ふいに現れる。 緑屋根の平屋建てが湯小屋のようだ。その隣の2階建てに窓口があり、そこにいるばあさんに料金を払って、湯小屋に入る。 中には脱衣室はなく、浴室の隅に脱衣棚があるだけだ。建物の外側はそれほどの古さを感じさせないが、浴場内部はこれでございます。明治15年モノだと。 手前がぬるめ、奥が熱め 誰もいない。完全貸切状態。こんな小さな写真では、この味わいは十分に伝わらんな。こちらの大画面で堪能されよ。 湯は弥次ヶ湯に似ていて、わずかに白濁して薄い塩味。 写真左側のフタをしてあるところを覗くと、湯がどんどん湧き出しているのがわかる。でもかなり熱いので、湯船への注ぎ口に栓をして、少しずつ流れ込ませることで湯加減を調節してある。栓を抜くと、熱い湯がドバー。 湯船の底に板が敷いてあって、その下からも湯が自然湧出しているようだ。板と板のスキマは漆黒の闇。この下がどうなってるのか、実に神秘的である。 じっと浸かっていると、神々しいオーラに包まれているような気がして、俺ごときが浸かっているのがなにかもったいなくさえ思えてくる。 日本列島にはおもしろい場所がたくさんあるが、この空間のスペシャル感は抜きん出ていると言わねばならないだろう。 壁にはいわくありげないろんな紙が貼ってあって、それを見ているだけでも楽しい。こんなのもあった。 拡大写真はこちら 明治時代のお墨付きのようだが、効能に「胃腸病」「神経痛」などと並んで「ローマチス」とある。腸チフスの親戚かとも思ったが、どうやらリウマチのことらしい。 でも、ローマチスというほうが何か気品というか威厳を感じさせられる。すべての道はローマに通じ、すべての温泉はマグマに通じるのである。 (2003.5.1)→南薩旅行記 (最新訪問:2016年12月) ※「レトロ銭湯へようこそ西日本版」に掲載されました。 (本書が買える銭湯一覧) |
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東郷温泉
村之湯のすぐ隣にある温泉。温泉が2軒並んでる~! 弥次ヶ湯とはまったく違うおもむきの、南国情緒ただよう明るい外観だ。ピースフル・イージー・フィーリングな脱力系オーラを発散している。 隣の建物に窓口のようなものがあるが誰もいない。そこにある料金箱に大人250円、小人110円を入れて中に入ると、ここはいちおう脱衣所と浴室とが戸で隔てられている。 さっそく服を脱いで浴室へ。 年季の入ったタイル張りの床が、温泉成分で真ッ茶色になっている。湯は熱めで、44~45度くらいか。湯がすみっこからザバザバ流れ出ているが、どこから来ているのかなと思いつつとりあえず入ってみる。 すると、湯船の下は石敷きだった。んで、どうやらその下から湧き出しているようす。 他の指宿の湯と同様、薄い塩味で、村之湯より少し白濁ぎみ。 奥には、ややぬるめの浴槽がある。が、実際にはそっちも十分熱い。 奥にある「ぬるめ」の浴槽 よく見ると、温泉が流れ込む部分に木の栓をして、流れ込む量を調節することで自然に冷ます仕組みなのだが、その栓が古くなって緩み、熱いのがドクドクと湯船に流れ込んでいた。 (2003.5.2) (追記:その後改装されました) (改装後の東郷温泉、2014年1月) |
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殿様湯
8年ぶりの再訪は大晦日、それも指宿とは思えぬ大雪の日となった。 JR指宿線の二月田駅を出て北西へ徒歩10分ほど。川沿いの道から左へ土手を下りたところにある古い温泉だ。 どんだけ古いかというと、ここには代々島津藩主の別荘が置かれていて、そのころからの風呂やというハナシ。 入浴料は向かいの家の玄関で払う指宿スタイル。 中庭で飲泉可 それにしても寒くてかなわん。狭くて簡素な脱衣場で脱いだらソッコーで浴室へ。 浴室は古めかしくどっしりとした石造り。温泉成分によるものか全体的に茶色に染まっているのは他の指宿温泉と同じだ。 中央に楕円形の湯船がある。その手前部分が一段高くなっていて、島津の紋章が入っている。温泉はこの部分に湧き出して溜まり、それから湯船に流れ込んでいる。 湯船は深い。お湯は指宿らしい、しじみ汁くらいの濁りの塩化物泉でアッチッチ。最初はこんなもん入れるか、と思うけど、足先をもみながらじっくりならしていると、ゆっくり体を沈められるようになる。 あー、この湯だ。まぎれもなく指宿だよ、しびれるねえ…。 カランもいくつかあり、ジモティーは石鹸だらけになって銭湯使いしている。 しばらく浸かったり出たりまた浸かったりしていると、雪の日でも汗がひかないポッカポカボデーが完成する。 屋外には、本当に殿様が使っていた湯船がそのまま保存されているので、見て帰りましょう。(2010.12.31)(最新訪問2016.12) 殿様用タイルが素敵 ※「レトロ銭湯へようこそ西日本版」に掲載されました。 (本書が買える銭湯一覧) |
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前田温泉★
ここもまた一つの究極といえるかもしれない。 合併して「湧水町」となった旧吉松町は、水どころか湯がザブザブ湧きまくっている温泉郷。なのに、名水があるからということで「水」が新町名に採用された。鹿児島じゃ温泉に希少価値はないんだな。 JR吉都線の鶴丸駅から南西1kmちょっと、線路が国道268と交わるすぐ北側に、古い酒屋あり。前田温泉はそこが兼業しており、料金もそこで払う。 浴舎は裏手にある。中に入った瞬間ぐにゃりと時空がゆがみ、否応なく100年ほど前の世界にタイムスリップさせられることになる。 説明は不可能。デジカメが記録した100年前の映像をご覧あれ。 (左)浴舎 (右)脱衣ロッカー (左)脱衣所から天井を見る (右)床、湯舟、壁(腰高まで)はジャリを固めた洗い出し 薄いモール泉 (左)小さなマスは排水マスらしい (右)この切り込み! 脱衣所と浴室の間にはサッシの戸があり、これだけがかろうじて現世を思い出させてくれる。 やわらかなお湯は薄い黒湯。70度以上の源泉がまず奥の小さな湯船に流れ込み、そこで50度くらいに冷めたものが主浴槽に流れ込む。他に、源泉が直接主浴槽にチョロチョロ注ぎ込んでいる穴もある。主浴槽の湯温は42度くらいの適温になっている。 カランはないが、椅子はある。湯舟の湯をかい出し、黙って身体を洗う。 先客は地元のオヤジが一人、途中でまた一人。言葉少なに町内の情報を交換している。 お湯のやわらかな肌ざわりと、洗い出しのざらっとした感触。床に刻まれた芸術的なラインと、それを伝う湯の動き。停止した時間、ただ湯に浸かるだけの生物に成り果てている自分。窓からの光、鳥の声。 年月と人間の生活を溶かし込んできた小宇宙。 奇跡の空間だ。 (2005.12.12) |
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つつはの湯
2010年1月1日、元旦である。そんな日になぜこんなところにいるのかよくわからないが、ともかく今年の初風呂はここだ。 JR肥薩線の吉松駅を北へ10分弱歩くと、この看板が見えてくる。上の前田温泉からは川内川を挟んでちょうど対岸あたり。 ここをちょっと左へ入る 古びた物置小屋がポツンと建っている。 でも他に温泉施設らしき建物がないので物置小屋をよく見たら、「男」「女」と書かれてある。どうやらこれが「つつはの湯」らしい。 戸を開けて入るとタタキに番台があるが、誰もいない。賽銭箱があるので、書かれてあるとおり200円を入れた。 (左)番台周辺 (右)こぢんまりした脱衣場、ロッカーはタナのみ この鄙び、このそっけなさ、この静寂。俺だけの正月。たまらん。 勢いよく裸になって浴室へ。 (左)変形六角形の湯船 (右)差し込む元日の日光 ああ、いま、ここに生かされてフルチンで立つ絶対的幸福。お湯の神が降臨しまくり三助の聖空間で本年最初の深呼吸を厳かに繰り返す。 おぉ、つつは。お前はなぜにつつはなの。名前の意味教えてちょうだい。 んでまた湯船のへりに不思議なタイル使いが施されている。 だいぶ剥がれているところもあるが、神の業についてとやかく言う馬鹿之介にはこの聖なる風呂に入る資格がない。 (左)笹の葉型 (右)お湯が溢れる部分は黄金色に染まっている さあ。浸かろうぞ。まずはかかり湯だ、と・・・・ あぢ、あぢ、あぢぢーーー!! 熱い。キワメテ熱い。これは素敵だ。45度くらいはありそうだ。奥の湯口から掛け流されている源泉は59.2度もあるらしい。 何度もかかり湯を繰り返して体を温度に慣らし、1分ほど浸かった。無色透明無味無臭の単純泉だが、低張性・弱アルカリ性ということでツルツル感がある。 なにより、この湯の清々しさ、さわやかさは特筆に価する。際立った特徴はないが、くせのない名湯だ。もったいなやありがたや。 加えて、この浴室に立ち込める清きオーラは如何とも説明しがたい。イエスの生まれた馬小屋はこんあふうだったに違いない。 立ち去りがたい初風呂だった。今年もいいことあるだろう。 ちなみに道路沿いの看板には「家族風呂」と書かれてあるが、そんなものはない。 (2010.1.1) |
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重富温泉
歴史は古いらしいけど、風呂自体はとりたてて古いわけではない。 だが全体的に「貫禄」「重厚」「王道」といった言葉を感じさせる温泉銭湯なんよねぇ。思わず「うむ~渋い!」と唸ってしまったので紹介しときましょう。 重富駅から出口と逆方向の北西へ15分近く歩いたところ。畑まじりの住宅地に、広々した駐車場を備えて現れる。 まずもって建物が貫禄。そして渋柿色の暖簾が貫禄。さあ来いや! パッと見、もしかして税金を湯水のように投入して作られた公共施設なのか? あるいは地元資本系か? とも感じさせられる。 ともかく暖簾をくぐる。左手に大きな番台があり、下足スペースとロビーとが一体になった広い空間になっている。 ふーむ。この温かみは税金施設ではそう出まい。スーパー銭湯的な洗練性もなさげ。 ウッディーな脱力空間 男女が左右に分かれて脱衣場へ。ここには木製ロッカーが並んでいるが、鍵がかからん田舎流。この時点で税金系・資本系の疑いは消滅する。 浴室に入るや、全面ガラス張りの正面壁からたっぷりの陽光がお出迎え。湯気とともに温泉独特の気が充満しているぞ。 おっとぉーナニコレ、床のタイルが全部コゲ茶色、壁のタイルは真っ黒! なんちゅうドスの効いた色使いや。 正面に並ぶ湯船列、これもすべてコゲ茶色のタイル。よく見ると滑らんようにか表面がイボイボになっている。 んでそのヘリからお湯がドバドバ溢れとるがな。手前湯船の隅に土色の壺を横倒しにした状態の湯吐き口があり、「お湯は循環していません」と書かれている。なかなか豪快や。 湯船は主湯(気泡)・デンキ・浅などが並び、右奥に水風呂とサウナ。いたって正統派の銭湯スタイルだ。 源泉温度は51度くらいあるらしいけど、湯船はそこまで熱くはなくて43~44度くらい。多少うめてるかも。かすかに白濁のシジミ汁、舐めたら塩味だ。塩化物泉らしい浴感が心地エエぞ。 左側の壁にカラン列がある。どれも快調で使い勝手よし。 ガラス張りの向こうは広々とした露天風呂だ。庭をバックに石を組んで作られた池っぽい風呂。ここも内湯同様の温泉が満ちている。 熱い湯、サウナ、水風呂、露天・・・ウロウロ、ハアハアしてまうで。 しゃれた装飾や珍しい設備はない。まったくもってフツーに銭湯。 そこに豪快に温泉ドバドバ。えらいぬくもる。 さらにコゲ茶や黒の地味すぎるタイルが不思議な迫力を醸し出していて、逆に強く印象に残る。 入浴そのものを堪能できる、ストロングスタイルのよき風呂だ。 この日は大みそかということもあり、賑わって活気があった。 上がりはロビーの木のテーブルで、地元牛乳飲みながら地元新聞を熟読だ。 よく見ると、番台でオリジナル商品が数種類売られている。 温泉を煮詰めた塩、500円もしたけど購入 いろいろと経営努力されているのね。おばちゃんも感じよし。 他に家族風呂(1時間1100円)もあるらしい。 旅先での大みそか、しかも山歩きの後やったけど、疲れが全部落ちた。満足できる2013風呂納めであった。 (2013.12.31) |
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江ノ島温泉★
もともと島だった桜島は、自分が噴き出した溶岩で海を埋め、大隈半島にくっついた。そのへんのちょい南。鹿児島市から見て桜島の対岸に当たる。 海潟温泉バス停を降りてすぐそばの川岸に、わりと新しいっぽい看板あり。それに従って進むや、飾り気のない素朴な湯小屋が忽然とあらわれる。 もうタダモノでないオーラばりばりでございます。 (左)普通の温泉施設かな、と思わせる看板 (右)土が黒いのは火山灰 誰もいない番台に小銭を置き、激素朴なる脱衣場で裸になる。 運命ね。宿命ともいう。そんなことを感じる。すでに呑み込まれた状態だ。 (左)黙って脱ぐのみ (右)これは女湯の成分表。男湯のは剥げていて読めない そして生まれたままの姿になったれば、お湯の香りに導かれて夢遊病者のようにこの聖空間へと運ばれる。 なされるがまま。もはや神を前にした無力な子羊でしかない。 湯の神、降臨 (左)熱く透き通った湯がザブザブ掛け流し (右)トド用の木枕もあり 熱めの湯だ。43~4度くらいか。しかしアルカリ性単純泉らしくまったりと優しく、気高く香る。湯船のヘリを越えて、絶え間なく極上の湯が渋い床タイルを洗っている。 地中より惜しげもなく湧き出て、小さき者どもの事情には微塵も介錯せず滔々と与えられ続ける豊饒の光景だ。 湯に体を慣らしながら、浸かる。首まで沈みながらふんわりと包まれてゆく。しばらくして上がって休み、また浸かる。その繰り返しのみ。 (左)女湯は壁下部のタイルがピンク色だ (右)湯船の底タイルの神々しさよ 誰もいないので女湯もチョコッと拝見した。 タイルの色を違えて張った人間の愛らしさと、そこへ悠然と湯を供給し続ける神との妙なるコラボレーションである。 桜島の影にひっそりと湧く、愛すべき極上温泉だ。 (2010.7.3) 帰りは雨が強くなった |
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梅の湯 △
おそらくは、日本で最もディープな銭湯である。 旅と風呂の意味を問い続ける者は、やがてここへたどり着くのではないだろうか。次元が異なるため、従来の銭湯概念では捉えきれない存在だ。 しいて言えば「伝説」だろうか。「神話」かもしれない。 まずもって場所が・・・地元民以外にはまったく見当もつかないエリアだ。 指宿の隣、日本最南端の有人駅である山川駅へ。列車の本数は少ない。 そこから1日2~3便のフェリーで錦江湾対岸の大隅半島へ渡るのだが、駅からフェリー乗り場まで2~3kmは離れている。両者をつなぐ路線バスの本数は極めて少なく、しかも列車やフェリーの時刻と連動していないため、歩くかタクシーしかない。 なんとかフェリーに乗ったら大隅側の根占港というところに着くが、梅の湯があるのは大根占の坂元というところ。路線バスはここでもフェリーと連動しておらず、1時間以上の待ち時間を強いられる。開いてる飲食店は皆無。 なんとかバスに乗ってソレっぽいところ(大根占だったか坂元だったか、バス停の名前を忘れた)で降りるが、田舎の番地をネットの地図に入力してもまもとに表示されないので、テキトーに路地を歩き回って探すしかない。 おいそれと行ける場所ではない。 それでも執念の俺は、バス停から見て海と反対側の集落内に、目標の風呂屋を発見した。 (左)とうとう見つけた・・・ (右)間違いない (左)番台、というかコタツ部屋 (右)ロビー、というか土間 営業開始時刻の少し前だったのかもしれん。中に入っても、誰もいない。 土間から一段上がって、左手にコタツの間、右手に物置の間。どこもモノで溢れている。正月のためか、日の丸の旗が何本も箱に入っているが、売り物のようだ。 神話の世界に紛れ込んだ俺は、どうしていいかわからなかった。 誰もいない場合は番台に入浴料金を置いて勝手に入る。たいていの場合、これが田舎銭湯の流儀だ。 しかし番台がない場合はどうしたら・・・コタツの上だな。いくら置けばいいのだろう。たしか400円ぐらい置いたような気がするが、記憶は定かでない。 (左)脱衣場への扉、というか演歌歌手 (右)脱衣場の通路、というか土間+マンガ図書館 (左)脱衣場 (右)名言集 「男湯」の木戸をあけて中へ進むと、ここも土間の通路がのびており、マンガ棚がしつらえられている。 一段上がって板張りの脱衣スペースがあった。漁師の番屋を思わせる空間には不似合な、いくつかの最新運動器具がものものしい。 壁にはいろんな人の名言(アントニオ猪木の詩など)がプリントされた紙がたくさん貼られている。 脱衣場には籠があった。俺は裸になった。 (左)浴室 (右)湯船 よそと比べてどうこう言うのは神話の世界になじまない。旅路の果てにこの風呂場と出会い、いま体験する興奮に身を任せよう。 奥壁に「ラジウム温泉」の看板が貼られている。「当浴場のラジウム効果は天然湧出のラジウム温泉に劣らない…」と書かれてあるから、ラジウム鉱石か何かが使われているのかもしれない。 神話的なタイルに囲まれた円形主浴槽の湯はぬるく、少ない。ジェットが1本出ている。 奥に薬湯があるが、湯はほとんどない。 手前に四角い水風呂がある。外壁側にはカランが2組ほどある。 俺はカランで体を洗い、主浴槽と水風呂を何度か交互に入った。そうするうち、地元のおじさん客がひとり入ってきた。 女湯からは何人かの談笑する声が聞こえている。 水風呂の向かいにサウナがあることは、風呂から上がってから気づいた。さっきのおじさん客が出入りしていたからだ。 俺はかなりテンパッていたようだ。 服を着てロビー(コタツの間の横)に出ると、地元のおばさんたちが何人か賑やかにしゃべっていた。方言がきつくて、あまりわからない。 俺はたしかコタツに置いたお金の釣銭をもらったように思うが、この風呂屋での出来事全体にぼんやりと靄がかかったようで、あまり記憶がない。 どだいネットなんぞでこの銭湯の何かを伝えようと考えること自体が無意味だ。 長い旅をしてこの地に至った者が、その場で体験し、そして心の片隅に小さな温かいカケラだけを残し、忘れてゆく。 神話の世界とは、そういうものである。 (2014.1.2) ※鹿児島市からは、鴨池からフェリーで垂水へ渡り、鹿屋で路線バスを乗り継ぐほうが簡単。 2018.11『旅先銭湯』に掲載されました! |
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尾之間温泉★
屋久島といえば山、山に登ったあとは温泉と相場が決まっている。でこの日も山で大汗かいて、ここへたどり着いた。 モッチョム岳の大岩壁を望む尾之間集落に看板があり、少し坂を上ると現われる。古いものではなさそうだが、木造り瓦葺のなんともいい感じの建物。右のほうには足湯スペースがあるが、湯は張られていなかった。 あたりに漂う硫黄の香り。うほー、これは期待できますなあ。 内部もすべてウッディー空間、もちろん屋久島の杉でしょう。 フロントのおやじに200円払い、廊下右側の男湯脱衣所へと進む。ロッカーはなく木のタナのみ、横手に籠がある。 裸になって浴室へ。とたんにかぐわしき硫黄臭の湯気に包まれる。 戸を開けて4~5段の階段を下りる半地下構造。木と石とコンクリで造られた、共同浴場的な素朴さに包まれたナイスな雰囲気だ。10人くらいが入れる長方形の湯舟が一つあり、無色透明な湯がへりからあふれて床を流れている。 どれ、さっそく・・・おぉっ、まろまろっ! そして43度くらいのやや熱め、マイベスト湯温じゃありませんか。さらに底には玉石が敷き詰められていて、足裏もじつに気持ちよか。しかもなんと、この石の下から源泉が直接湧いてきているらしい。 うひひ~、いや、まじ最高。くたびれた筋肉が快感のあまりピクピクッと小躍りしやがるぜ。 男女仕切り壁には「尾之間音頭」の歌詞と、モッチョム岳や棒踊りやポンカンなどこの地方の風物の絵が描かれていて、これまたアットホームな雰囲気。尾之間と書いて「おのあいだ」と読むが、この音頭には「オネダ」とルビがふってある。 岩をあしらった壁際にはカランが2組と、水鉢がある。シャワーもあるが水しか出ないもよう。他客はほとんど湯舟からかい出して体を洗っている。 夕方5時すぎ、地元民が子どもからじいさんまで次々にやってきて大繁盛。そらこんな極楽風呂が近所にありゃあ行くわな。俺も通いたい~。 (2005.12.8)→モッチョム岳登山記 |
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