さいろ社とは?

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その華麗なる歴史

 1987年。大学卒業後に就職した某出版社を1年で辞めた2人の若者が、退屈しのぎの信州ドライブからの帰り、京都の焼き肉屋で突如、
 「本気の医療雑誌を作らなあかん。しかも専門書ではあかん。市民の立場から医療問題を取材して考える本格ジャーナリズムや!」
 と燃え上がる。

 2人のうちの1人、松本康治(まつもとこうじ、代表)が全財産2万円をはたいてワープロを購入し、その年の秋、『季刊メディカル・トリートメント』創刊準備号を発行。手売りと書店店頭で完売し、印刷代の支払いに成功。翌1988年、同誌創刊。
 でも1年以上事務所はなく、編集会議はマクドの2階だった。当初は看護婦問題を集中的に取り上げる。

 やがて『エキスパートナース』など看護雑誌でさいろ社のページを持ち(その成果はのちに単行本『看護婦と勇気』に結集)、大阪府茨木市に編集室を構える。
 また最初の単行本『看護婦はなぜ辞める?』が朝日新聞の天声人語で紹介されるなどブレイク、「看護婦ブーム」のさきがけとなって一気に注目度を高める。

 『季刊メディカル・トリートメント』は創刊5年後にして『隔月刊トリートメント』へと進化、さらに5年後の1998年2月には『月刊いのちジャーナル』にリニューアル。
 その間、広告収入には一切頼らない編集方針を貫きながら、脳死・お産・予防接種・がん治療をはじめあらゆる医療・福祉問題を取材し、日本の医療ジャーナリズムに一時代を築く。「脳死」臓器移植問題では、大阪大学病院での事件を取材した単行本『四つの死亡時刻』がNHKのETV特集でテレビ化されるなど、マスコミにも影響を及ぼしてきた。

 1999年11月より神戸に移転し、『月刊いのちジャーナル』を隔月発行に戻して『いのちジャーナルessence』に縮小リニューアル、出版氷河期をしぶとくサバイバルする21世紀型ピリリ系出版社として再出発した。
さいろ社の本


なぜ「さいろ社」なのか

 「さいろ」とは、北海道などで見かける、家畜の飼料などを貯蔵する縦長のちょっとおしゃれでかわいい蔵「サイロ」を意味する。転じて、「自然と調和しながら精神生活の糧を蓄える」の意。

 ・・・というのはこじつけで、実は当初は「高原書館」(こうげんしょかん)という屋号だった。設立を思い立ったのが、信州ドライブで安曇野の碌山美術館へ行った帰りだったので、信州の高原と美術館をイメージしてメランコリックに命名された。
 が、いかんせん画数が多くて署名が面倒、しかも「タカハラショカンさんですか?」とよく間違われたため、創立3年目にして「ひらがな3文字の名前に変えよう」と決意。
 そこで「あ・・い・・」から順に組み合わせを考えたが、「あけび書房」「あゆみ出版」などよさそうな名前はすでにとられている。さ行まできたところでこの作業にも飽き、「そや、サイロってあるやろ、見たことないけど。それでええやん」という一言で運命的に名付けられた。

 後年、北海道・根釧原野に旅して念願の本物サイロと対面。予想通りかわいく、ちょっぴり牛糞くさかった。

さいろ社代表・松本康治(当HP制作者)とは?

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