ちぎれそうなところ
平戸市船越

(長崎県)2006.12.28
 「船に乗らずに行ける本土最西端」の平戸島。南北30kmを超えるこの大きな島の南部では、怪獣が口を開けたような志々伎湾が北西から大きく食い込み、その下顎に当たるシャベルのような形の半島には霊峰・志々伎山が聳えている。
 ここで俺の目は地図にクギヅケとなった。志々伎湾の最奥部、つまり志々伎半島の根元がちぎれそうになっているではないか。その部分の幅は250〜300mほどしかなく、半島は首の皮一枚でぶら下がっているような状態だ。
 そして、ここに「船越」という地名が書き込まれている。

 赤線が歩いたルート

 平戸島の北端にある市街地からバスに乗り、1時間ちょっと島を南下したあたりの海沿いの停留所で、突然バスが止まった。
 乗客は俺一人だし、ここから乗り込む客もいない。なのに運転手はサイドブレーキを引き、バスを降りようとする。そして俺に声をかけた。
 「ここから先は道が細いので、ここでしばらく対向バスを待ちます」
 俺も運転手のあとからバスを降り、周囲を眺めてみた。正面に志々伎山が聳え、右手には大きな湾が広がっている。冷たい西風が湾口から吹き付けてくる。
 (このページ冒頭の写真。道路の左側がふくらんでいるところがバス停)

 この停留所の名前が「船越」だった。志々伎半島の入口の、まさにちぎれそうな部分だ。

 志々伎半島は、ここから西へ直線距離にして5kmほど延びている。対向バスをやり過ごし、再び走り出したバスは細い道路をうねうねと30分ほどたどった。
 バスの終点は「本土から船に乗らずに行ける最西端の集落」、宮ノ浦だ。今では最果ての集落だが、古代の日本では大陸からの玄関口として栄えたところだ。
 俺はここでいくつかの史跡を訪ねてからバス道を2kmほど戻り、志々伎山に登った(くわしくはこちら)。
 志々伎山の山頂から平戸島の本体方面を眺めると、下のような光景が広がった。


連続写真。大きく湾入する志々伎湾と、右のちぎれそうな部分が半島付け根の「船越」

 俺ははるか遠くに見える半島付け根の船越を目指して、山頂からまっすぐに道なき尾根を辿った。
 途中で尾根を踏み誤ってバス道に出てしまったが、そのまま東へと歩き、宮ノ浦でバスを降りてからちょうど5時間後の13:10分、やっと志々伎半島を徒歩縦断して船越に戻ってきた。

 船越は静かな集落だった。
 バス道に平行する山側の旧道を歩く。出歩く人は一人も見かけない。
 旧道が志々伎湾岸のバス道に出る少し前あたりで、右手にまっすぐ延びる道が現れた。道はゆるい上り坂になっている。この坂を越えたら、志々伎湾とは反対側、つまり九州本土側の海に出るはずだ。
 ここに間違いない。この道が「船越」の道だろう。

 船越の道

 ゆっくりと坂を登った。距離にしてわずか150〜200mくらいだったろうか。
 上り詰めた瞬間、こんな光景が俺を迎えてくれた。

 反対側の海に出た

 胸が大きく波打つ。大きく深呼吸し、しみじみと海を見渡した。
 鳥居は南東を向いている。曇り空なのに明るいのがふしぎだ。

 鳥居の向こうは堤防になっており、数メートルの段差で海岸になっていた。海辺に下りると、さっきまでいた志々伎湾岸の強風がウソのように、ほとんど風がない。波も静かに寄せている。

 堤防下は小石の浜。九州が見える

 平戸島は西岸と東岸とで気候が異なる。東シナ海に面した西岸は対馬海流の荒海に常にもまれ、強い偏西風をモロに受ける厳しい環境だ。一方の東岸は九州との内海に面した穏やかな気候となる。
 粗末な装備しか持たなかった古代の船人にとっては、天国と地獄とも言えるだろう。

 このわずかな船越の坂を隔てて背中同士に向き合う、天国と地獄。
 厳しい東シナ海を渡り、必死の思いで志々伎湾に一時避難した航海民たちには、二つの選択肢が与えられた。もう一度荒海に出て志々伎半島を大きく迂回するか、それとも船と荷物とを担いでこの坂を越え、反対側の穏やかな海に出るか。
 時にはそれは命の選択肢ともなっただろう。

 この場所に立っている鳥居の背後には、社殿はない。そのかわり、コンクリートの壁沿いに、小さな祠などをかたどったいくつかの石造物が並べられていた。



 その中で俺の目を引いたのはこれ。海の民を象徴する海亀信仰だ。

 甲羅がリアル

 船越は二つの海に挟まれた幅200mほどの集落だが、平戸島本体の山と志々伎半島の山にも挟まれていて、その幅も200mほどしかない。つまり、200m×200mくらいの広さの小空間だ。
 その東端、平戸島本体の山際に沿って、ゆるくカーブしながら志々伎湾に向かって下りてゆく道がある。堤防前からその道をほんの5mほど歩くと、もう志々伎湾が見えた。

 志々伎湾が見える。これが船越の幅

 その道を下り、志々伎湾の岸に出た。この日の朝、バスが停車した場所だ。
 さっきの九州側の海とはまったく違って、真正面から強く冷たい風が吹きつけてくる。湾のいちばん奥だというのに波も荒く、泡立っている。

 志々伎湾。湾口に阿値賀島が見える

 船越には売店の1軒もない。俺は船越を後にして、志々伎湾に沿って北上した。

 船越から1kmほど北の峠道で振り返る

 2kmほど北上すると、志々伎湾岸の中心地である志々伎町に出る。ここには大きめの港があり、醤油作りなども行なわれていて、小学校・売店・飲食店・ガソリンスタンドなどもある。
 さらに志々伎湾の北岸を1kmほど西へ行くと、大志々伎町というところに出る。ここは水田のある農村といった感じの集落だが、海岸から志々伎湾を眺めた俺は、思わず「むっ」と小さくうめいた。
 志々伎湾の対岸に、船越が見える。

 大志々伎から

 上の写真の中央部、陸地がいちばん低くなっているところが船越だ。海に挟まれているだけでなく山にも挟まれていることがよくわかる。
 あの狭くて低くて細いところだけで、志々伎半島(写真の右側)は平戸島にくっついている。陸上交通が中心となった今日では、そのおかげで志々伎半島が孤島にならずにすんでいる。
 が、海上交通が中心だった古代では、「もしここが切れていれば・・・」と歯がゆい思いをした船人も多かったことだろう。

 船越、それはドラマである。  (07.5.6記)
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