ちぎれそうなところ



--船越を訪ねて--

 何気なく地図を見ていて、ドキッとすることがある。
 それは、「ちぎれそうなところ」を発見した時だ。半島の根元が大きくくびれ、もうちょっとでちぎれて島になってしまいそう。でも首の皮一枚でかろうじてつながっている。
 そんな地形に、俺のような変態的な地理オタクは興奮してしまう。

 そして、そういう場所にはたいてい「船越」という地名が付けられている。
 ここでまた変態の想像はかき立てられる。

 たとえば一人の船人が半島の根元にいたとしよう。ある日彼は船で反対側へ行きたいと思った。しかし半島をぐるっと回るのは遠いし、岬の先端部はたいてい流れのきつい荒海だ。
 それでも半島の幅が広ければ、そうするよりほかにない。

 だが、もしもその半島の根元が大きくくびれ、ちぎれそうな地形だったとしたら---。

 ここで人間は「船越」という行動をとることになる。船を担いで山を越えるのだ。

 そして船越現象がその強引さゆえに、過去さまざまなドラマを生んできたであろうことは想像に難くない。

 ちぎれそうなところ=「船越」地形、それは人類の進歩を支えた「少しでもラクをしたい」という願望が過激に凝縮された場所であり、存在そのものがドラマなのである。
 そんな場所を訪ねてみた。
 (冒頭写真:石垣島・ヌスクマーペー山頂から見た「舟越」)


平戸市・船越 (07.5.6)
渡来人たちの登った坂
志摩市・船越 (07.5.25)
堤防に遮断された海女の道
陸中山田・船越 (08.11.27)
公園と荒地のトンボロ越え
天橋立・船越 (09.5.8)
日本三景の砂州越えて
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