ちょっとした旅ホーム
三方五湖を歩く



(福井県美浜町、若狭町)

 2008年8月28日
 海の近くに5つの湖が隣接し、それらは複雑につながっていて、しかも淡水・汽水・海水とすべての湖で塩分濃度が異なるという三方五湖。
 地図オタクにしてみれば、そのややこしい地形を見ただけで身震いしそうになる。しかも2005年には水鳥の重要な生息地・休息地としてラムサール条約登録湿地にも認定された。

 でも、なぜかこれまで訪れる機会がなかった。
 そこで、仕事がらみで近くまで行った翌日を1日あてて、のんびりと歩いてみた。

 (ただし歩いてからすでに3ヵ月が経過しているため、記憶にあやふやな点がございます)



赤線が歩いたルート(上のほうから下のほうへ)
久々子浜久々子湖日向湖浦見川水月湖菅湖三方湖

久々子浜(くぐしはま)

 美浜駅周辺から海へ向かうと、松原集落に入るところで正面に神社があった。
 名前は書かれていないが、鎮守の森にすっきりと包まれた姿がじつに美しくて、いきなりここで休憩だ。

 
(左)どうですこの風景  (右)小さな拝殿と小さなスベリ台がよかです

 
(左)横の分社の両脇になにかいる  (右)なにこれ? ゴジラ犬? ちょっとこわい

 神社から西へ。久々子集落もまた美しい。正しい日本の田舎だね。
 途中で海岸に出てみた。堤防沿いには民宿がたくさん並んでいるが、夏の終わりの朝の海には泳ぐ人もいない。大学生の男子グループが5人くらいでビーチボールで遊んでいたのみ。

 
(左)久々子集落の道  (右)久々子浜。静かです。前方の小さな丘が飯切山

 行く手にこんもり茂った丘が2つ並んでいる。飯切山という名前で、この小さな山が海と湖とを隔てている。
 飯切山の2つの盛り上がりの間はぐいっと切れ込んだ低い峠になっていて、道はそこを抜けてゆく。抜けたところに久々子湖があるはずだ。


久々子湖(くぐしこ)

 坂を登って飯切山の切れ目に立つと、すぐそこに久々子湖が見えた。
 緑に囲まれた静かな湖水の、おだやかな風景だ。

 湖岸に沿って少し歩くと、橋に出た。久々子湖はこの橋のかかる小さな水路で日本海とつながっている。
 橋の上から水面を見ると、ちょうど海の水が久々子湖に流れ込んでいるところだった。久々子湖は満潮時に海水が逆流する汽水湖で、三方五湖の中では2番目に塩分濃度が濃い。

 
(左)峠を抜けると久々子湖が見えた  (右)橋の上から久々子湖を見る。海の水が流れ込んでいる

 
(左)この三角形のところで海水が湖水の下にもぐりこんでいる  (右)橋の上から海のほうを見る

 日本海の水は湖水よりもずっと澄んでいる。
 過去、汽水湖の出口を締め切って淡水化された湖はことごとく水質悪化に見舞われてきたが、その理由が一目瞭然だ。潮の干満は汽水域にとっての呼吸なんだな。

 橋を渡って早瀬集落を西へ。
 レインボーライン(観光用自動車道)の入口を過ぎると、再び海が見えてくる。

 レインボーライン入口のドライブイン廃墟


日向湖(ひるがこ)

 笹田の港を右に見ながら海沿いに進むと、前方にまた小さな橋が見える。
 あそこが日向湖の入口だな。

 
(左)湾の向こう(写真中央やや左)に小さな橋が見える  (右)橋のたもとに到着

 小さな橋はボヨンと盛り上がっていた。
 ここは日向湖と海との結節点だ。
 久々子湖と海との間は短いながらも水路になっていたが、ここはほとんど直結状態。海から湖まで100mくらいしかなさそうだ。

 
(左)橋の上から海を見る  (右)同じく、日向湖を見る

 美しい水の中を、海の魚がたくさん泳いでいるのが見える。日向湖の水は完全に海水で、タコ・クロダイ・ボラ・イワシなどが獲れるらしい。

 日向湖の周囲は盆のフチのように急傾斜の山が取り囲んでいて、平地はほとんどない。
 ここでは湖全体が漁港になっている。湖の内側に面した日向集落は完全に漁村だ。さっきの久々子湖の内側に面した早瀬集落とはまったく様相を異にしていて、ここが日本海の荒波から隔離された天然の良港であることがよくわかる。
 海の幸を供する民宿も多い。

 
(左)イカ釣り漁船などがひしめく  (右)たこつぼ漁もさかんなようす

 
(左)日向湖の南端近くから、海への出口を望む  (右)日向湖の奥には船の修理場あり。正面の丘の向こうは別の湖だ

 日向湖は最南端にトンネルが掘られ(1934年、嵯峨隧道)、南隣の水月湖とつながっている。が、そのトンネルは今は閉じられていて、水の行き来はないらしい。
 塩分濃度や深さの異なる湖を安易につなぐと、水質の問題がさまざまに発生するようだ。


浦見川(うらみがわ)

 日向湖の南東部から、また小さな峠道を越える。途中の林にニホンザルがいた。
 峠を下ると、水田が広がる。このあたりは久々子湖の南端に面しているが、字の名が変わっている。草かんむりにうかんむりを重ね、その下に丁の字を書いて「お」と読むらしい(左下写真)。
 「お」だぞ、「お」。「津」も短いけど、ローマ字で書くと「Tsu」と3文字になる。ここは「O」の1文字だ。意味がさっぱりわからない。

 
(左)「O」の標識  (右)お集落と水田

 農作業をしているおじさんがいたので、「お、とはどういう意味ですか」と聞いてみたが、わからないという。
 「ここの先祖はみな300年前に海山(みやま)から移って来た」
 ということだった。海山とは水月湖の西端にある集落で、西側の塩坂越で日本海と背中合わせになっている土地だ。湖と山に挟まれて、耕地は乏しい。

 しばらく進むと左手に久々子湖が見え、道はわりと大きな橋を渡る。この橋は、水月湖から流れ出て久々子湖へと注ぐ浦見川の河口にかかっている。
 浦見川は、人間の手で掘削された人工河川だ。この川は350年も昔に掘られた。

 それは、寛文2 (1662)年の春、マグニチュード7.6の大地震が若狭地方を襲ったことに起因する。
 それまで三方五湖のうち上流部にある水月湖・菅湖・三方湖の水は、菅湖の東端から流出し(古気山川)、北上して久々子湖へと流れていた。ところが寛文大地震によってその流路が隆起し、水路が閉ざされてしまった。3つの湖はあふれ、沿岸は大水害に見舞われて、多くの人家や田畑が水没したらしい。
 それをなんとかするために新しく掘られたのが浦見川だ。

 浦見川に沿って、上流の水月湖へと歩いてみた。

 
(左)久々子湖の南端  (右)橋の上から浦見川を見る

 
(左)ちょうど遊覧船がやってきた  (右)浦見河畔の船小屋つき家屋

 浦見川に沿う細い道は、南岸にだけついている。
 はじめのうちは川沿いだが、やがて道は上り坂となり、水面からぐんぐん離れてゆく。掘削部分は垂直の断崖であるため、道はずいぶん上の斜面にしかつけられない。

 掘削される前、ここは浦見坂という峠道だったようだ。40m以上の高さがあったが、1000人以上が両端掘りで掘り進めた。しかし岩盤が堅く、きわめて難工事だったらしい。「位置を西へずらせ」という神のお告げもあった末に貫通させることができたという。


水月湖(すいげつこ)

 峠を過ぎて坂を下ると、森影から水月湖が見えてきた。
 三方五湖の中で最大の湖。低く垂れ込めた雲間に浮かぶ湖影は神秘的で、まるで北海道奥地の湖かと錯覚するほどだ。
 浦見川がはじまる水口近くの高い場所に橋がかかっている。ここで、水月湖の北岸から西側へまわる道と、東側の菅湖にまわる道とに分かれる。
 後者を選んで、湖岸へと下った。

 
(左)水月湖が見えてきた  (右)端の上から見下ろした浦見川。江戸時代の難工事が偲ばれる

 
(左)湖畔に旅館が何軒か見える  (右)湖畔にある「水月館」の桟橋

 水月湖は塩水と淡水が半々の汽水湖だ。でも比重の大きい塩水は30m以上ある湖底に沈んだまま攪拌されないため無酸素状態となって、魚は上層の淡水帯(水深6mまで)にしかいないらしい。
 日向湖との間のトンネル水路が閉ざされたのも、そのことに関連している。つまり日向湖の塩水が流れ込むと無酸素水域が拡大してしまう。逆に日向湖では、大雨のときに水月湖から流れ込む水で湖畔が水没する恐れがある。

 地図には、水月湖と菅湖の間にある虹岳島半島を1周する点線が書かれてある。そこを歩こうと思って、手前にある旅館の敷地に忍び込んだが、その道はすっかりトゲトゲの多いヤブに埋もれていた。
 しかも雨上がりのために草は濡れており、ビショビショになるのが明らかなため諦めた。


菅湖(すがこ)

 切追(きりょう)集落にさしかかったところで、菅湖が見えた。
 湖の眺めもいいが、この切追というところがまたなんとも美しい湖畔の山里だ。手入れの行き届いた端正な伝統的な家屋が立ち並び、その軒先には競うように花々が咲き並んでいる。
 決して豪華でも立派でもない素朴な集落なのだが、まったくもって正統的な日本古来のキチンとした倫理観を感じさせられる。冗談抜きで、チリ一つない。
 そして、しんと静まり返っている。

 
(左)菅湖に出た  (右)切追集落。見事に美しい

 
(左)水屋とユリ  (右)菅湖の湖畔は梅林と水田に利用されている(冒頭の写真も)

 しかしここまで清潔感に満ちた村には、俺は住めそうにないなぁ。
 それにしても、ついさっき歩いた日向湖は漁港バリバリ業務優先というような風情だったのに、短い距離でこれだけ雰囲気が異なるとはね。

 雨がパラついてきた。
 切追を抜け、道が東へカーブするところで右折し、田んぼのフチに沿って南へ向かう細道に入る。このあたりは寛文大地震までは3つの湖の水が流れ出していた気山川の水口にあたる。
 細い道は菅湖の東岸に沿って南下し、三方湖・水月湖・菅湖の3つを分ける細長い半島の根元へと続いている。森と湖に挟まれた薄暗い道は、通る車もない。

 
(左)菅湖の向こうに、3つの湖を分ける細長い半島が伸びる  (右)菅湖東岸の道

 細長い半島の根元にたどりついたら、ここにも人工的に掘削された細い水路があった。
 三方湖と菅湖はこの水路によって直接結びついている。小さな手漕ぎ船がやっと通れる幅しかない細いものなので、水質環境に影響するほどのものではなさそうだ。

 菅湖と三方湖をつなぐ水路


三方湖(みかたこ)

 水路に沿って小さな峠を越えると、最後の湖、三方湖が見えてきた。
 これまでの湖とはまた違う。湖面が水草で覆われているぞ。なんだろう。ヒシかな?

 
(左)三方湖が見えてきた  (右)湖面を覆う水草

 5湖のうちこの湖だけが完全な淡水湖で、水深も浅い。大きな川が流れ込んでいるのはこの湖だけなので、富栄養化もいちばん進んでいるかもしれない。

 幸い、雨はやんできた。
 汽車の時刻が迫ってきたので、三方湖の東岸を早足で南下する。途中、大きな梅林の中を抜けた。このあたりはあちこちでさかんに梅が栽培されているが、梅の産地とは全然知らなかったなあ。
 やがて道は湖畔を離れ、三方の町へと向かってゆく。

 
(左)三方湖畔の梅林  (右)三方湖を離れてゆく途中に振り返る。待宵草の向こうに、5湖をとりまく山々

 JRの踏切を渡って右折し、三方町の市街地を貫く古い街道筋を急ぎ足で飛ばした。
 なかなか味わいのあるまちなみだ。ゆっくり歩けないのが残念。

 
(左)三方の旧街道  (右)渋い看板の金物屋

 三方石観世音の山門、残念ながら中を見る時間がなかった

 三方駅には、列車到着の2分前に間に合った。なんでいつも最後はこうなるのかね〜。

 のびやかな風景の久々子湖、磯の香り漂う日向湖、山に囲まれて深閑とした水月湖、切追集落の美しさにため息の出る菅湖、そして水草の繁茂する三方湖。
 これらが短い間隔で連続する三方五湖は、思った以上に美しく、地理的なおもしろさがギュッと詰まった歩いて楽しい場所だった。

 山の上から5湖を眺めると、塩分濃度や水深の違いから、それぞれが違う色に見えるらしい。次はぜひそれを見てみたい。

 でも結局、今回このアルキに何時間かかったのかは・・・うむむ〜、完全に忘れてしまったぞ。4時間くらいだったかな?
 「お」でおっちゃんと15分くらいしゃべったり、水月湖で20分くらいロスしたのも入れたら・・・あかん、思い出されへんわ。スマヌ。   (記:08.11.23)
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