韓国ちょっとした旅ホーム
こんじゅ(公州)

百済の栄華



2007年6月28日
(韓国・忠清南道)
公州のバス停で
公州国立博物館
公山城


公州のバス停で

 大和朝廷と関係の深かった韓国の古代国家・百済は、3度遷都している。
 最初はソウル近郊の漢城(ハンソン)、次が現在の公州(コンジュ)にあたる熊津(ウンヂン)、最後が現在の扶余(プヨ)にあたる泗批(サビ)。だんだん南下しているのは高句麗の圧力によるものだろう。
 熊津には63年間、百済最盛期の都が置かれたのち、高麗時代に公州と改名された。

 公州には百済の武寧王陵がある。武寧王は日本生まれだ。1971年にそれが未盗掘の状態で発掘され、当時の宝物がわんさかと出た。
 古代史ファンとしてはいちおうそのあたりを見に行っときましょう。

 韓国の真ん中あたりにあるテジョン(大田)の高速バスターミナル。
 声をかけてきたタクの運ちゃんに公州行きのバス乗り場を聞くと、徒歩5分ほど離れた東部市外バスターミナルだという。もー、いちいち別の場所なのよねえ。
 大田→公州は1時間10分、3500ウォン(約420円)。途中、ケリョン(鶏龍)山の近くの峠を越えてゆく。

 バスの窓からケリョン山

 昼過ぎに公州に着いてバスを降りたが、現在地が全然わからない。
 この時点で俺は、公州を貫流するクムガン(錦江)北側の高速バスターミナルに着いたと思い込んでいた。市外バスに乗ったら市外バスのターミナルに着くという原則がまだ身に着いてなかったのね。

 とりあえず武寧王陵とその近くの国立博物館に行こうと思ったが、そのへんのおっちゃんに聞いてもサッパリ。
 あたりを見回すと「市内バス→」の看板を発見したので、その指し示す方向へ行くと、ゴチャゴチャした市場の脇にゴチャゴチャしたバスターミナルがあった。
 人ごみを分けてゴチャゴチャした看板を一通り見たが、博物館行きを示す文字はない。きっぷ売り場もなし。

 それよりこのターミナルは見事なまでに老人で埋め尽くされている。狭い場所に大勢の人がひしめいているが、その99%がお年寄り。
 日本の市バスも昼間は年寄り客が多いが、こんなに大量の老人がたむろってる光景はあまり見たことがない。韓国の世代間ギャップというのは日本以上なのではあるまいか、少なくとも行動パターンに関しては。

 ともかくも、そのへんの爺さんや婆さんに「博物館行きはどれですか」「きっぷ売り場どこですか」と聞きまわったが、誰も要領を得ない。
 50代くらいのおばさんを見つけて聞くと、そのおばさんがさらに何人かの人に尋ねてくれて、尋ねられたうちの一人のおじさんが「ついて来い」というような仕種をする。
 おじさんの後をついて行き、到着したのは、最初にバスを降りた市外バスターミナルだった。ちょうどそのとき1台のバスが来た。おじさんは運転手に「博物館に行きたいという日本人がいるが云々・・・」と聞いてくれて、「このバスに乗れ」と教えてくれた。

 バスは冒頭写真の門を抜け、新しくできたような道路を走って、ものの3分ほどで停まった。バス停を示す表示もなにもない道端だ。
 運転手は俺に、「ここで降りて、この道をまっすぐ歩いていくとどうたらこうたら・・・」と言った。
 「ありがとう。いくらですか?」と俺が聞くと、一瞬考えて「300ウォン」(40円弱)と言った。
 どうやら博物館へ行くバスは存在せず、比較的近くを通るこの路線バスがなんとなく適当に俺を送ってくれたような感じだった。
 しかし、博物館へ行く公州市民はおらんのか?


公州国立博物館

 運転手に教えられた真新しい立派な道は、丘陵地帯にまっすぐ伸びている。
 歩いて行くと、右手に広がる丘が武寧王陵らしい。堀がないのでイマイチはっきりしないが、駐車場にそう書いてある。
 でも、けっこう歩いたが博物館らしき建物は見当たらない。「地球の歩き方」のテキトーな地図によると、このあたりなんだが。

 武寧王陵らしき丘

 道の左側には運動公園がある。体育館の前に5〜6人の若者がたむろしていたので「博物館はどこですか」と聞くと、リーダー格の体格のいい若者が道路まで出て説明してくれた。
 若者は俺に「チペニーズ?」と聞く。一瞬チャイニーズのことかなと思って首を左右に振り、「イルボンサラミエヨ(日本人です)」と言うと、軽く笑って「だからチペニーズでしょ」と言う。

 そうだった。韓国人は語頭で濁らないクセがあるのだった。「チペン」=「ジペン」=「ジャパン」なわけね。
 結局、バスを降りてから15分くらい歩いて、ようやく博物館にたどり着いた。

 真新しい国立博物館

 入館料はいくらだったか忘れたが、安かった。100円しなかったかもしれない。
 館内はガラガラだったが、館内は立派で展示は見応えがある。んでまたルール御免の写真まくりだ。

 
(左)武寧王墓であることを示す石板   (右)この古墳から出土したシンボル獣

 
(左)棺   (右)金の冠飾り

 
(左)金のイヤリング   (右)これも金の冠飾り

 
(左)小指の先ほどの石仏。感動的   (右)勾玉は日韓共通の遺品だが、ここのは金の帽子をかぶっている

 神獣鏡

 まあとにかく古代日本との関係を強く感じさせる遺物がいろいろあってクギヅケになる。

 朝鮮半島の歴史書「三国史記」によると、百済の皇女が日本へ向かう途中で産気づき、佐賀県呼子沖の加唐島で産んだのが武寧王だ。島で生まれたため「シマ王」の愛称で呼ばれたという。
 臨月の女が船で海を渡るんかい、という気もするが、この話は、神功皇后が臨月になってから朝鮮半島を攻めたという日本側のエピソードとの関連を感じさせる。神功皇后は帰国してすぐ博多の近くで応神天皇を産んだことになっている。

 博物館の出口あたりの展示をゆっくり見ているとき、日本人のおじさん団体が後ろから追いついてきた。そういや百済古跡見学を含むツアーの広告がネットに出てたなあ。
 女性ガイド(現地の韓国人)は俺を見て、「一人で韓国の古墳をまわっているのですか」となぜかとても驚いていた。べつに古墳をまわってるわけではないが。


公山城

 博物館を出て、百済時代の古城である公山城(コンサンソン)へ向かった。
 でも道がわからない。住宅地や学校前や繁華街を1時間以上歩いたところでヒョッコリと、最初に公州に着いたときのバス停に出た。
 この時点でようやくそこが市外バスターミナルであったことに気づいたアホな俺だ。なんか、これまでサッパリわからんかった公州の地理が、突如としてパァ〜っと霧が晴れたようにわかってきたぞ。

 公山城の入口はバスターミナルの少し北にあった。

 
(左)公州の中心的な通り   (右)公山城の入口と復元された城門

 坂を登って復元された石垣の城門から内部に入ると、ちょっとした高台になっている。
 公山城は錦江ぞいの小さな丘の上に築かれていた城で、西側の城壁部分が最も高く、東側の錦江に面した側に向けて傾斜している。
 城門は西側城壁の北西端にあたるようだ。

 ゆるやかな坂を下ってゆくと、城域の東側はそのまま錦江の堤防になっており、川からの出入り口らしき思われる楼門がある。
 そこからUターンして再び細い山道を登ってゆくと、城の心臓部があったと思われる区域に出た。

 
(左)錦江に面した楼門。川からの入口   (右)そこから見た錦江

 尾根筋へ登る

 そこに復元された楼門、およびその地形を見て、びっくりした。岡山の鬼ノ城に、あまりにも似ているではないか。
 鬼ノ城は、百済から渡来した温羅という人物が築いたとされているわけだが。もう両者の関連が一目瞭然だ。
 そこからずっと城壁があったとおぼしき断崖に沿って歩いたが、ますますもって鬼ノ城だ。鬼ノ城を訪れたことのある人ならば興奮せずにいられないだろう。

 
(左)この門のかたちといい   (右)門の外側の切れ落ち方といい

 
(左)この道。鬼ノ城ではここが石畳になっていた   (右)公山城の案内図

 あちこち歩いたのちに最初の城門近くに戻ってきたら、日本人の観光ツアー客の一団がいた。10人くらいで、おばさん7対おじさん3くらいの割合。韓国人の女性ガイドに率いられている。
 耳を澄ますと大阪弁をしゃべっているので、話しかけたらなんと、俺の出身地である北河内地方からのグループだった。
 そばにある小屋で百済王族のコスチュームに着替え、記念撮影用の御車に乗って交替で写真におさまっている。これって北海道のアイヌ部落でもやってるよね。なんとも平和な風景っちゅーか。

 
(左)ザ・日本人。カメラを構えている人は俺と同郷の寝屋川市民  (右)城門には百済の衛兵が

 彼らは2泊3日で、ソウルのロッテホテルに泊まっているという。博物館も行ったそうだが、さっき俺が会ったグループとは別のようだから、けっこう1日に何組も来ているみたい。百済の旧跡って意外にポピュラーな観光地なんだな。韓国人はほとんどいなかったけど。
 今日はこれでソウルへ戻るらしい。
 「明日はどこへ行くんですか」
 とおばさんの一人に聞いたら、
 「明日はチャングムよ、チャングム」
 と言っていた。チャングムってたしかドラマのタイトルだと思うけど・・・おそらく水原(スウォン)のロケ地にでも行くのだろう。

 このツアーのガイドの韓国人女性に高速バスターミナルの場所を聞くと、「とても遠いです、バスかタクシーがいいです」と言う。歩いていくと言うと、「えっ、でも遠いですよ」と驚かれた。
 城門を出たところには、来たときにはいなかった衛兵コスチュームの人が立っている。日本人の観光客が来る時だけ立っているんだな。

 城門の下の案内所のおじさんにも念のためにターミナルの場所を確認した。やはりタクシーを薦められたが、歩いたら20分くらいだという。たいした距離とちゃうやん。

 ターミナルは錦江の対岸にある。
 そこへ向かう途中の橋の上からは、公山城の全体がよく見えた。

 
(左)錦江にかかる橋から上流を見る。右手が公山城   (右)同、中央部にさっき見た堤防上の楼門あり

 公州の町自体は、なんの変哲もないゴチャゴチャとした韓国の小都市だ。かつての百済の都を感じさせるような(日本の京都や奈良のような)風情ある街並みはまったくと言っていいほど存在しなかった。

 百済は日本との関係は深いが、負けて消滅した国だけに、見栄えのする遺跡はもともと少ない。
 そこにピカピカの博物館や復元された城跡などが、とってつけたように整備されている。
 おそらくは日本人観光客が来るようになって、大急ぎで整備されたのではないか。そんなケハイを感じさせられた。 (記:2008.11.24)

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