韓国ちょっとした旅ホーム
くんさん(群山)

日本家屋が残る町



2008.1.31〜2.1
(韓国・全羅北道)
注:旅行から1年以上経過してから書いているため、記憶は多分にあやふやでございます。

クンサンへ

 光州(クァンジュ)からソウルへ戻るのに、どっか途中の小さな町で1泊することにした。なぜかというと、田舎のほうがボロ銭湯が残っているのではないかという変態的理由による。

 10:40、バスターミナルから群山(クンサン)行きのバスに乗った。9700ウォン(当時レートで1000円ほど)。
 べつにクンサンに何らかの目的があるわけではないが、ここは錦江(クムガン)の河口、すなわち古代に百済救済の名目で押し寄せた倭軍が唐と新羅の連合軍と戦ったあたりと考えられる。

 それと、少し前に見た韓国映画「8月のクリスマス」のロケ地ということにも少し魅かれた。
 その映画はなにかよくわかるようなわからんような映画だったけど、懐かしさを感じる日本家屋の家並みが何度も出てくるのが印象的だった。第二次大戦後、日本文化を徹底否定した韓国で日本家屋が残っているのは珍しい。
 朝鮮戦争後に再建されたためかどうかは知らないが、それまでに俺が訪れた韓国西部(全州・公州・プヨ・水原・光州・木浦など)のまちなみは、韓屋(ハノク)を保存した特別な地域を除くと、四角四面で道路も広く、町歩きの面白みには欠けた。むしろソウルの路地裏のほうが味わいがある。
 それで、あの映画に出てきたクンサンならぐねぐねの路地なども残っているのではないかと期待した。そして古い銭湯も。

 12:30、クンサン駅の裏側にあるターミナルに到着。腹が減った。
 駅の正面にまわって食堂を物色したが、連日連夜の韓国料理にやや食傷気味だったので中華料理屋に入った。思えば韓国で韓国料理以外の店に入るのは初めてだ。
 ここで何を食ったか忘れたけど、中華料理には万国共通のクオリティがあってよろしい。学生時代にアメリカを旅行したときのことを思い出した。アメリカのまずい食い物に辟易していた俺は、旅行の後半はどの町へ言ってもまずチャイナタウンを探して飯を食った。
 当時俺は京都のホテルの中華料理店で4年間バイトしていたし、餃子の王将無料試食券を100枚近く収集して毎日それを消費していたから、俺の体液の半分はごま油のギトギトで形成されていると言っても過言ではない。中華=わが青春の食い物なのである。

 どうでもいい中華料理で脱線した。とりあえず腹はパンパンだ。
 冷たい風の吹くなか、旧市街と思しき一帯を目指して歩く。たいていどの町もそうだが、鉄道駅から旧市街は遠い。適当に歩いていたら道を間違えてずいぶん遠回りをしつつ旧市街らしきあたりへ来た。

 しかし思ったほどゴチャゴチャしてないなぁ。ほかとたいして変わらんのではないか。
 まずは高台から街を眺めてみるか。市街の西端にある小高い丘に登ってみた。



 丘のてっぺんには軍事関係の記念碑がいろいろあった。朝鮮戦争のものと対日抗戦のものとが並んでいる。後者の碑文は漢字交じりなので内容がある程度は読み取れる。
 韓国といういわば「現地」で「日帝植民地主義」という文字を読むのは、日本で戦争を考えるのとはまた違って、新鮮な思考が流れ込む感じがする。
 抗日は朝鮮半島の歴史にとって重要なキーワードだ。日本の「原爆」にも似ているかもしれない。考えの方向性を問わず、それについて考えるとき人々の背筋は伸びる。それは一種のアイデンティティでもあるといえるだろう。

 街の見える場所を求めて尾根を歩いたが、いちばん見えた場所でこの写真。



 手前の松の木で群山の町はほとんど隠れているが、錦江の流れは見える。向こうの山の左側から、「つ」の字を描いて蛇行している。あの上流にプヨがあり、もっと上流に公州がある。

 丘から下りて、河口の港へ行ってみた。
 日本のようにそこらじゅうすべてが岩壁で固められていない感じがよい。

 
(左)泥の浜   (右)川の上流方面
 
(左)海の方面、川の対岸は長項(ちゃんはん)   (右)変な魚が干されている

 古代ここに攻め込んだ倭軍は、この河口の干満の差の激しさに対処できなかったことが敗因の一つだったとも言われている。
 インチョン空港を利用した人ならご存知の通り、韓国の西側(黄海側)は大きな干満の差によって、広い干潟が発達している。上右写真のオタマジャクシの化け物みたいな魚は、たぶんその干潟の泥底に住むワラスボか何かの仲間なのだろう。

 クンサンに着いて寒風の中を2時間ほど歩いたので、体が冷え切った。
 港の近くに「とんべくじゃんよぐぁん」という小さな旅館があった。改装して間もないようで小奇麗な外観だったので、今夜はここに泊まることにした。

 階段を上がって受付らしき窓口をのぞくと、狭い小部屋の中で50歳くらいの男たち4〜5人が車座になって花札をしていた。
 「あんにょんはせよ〜、ぴんぱんいっよそ?(空き部屋ありますか)」と声をかけると、おばちゃんが出てきた。
 俺をチラッと見た男たちの一人が、花札の手を休めずにこうつぶやいた。
 「マレーシアインッカ、インドネシアインッカ・・・」(マレーシア人か、インドネシア人か・・・)
 たしかに山歩きで日焼けしてるし無精ヒゲもボーボーだが、俺の顔は日本人としては朝鮮系(いわゆるショウユ顔)に近いと思うんだけど。でも本物の韓国人と比べると南方チックなのかもしれない。
 「いるぼんさらみえよ(日本人です)」
 と言うと、男たちはなぜか黙ってしまった。

 おばちゃんに洋室を見せてもらった。広くてきれいでテレビもベッドも大きくて2万5000ウォン。ここはオススメだ。いい宿を見つけたぞ〜。
 と思ったが、あとで「地球の歩き方」を見たら載っていた。


街を歩く

 部屋で少しだけ休憩してから、タオルと石鹸だけ持って、今度は街の散策へ出かけた。

 日本時代、群山は日本へ向けての韓国米の積出港で、「米の群山」とも呼ばれたらしい。当時は日本人のほうが多かったともいわれている。
 そのせいで日本家屋も多く残っているらしい。

 
(左)日本式の瓦屋根と、銭湯のれんが煙突(廃業)   (右)けっこう並んでいる

 
(左)唯一の狭い路地    (右)「8月のクリスマス」に出てきたチンミシッタン(珍味食堂)は閉まっていた

 
(左)日本家屋を改造した料理店    (右)なんかちょっといい感じ

 「8月のクリスマス」のロケ地あたりも歩いたが、まちなみ自体には思ったほどひなびた風情はない。ごく普通に碁盤の目に道路が走る韓国の街だ。
 ただし日本風の家はたしかに多い。だいぶ古びてはいるが、旧市街の区域で4分の1くらいを占めるかもしれない。

 ところで銭湯だ。旧市街は狭い範囲であるにもかかわらず、4軒くらいの銭湯があった。でも、どこも新しいビル状になっている。
 古い銭湯煙突は他にも何本か立っているが、廃業した様子。韓国でも日本同様、銭湯の廃業がすすんでいるようだ。

 営業中の銭湯のうち、いちばんレトロな趣のある「ハンド湯」に入った。ハンド旅館併設。ハンドを辞書でひいたら「港図」、港の出入りに必要な海図のことらしい。

 
(左)はんど湯   (右)ゴージャスな感じのタイル張り

 フロントで3000ウォン(当時レートで360円くらい)を払って中に入ると、下足場に靴磨きの人がおり、脱衣所には縦長ロッカー、浴室は真ん中に体洗いのためのくみ出し専用槽があって、大阪的な浴槽とサウナ&アカスリスぺースありという、ごく標準的な韓国銭湯だった。

 風呂上がり、晩飯&ビールだな。でも旧市街はどうも閑散として、繁盛してそうな店が見当たらない。港の近くの刺身店に行ってみたら、今日は魚が入っていないと言う。ていうかそのへん一帯に人影が全然ない。

 そこで東側の繁華街へ行き、居酒屋みたいなところへ入った。
 でも、そこはわりと大バコで、どっちかというとグループで来るような感じの店だった。しかも韓国料理というわけでもなく、メニューはさっぱりわからない。
 感じのいい店のにいちゃんが「焼肉にしますか?」と言うので、「はい。それをください」と言うと、「焼肉は2人前からです」と言う。
 「でも私は一人です。一人前のうまい料理をください」と言うと、ホイコーロの肉ばっかりみたいなのが皿に盛られてきた。量はたくさんあったが、肉はやや硬かった。
 とりあえずそれとキムチその他を食いながらビールを3本ほど飲んで店を出た。18000ウォン(約2200円)。

 これ食った

 コンビニに寄ってさらにビールとおやつと翌日の朝食用パンなどを買い、宿に帰ってテレビを見て寝た。


川を渡る

 翌朝は8時に宿を出て、港から船で対岸のチャンハン(長項)へ渡ることにした。そこからはソウル方面へ鉄道のローカル線が走っているはずだ。
 朝の群山は凍てついていた。氷点下に澄み切った空の下、背中を丸めて船着場へ行くと、小屋の中で数人の男たちが暖を取っていた。「船に乗りたいんですが」と声をかけると、あっちの事務所でチケットを買えというようなジェスチャーをする。

 指差された事務所のようなところへ行くと、カウンターに40歳くらいの女性がいた。船は8時半に来ると言う。船賃は1500ウォン(約180円)だった。俺はそれを支払った。
 そして女性は俺に何かを言ったが、聞き取れなかった。俺が首をひねると、彼女はゆっくりとこう聞きなおした。

 「なぜ、チャンハンに行かれるのですか?」
 「トレイン・ステーションに行きたいのですが」(鉄道をどう言うかとっさに出てこなかった)
 「チャンハン駅は、今年から違う場所に変わりました」
 「え?」

 彼女はカウンターから出てきて、壁に貼られた地図を示しながらこう言った。
 「昔の駅は港から歩いて行けましたが、新しいチャンハン駅はとても遠いです」
 あらら・・・と思っていると、その女性は紙に何かを書いて俺に渡した。

 「チャンハンに着いたら、近くの人にこう聞いてください」
 その紙にはハングルでこう書かれてあった。

 「シンチャ カヌンボス タヌンゴシ オディエヨ?」(新チャンハン駅へ行くバスの乗り場はどこですか)

 俺はこの瞬間、もっと韓国語を勉強したいと真面目に思った。もう少ししゃべれるようになって、今度またこの女性に会ったらもうちょっとはマトモに世間話をしたいと思った。
 わずかな時間のやりとりだったが、彼女の対応や口調はじつに感じのいいものだった。こんな寒い朝、こんな田舎のさびれた渡し舟乗り場に、こんなに素敵な女性がいるなんて。このタイミングで気のきいた言葉の一つや二つを交わせないようなヤツはダメだろう。
 ちょっと惚れてしまったのかもしれない。

 船は時間通りに来た。乗客は俺以外に4人ほどだった。

 
(左)船が来た   (右)離れてゆくクンサンの街

 チャンハンへ向かう。工場が多いようだ

 はじめは甲板に出て写真を撮っていたが、あまりの寒さにおれなくなって2分で船内に入った。船頭は「ここがあったかいよ」というようなことを言って、ストーブの位置を教えてくれた。

 チャンハン港へは10分ほどで着いた。
 待合室の近くにいた人に、さっきの彼女に教わった通りに尋ねた。するとその人は、
 「バスはなかなか来ないからタクシーで行くほうがいいです」
 と言って、バス停の場所は教えてくれなかった。
 なかなか来ないバスを待つには、この日は寒すぎる。道路へ出ると、すぐに流しのタクシーが走ってきたので思わず止め、「新チャンハン駅へ」と言って乗り込んだ。
 
 新チャンハン駅へは意外に早く着いた。タクシー代はわずか1800ウォン(約210円)だった。これなら歩けたかも・・・と思いつつ駅の入口へ行くと、駅は閉鎖されていた。しまった、これは旧チャンハン駅だ!
 とっさに振り返ると、さっきのタクシーはもう行ってしまっていた。
 俺の発音が悪かったのか。いや、彼女の言いつけを守らなかった罰に違いない。

 来た道を少し戻ると、アーケードのある道に出た。向こうからじいさんが歩いてきたので、そこで再び、さっきの彼女に教わった通りにバス停の場所を聞いた。
 じいさんはキョロキョロしたのちに、近くのバス停を指差した。信頼性に微妙な疑問符もついたが、じいさまの言うバス停でしばらく待った。
 しかしバスはいつ来るともわからず、とにかくじっとしてると寒くてたまらない。
 俺はまたもや彼女の言いつけを破ってタクシーを止めた。
 「新チャンハン駅までお願いします」と言うと、タクシー運転手は「あ?」と聞き返す。もう一度同じように言うと、運転手は、
 「しん、ちゃ、は、よっ」(新チャンハン駅)
 と1語ずつ区切って正しい発音を教えてくれた。「しん」にアクセントを置くべきところを、俺は「ちゃ」に力を入れていた。関西人は「新大阪」でも「新神戸」でも、2番目に力を入れてしまうクセがあるのだった。

 タクシーはチャンハンの町を抜け、郊外を走り、高速道路をくぐって、猛スピードで10分以上走ってようやく正真正銘、ぴかぴかの新チャンハン駅に着いた。5300ウォン(約650円)だった。

 シン、チャン、ハン、ヨク

 おしまい。 (記:09.3.3)
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