チープ&ディープな男の旅路・県庁所在地シリーズ

松山

---灼熱むんむん---

(2006.8.1〜2)



 「県庁所在地シリーズ」は事実上、挫折した。
 だって県庁所在地を歩いてもツマラン。これはもはや明らかだ。
 しかし、その地方を代表する都市がことごとくツマランというのは、これはこれで由々しき状態といえる。だから今後は、そのツマランぶりを検証する旅と位置づける。

 ていうか、まあ早い話が、せっかく行ったからメモっときます。
 (でも松山へ行ってから4ヵ月近くが経過した。記憶はそーとーいいかげんです)

蒸し暑い夕方から夜裏切りの松山城邪馬台国松山説?郷愁の港

蒸し暑い夕方から夜

 今治での仕事を終え、松山駅に着いたのは夕方だった。
 この日はとにかく暑い中をずいぶん歩いたこともあって、この時点でけっこう疲労を感じていた。

 松山駅前には特にこれと言ってなにもないが、唯一、巨大なパッティングセンターのビルが目立っている。さすがは正岡子規ゆかりの野球王国という感じだ。
 松山の高校球児たちは練習帰りにここでバッティングの復習をやっているのだろうか。

 この日の宿は中心街の大街道(おおかいどう)付近。だが、松山駅はそこから2kmほど離れている。
 とりあえず中心街へ向かって東へ歩く。市内電車の線路を渡ってしばらく行くと、また電車通りに出た。
 路面電車は高度成長期に「交通の妨げになる」として全国で消滅していった。残っている町でも、なんとなく遠慮がちに走っていたりするが、ここ松山では妙に堂々と市内交通を担っている。この堂々ぶりは広島と双璧ではないか。
 感心しながら線路に沿って南下すると、この市内電車のターミナル、伊予鉄松山市駅に出た。JRよりよっぽど立派なビルだ。観覧車までついてるぞ。

 
(左)松山城の南を走る路面電車  (右)いよてつ松山市駅

 せっかくだからちょっとだけ乗ってみようかな〜という出来心がにわかに芽生え、発作的に横河原行きに乗った。駅間がかなり短かかったので、歩いて戻れそうな2駅目で下車。たしか伊予立花という駅だった。けっこう人情味を感じられる下町ふう住宅地で、開放的な感じのいい銭湯も発見。

 電話帳に載ってない

 しばらくそのへんをぶらぶらしてから、下町を真っ赤に照らす夕陽を見つつ石手川を渡って中心部へ戻る。すぐに大街道の商店街に出た。

 
(左)かわいい待ち合わせ場所   (右)「もう少し一緒にいていいですか」とフキダシがついている

 大街道

 その周辺の飲み屋街をしばらくウロつき、居酒屋で魚などを食って、宿へ入ったのが9時すぎ。それから路面電車で道後温泉へ向かう。
 道後温泉駅前の商店街はすでにシャッターも閉まって閑散としているが、温泉はまだ営業中だ。国の重要文化財・道後温泉本館の湯は2ランクに分かれている。ここへ入るのは3度目だが、いつも安いほうの「神の湯」だ。
 時間が遅いせいで空いていた。やっぱ気持ちエエわ。レポートこちら

 
(左)道後へは路面電車で   (右)重要文化財・道後温泉本館

 風呂から出たら、すでに路面電車は終了してて交通機関なし。
 仕方がないので宿まで2kmほど歩いて戻るが、町の空気がやたらと蒸し暑くて、なにか霧がかかったかのよう。ましてや温泉にたっぷり浸かったあとなので、すぐに汗がにじんでくる。
 電車の終わった夜の街を自転車で走っている人が多い。松山は自転車サイズの町なんだな。

裏切りの松山城

 一夜明けて、さて今日は松山観光でもしようかと宿を出たら、まあ暑いの暑くないのってアンタ、そのへんを歩いている人を順に捕まえて「ここはアマゾンのマナウスですか」と全員に聞かねばならんくらいに熱帯雨林気候。
 その中をアンタ、松山市民がクソまじめにネクタイなんかを締めて出勤しとるでアンタ。すごいねえまったく日本人ってやつあ。
 と、そのどうしようもない暑さと湿気に辟易しながら、松山城周辺の観光ポイントをまわる俺も俺だ。

 死にそうに蒸し暑い松山、緑の丘は松山城

 で松山といえば漱石とか子規とか。そのへんのユカリの建物でも見ようかな。じつをいうと俺、漱石は中学時代にほとんど読破したんだよな、意味もわからず虞美人草。
 でも駅でもらった観光マップは、イマイチわかりにくい。ロープウェイ通りからは行けないのかよコンチキショーの汗ミドロ。
 無駄歩き30分、ぐるっと山の南側へまわって、やっとたどりついた漱石地帯。

 
(左)漱石が最初に下宿した場所らしい   (右)旧松山藩主が大正期に建てた洋館、今は美術館

 漱石が2階、子規が1階に住んだ愚陀仏庵

 さてそこから松山城へ登ろうと思ったら道がねーでやんの。六甲山で鍛えた俺をバカにすんなよ、道なんかなくても登ってやるぜ。
 と森の中の斜面を驀進していたら、2メートルくらいのコンクリ壁に行く手を阻まれた。クソーこの暑いのに何しやがんでえ江戸っ子をナメんじゃねえ、って俺ベタベタの関西人か、はははは〜。もう暑さで狂ってきた。
 そばの木によじ登ってコンクリ壁を越える。くそ、ご丁寧にも壁の上には有刺鉄線なんか張りやがって殺す気かバーロー。

 やがて松山城ロープウェイの山上駅近くに出た。ざまあみろ、ロープウェイ代を稼いでやった。
 いかつい石垣を回り込んで本丸へ、さあ、日本に12の木造現存天守閣だ、と思ったら・・・あれ?

 
(左)見事な石垣を回り込むと・・・   (右)な、ナヌ? あれが天守閣か・・・?

 しゅ、修理中・・・。
 それでも見学路は営業中。きっぷ売り場のねーちゃんに聞いたら、最上階まで登れるらしい。松山の眺めは小天守から見えるんだと。
 じつは松山城は二度目だが、せっかく来たので正規料金を払って中に入る。

  
(左)こっちは生きてる小天守   (右)門を入ると中も工事中、あ〜あもう

 
(左)天守閣の最上階、ここから松山市外が一望に!   (右)望遠鏡の向こうに見事な景観

 どんなに暑い日でも、木造天守閣の最上階には涼しい風が吹いているものだ。
 だが、工事用の防音防塵布で覆われたそこはフィンランドサウナだった。
 しかしここで作業しておられる工事の方々もおられるわけね。

 早々に小天守へと移動。うむ、こっちからはよき眺めじゃ。

 小天守、こちらはひんやり

 
(左)南東方面、城山の尾根筋が広場になっている   (右)南西、海のある方角

 眺望を堪能して外へ出たら、暑さのあまり脱水状態になりかけている自分に気づく。
 本丸広場でやっと自動販売機にたどり着いたら・・・げっ、フツーより50円くらい高いじゃねえか足元見やがって。でも我慢できずに500mlを買って一気飲みだ。

 少し人心地を取り戻し、下りももちろんロープウェイなんか使わずに脇の道を歩いて降りた。

邪馬台国松山説?

 さて、松山でちょっと行ってみたいところがあった。樽味四反地(たるみしたんじ)遺跡。なんじゃそれ。いや、また古代史マニアの悪いクセが。

 松山市街地のはずれあたり、愛媛大農学部のある樽味というところ。田んぼの舗場整備にともなう調査で、最近、どえらいもんが見つかった。

 何が出たかというと、弥生時代終末から古墳時代初頭のものと考えられる、床面積128.60uという西日本最大級の総柱建物が見つかった(1998年)。さらに2003年の調査では、それを越える床面積152.9uもの超大型の高床建造物が発見された。
 有力者の居館跡である可能性が高いと考えられているようだが、この時代のこんなデカイ建物は、吉野ヶ里や奈良のマキムクにもありゃしない。

 弥生末期から古墳前期というと、邪馬台国から大和朝廷へと権力が移り変わる時代だ。そのとき、松山に日本トップクラスの権力者がいたことになる。

 そういや、関西から見ると松山は四国の西の端っこ、なんでそんな辺鄙な場所に四国最大の町があるんかいな〜と不思議に思っていた。
 が、ここで視点を変えて、古代日本の玄関口である関門海峡から見てみようじゃないか。日本海から関門海峡を抜け、瀬戸内海に入って東を目指したとき、真正面で両手を広げるようなかたちで最初に現れる大きな平野が松山平野なのですね。

 そういや、邪馬台国のヒミコの跡を継いだ女王の名をトヨと読むかイヨと読むかで意見が分かれている。ある人はトヨと読み、それを宇佐神宮のある豊の国(のちに豊前・豊後に分割された。今の大分県と福岡県東部)と関連付けている。
 しかしこれをイヨと読んだ場合、伊予、すなわち今の愛媛県、松山ということになるのではないでせうか・・・。

 そういや、魏志倭人伝の「陸行〇日、水行〇日・・・」をどう読むかで邪馬台国の場所が筑紫説と大和説に分裂しているが、両者の中間には松山があるのではないでせうか・・・。

 もともと松山は、オオナムチ(オオクニヌシ)と争って死にかけたスクナヒコナが道後温泉の湯に浸かって復活したというエピソードがある古い土地柄。西日本各地に残るオオナムチとスクナヒコナの伝説は、この時代の渡来人らの開拓や争いを描いたものとも目されているわけだが・・・。

 ともかく、当時の勢力図を塗り替えるようなこの超大型建物の発見によって、古代日本の核として考えられてきた筑紫・出雲・吉備・大和に、今後は伊予も加わってくると考えていいのではないだろうか。

 興味のない人スマヌ。
 遺跡は発掘が終わったら埋め戻されているので、たぶん行ったところで何もないだろうが、地形だけ見ておきたいという地理オタクのバカな考えはどうすることもできない。

 松山城から灼熱地獄の市街地を2kmほど歩き、石手川を渡る。ペッタンコの土地に田んぼが広がっているが、どのへんかな・・・。

 石手川、きれいな水

 
(左)このあたりの田んぼだと思うが・・・   (右)おや? あの不自然な黒布と青シートは?

 あったぞ、巨大建物の掘立柱と溝跡か? 土器もごろごろ

 期待してなかったのに、発掘途中の現場を発見した。でも誰もいない。

 マキムクのような扇状地の微高地なのかなとなんとなく思っていたんだが、どっちかというと唐古・鍵遺跡に似たペッタンコの平地だった。超巨大建造物は、稲作集落の真ん中に建っていたのだろう。
 もしかしたら、古代にはこの近くまで海が入り込んでいたのかもしれないな、などとしばし古代妄想にうつつを抜かす俺であった。

郷愁の港

 時刻はお昼前。午後はフェリーで本州の呉へ渡るつもりだ。
 だが、フェリーが出る堀江というところはJRで北条方面に3つ目の駅で、時刻表を見たら、フェリーに接続する列車まで時間があまりない。ありゃりゃ。
 バス停で駅へのバス時刻を見るが、本数が少なすぎて話にならない。

 やむなく遺跡から勝山町の路面電停まで1.5kmのジョギングだこの暑いのにヨォ。

 で、キワドイ時刻に駅にたどり着き、ダッシュで改札を抜けようとした瞬間ガタコン〜ガタコン〜ておいー!

 ・・・次のフェリーは2時間後。
 だが精魂尽き果ててもう動く気がしない。
 急激に空腹をもよおしたので、まずは駅構内のうどん屋でうどん定食を食い、次に隣の構内レストランでツマミとビール。そしてビール。んでまたビール・・・。

 アルコールの力を借りて人間に戻り、2時間後のJRで堀江に移動した。

 堀江駅を出た瞬間、目の前に展開される「片田舎〜!」な風景が素晴らしい。夏の片田舎は俺の心にざわめきにも似た熱い郷愁を呼び起こす。
 駅を出て3分も歩けば海だ。いいねえ。こういうところで泊まってゆっくりしてもよかったかな。

 左に曲がれば、ひなびたフェリー港がある。
 岩壁から海を覗くと、水の透明度はなかなかのもの。黒っぽいチョウチョウウオのようなシルエットがたくさん泳いでいる。

 フェリーの乗船賃は呉の阿賀港まで2時間弱、旅客1600円。
 きっぷを買って30分ほど待つ間、冷房の効いた待合室の長椅子に寝そべってアイスキャンデーを食べた。

 やがてやってきた船はけっこう立派だが、船内はガラガラだ。
 缶ビール片手に甲板に出て、遠ざかる四国と瀬戸内の島々をしばらく眺める。

 
(左)フェリー船上から堀江の漁港を眺める   (右)北側はのどかな砂浜、泳ぎたい!

 
(左)おぉ?北条方面に気になる島と山のコラボレーション   (右)のぐつな島などの横を通る

 さらば四国

 こうやってずっと眺めていたいと思ったが、あまりの暑さにちょっと船内に避難し、ソファーに寝そべったら・・・思いっきり寝てしまった。
 呉に到着とのアナウンスで目が覚めた。しまった、せっかくの瀬戸内クルーズが。

 阿賀港の海は、堀江港の海よりずいぶん濁っていて、とても泳ぐ気がしない。同じ瀬戸内海でも違うものだね。

 というようなことで終わった松山の1泊だった。  (06.11.26記)
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