チープ&ディープな男の旅路

奈良

---路地裏に日が暮れて---

(2003.7.11〜12)




 僕は大阪で生まれ育ち、学生時代は京都に住み、今は神戸に住んでいる。この三つは、旅の対象としてはあまりに身近すぎる。
 そうすると、それ以外で一番近場の県は
奈良県だ。

 奈良県には過去何十回も行っている。高校時代は自転車でよく走ったし、会社員時代には出張で橿原の旅館に1ヵ月近く滞在したこともある。去年も仕事や遊びで何度か訪れた。
 だがよく考えてみると、県庁所在地の奈良市については、寺などの観光地をいくつかまわったり、あるいは仕事で書店をまわったりしたことがあるだけで、街自体をじっくり歩いたことはない。近いがゆえに宿泊したこともないし、心臓部の奈良町(ならまち)も未体験ゾーンだ。


 
というわけで40歳からの旅路・県庁所在地シリーズは、奈良市から始めることにした。近場といえど世界遺産の観光都市、関西以外の人にとっては旅の目的地として不足はないだろう。
 例によって徹底徒歩、安宿素泊まり銭湯利用のチープ&ディープな旅である。

【前編(1日目)
茅葺村の着物美女---興福寺から奈良公園・春日大社
路地の少女---春日大社から白豪寺・新薬師寺かいわい
銭湯と宿屋---奈良町かいわい
秘密の路地裏---夜の奈良町での出来事


【後編(2日目)】はこちら

 茅葺村の着物美女---興福寺から奈良公園・春日大社

 近いことはいいことだ。
 金曜日の午前中は編集室で雑務をこなし、ちょうどお昼に出発した。阪急電車・JR環状線・近鉄奈良線と乗り継いで、1時20分にはもう着いた。近鉄奈良駅は地下にある、小奇麗で近代的な駅だ。
 地上に出ると、ものすごい暑気と湿気。
 奈良市でいちばんにぎやかなアーケード街「東向(ひがしむき)通り」が南へ向かって伸びている。一番賑やかといっても、道幅も狭い小さな商店街で、ここを歩くだけで奈良という街の規模が知れてしまう。

 この通りはもう何度も歩いているので、途中で左の坂道を登ってみた。
 するとそこはいきなり世界遺産興福寺で、国宝のお堂や五重塔がボンボン立っている。

  駅前遺産です。シカちゃんも元気

 その南側の猿沢池に出て、とりあえず東の春日大社方面へと歩く。
 一の鳥居から、浅茅ヶ原へ向かう丘の上をゆくと、なにやら茅葺の集落のようなところに出た。

  なんだろうここは、奈良公園の中に・・・?

 よく見ると、「江戸三」という料理旅館のようで、茅葺の家々はすべて離れの客室らしかった。ちょうど母屋から着物を着た女性がお盆に料理を乗せて出てきて、離れの一つに運んで行った。ハタチ過ぎくらいの美女だったので、彼女が用を済ませて客室から出てくるのを待って声をかけ、後姿を撮らせてもらった。いきなり変態オヤジ全開だ。

  いかがですこのフンイキ。泊まってみたいのう

 シカ多数の浅茅ヶ原から鷺池の浮見堂を通る(このあたり有名な観光地はいちいち写真に撮ってない)。梅雨時の平日のためか観光客はまばら。道路の土手から若草山が見えた。

  手前は飛火野のシカたち

 いったん奈良公園から出て静かな住宅街を少し東へ歩き、粗末な店屋でお茶のペットボトルを買う。はげたオヤジに「暑いですね」と声をかけると、「五條では34度やて。今テレビで言うてるわ」と言って汗を拭いている。
 志賀直哉旧居の横から再び春日大社への細い道を登る。ここは「ささやきのこみち」というしゃれた名前がつけられているが、なんということもない山道だ。アセビや杉が緑のトンネルを作っていて、けっこう涼しい。人はまったくいない。

  ささやきのこみち

 さて、とりあえず若草山(342m)へ登って奈良の街を一望してみようと思い、春日大社の本殿前を素通りして若草山の登り口へ行ってみたところ、「閉山中」の看板が出て登山ゲートが閉められている。
 なぬー、とそばのミヤゲ物屋のおやじに聞くと、6月中頃から9月の彼岸ごろまで閉山なのだという。「なんでですか?」と聞くと、「芝が傷まんようにね。それにこの暑いのに登る人いてまへんで」・・・って俺ぁ登ろうと思ってたんだよ!



 路地の少女---春日大社から白毫寺・新薬師寺かいわい

 しかたがないので、春日大社の奥にある御蓋山(296m、春日山)に登ることにした。地図によると春日大社本殿の南東にある紀伊神社から道がついている。
 春日大社には一人旅の外国人がチラホラ。

  本殿はあちこち修理中

 紀伊神社へ行く途中には、七福神などにちなんだ春日大社の小さな末社が並んでいる。その中に「赤乳(あかち)・白乳(しらち)神社」というのがあった。

   赤乳・白乳神社

 赤乳神社は女性の腰から下の病気、白乳は腰から上の病気を治す神様だと書いてある。その願いの込められた絵馬がたくさんかけられてあった。それにしても白乳はいいとして、赤乳(あかち)・・・。

 紀伊神社まで来て御蓋山に登る道を探したが、倒木などで道らしきものは見当たらず、しかも「入山禁止」の立て札が立っていた。神域だと、クソッ。

  新薬師寺あたりから見た御蓋山

 あきらめて山道を下り、柳生街道を東へ。能登川の橋を渡って南へ折れ、白毫寺へ向かう。けっこうな上り坂だ。
 白毫寺は萩で有名だが、まだ花には早い。「南都一望」というキャッチフレーズもあり、たしかに眺めはよいが、石段からは樹木が邪魔で奈良全体を見渡すことはできなかった。拝観料を支払ってもっと上まで登れば見えたのかもしれないが、ケチって受付の手前で引き返した。

   
 (左)白毫寺山門へ続く石段。両側はすべて萩  (右)石段から下界の眺め

 白毫寺から北へ。ここから新薬師寺へ向かう一帯は、土塀と細い路地がごく自然に生活に溶け込んだような、なんともいえぬ鄙びた風情の渋い街並みだった。
 急な坂を、麦藁帽子をかぶった小学生の女の子が赤い自転車を押して登ってくる。黄色のノースリーブと短パンからにょっきり伸びた腕や足は日に焼けて真っ黒。その子が崩れかけた土塀の路地を曲がっていくと、反対方向からヨタヨタと老人が降りてきて、なにやら挨拶を交わしている。
 ふっと白昼夢を見ているような、懐かしくも甘酸っぱい不思議な気分にさせられた。

   
 (左)こんな街並みが続く  (右)黄色い服の女の子が、赤い自転車を押して路地を曲がってゆく

 新薬師寺も拝観料がいるので外から眺めるだけにして、隣にある無料の南都鏡神社を覗く。案内板を読むと、この神社は「新薬師寺の鎮守として建てられた」とある。
 神社の神様がなぜ仏教の寺を鎮守せにゃならんのかわからんが、しかしこうも街中いたるところに神社仏閣がある奈良の街を歩いていると、そんなことはどうでもよくなってくる。
 仏教や神道だけじゃなくて、天理教やら黒住教やら御嶽教やら、いろんな宗派の教会が町の辻辻にころがっている。瓦屋根の町家に十字架の乗ったキリスト教会もある。なんとも濃厚なる宗教都市だ。

 さて新薬師寺からは西へとって、奈良町中心部へ向かう。
 ひさしぶりに長距離をテクテク歩いているので、足の付け根がちょっと痛くなってきた。それに汗でベトベトだ。銭湯へ行きたいねぇ。
 途中にあった八木酒造という造り酒屋に、「醸造水で作ったラムネあります。100円」と書かれた幟が出ていたので1本買い、その場で飲んだ。
 土間の天井の真ん中にツバメが巣を作っていて、土間にはフン受けのダンボールが敷いてある。酒屋のオヤジは、「毎年来て同じ場所に巣を作りますねん」と嬉しそうに言った。

  八木酒造。「升平」という銘柄を造っているらしい



 銭湯と宿屋---奈良町かいわい

 奈良町は、江戸時代の雰囲気が残っている地区だ。三条通の南側、東西700m南北900mくらいの範囲で、細い路地が入り組む街並みと昔ながらの町屋が密集している。
 ここには銭湯が5〜6ヵ所もある。銭湯の開く4時まであと10分ほどあり、狭い範囲なので一通り見てまわることにした。途中で4時をまわり暖簾がかけられたが、ついでだからそのまま全部見てまわった。
 渋いのは美好湯、扇湯、寧楽湯の三つで、花園温泉、稲妻温泉は昭和後期的に改装された銭湯だった。

  
 (左)三好湯(開店前)           (右)扇湯

  細い路地の奥、左手に見える「ゆ」の丸看板が寧楽湯

 しかし歩いている間に、空腹で死にそうになってきた。このまま風呂に入ったら倒れてしまいそうなので、街角にあった「あうん」という小さな甘味処に入り、三輪そうめんとビールの小瓶を注文。どちらも、この世のものとは思えぬくらいにうまかった。
 ビールを飲めない人は、この死にそうなうまさを知ることができないわけだから気の毒だなぁ、と一瞬思った。でもよく考えてみると、タバコを吸う人は僕のようにまったく吸わない人間を見て「このうまさがわからないのはお気の毒」と思っているかもしれない。そんなふうに思われるのはシャクに障る。だからやっぱり僕も飲めない人のことをそんなふうに思うのはやめよう。

 そんなことをウジャウジャ考えるうち、そうめんとビールは5分で胃袋に消えた。
 さっそく店を出て、3軒の渋い銭湯のうちどこへ入るか思案しつつ、地元の資料館などを覗きながら歩く。
 寧楽湯の細い路地では、「ゆ」の暖簾が揺れる横で、小学生の女の子が一人で塀にボールをポンポン当てて遊んでいる。なにかしら猛烈に郷愁をかきたてられる光景だ。
 奈良町では、時間が止まったようなこの古めかしい町並みの中で、普通の現代日本人が老いも若きもごく当たり前に生活している。そのことが逆に不思議に感じられる。

  こんなわらびもち屋台を若い女性が押していたりする

 迷った挙句、一番最初に見つけた美好湯に入ることにした。
 低い番台には60歳近いおばさんが座っており、客は僕以外にじいさんが一人二人。こじんまりした浴室の壁や湯船は最近改装されたもののようだが、床は昔のままの石敷きだ。石と石の間は排水のための溝になっているのだが、その傾斜がふしぎなほど大きい。そのせいで床全体が変化に富んでいる。なかなかの味わい(美好湯の詳細はこちら)。

 お湯をどんどんかい出してたっぷりかかり湯し、汗を流してからジャボーン。疲れた足も痛んだ付け根も一気に緩み、超極楽でんがな〜。銭湯万歳。

 風呂から上がって、いったん今日の宿へチェックインする。奈良町の真ん中にある新田旅館。伝統的な町屋の内部を改装した安宿だ。素泊まり3900円也。

  町屋の見学施設「ならまち格子の家」

 新田旅館の写真も撮ったのだが、なぜかデジカメに保存されていなかった。上の写真は町屋の内部を無料で見学できる施設「ならまち格子の家」(ここはおすすめ)だが、新田旅館の外観もまあこんな感じで、間口がもう少し狭い。
 通された部屋は小奇麗に改装されたばかりの6畳間で、床の間・無料テレビつき。泊り客は他に1組だけのようだ。僕の書いた宿帳を見て、「岡本? なんや近いやん」と甲高い声をあげるおかみは、徹底的にざっくばらんな人柄らしい。
 10分ほど休憩して、再び町へ出た。今度は飲み屋の探索だ。
 「門限11時やねん。遅なりそうやったら電話してぇ」
 というおかみのざっくばらんな声を聞きながら、奈良町の北半分にある飲み屋街へ向かった。



 秘密の路地---夜の奈良町での出来事

 近鉄奈良駅から南進した東向通りのアーケードが三条通りに突き当たると、数メートル東にずれたところから「もちいどのセンター」というアーケード街が奈良町の中を南に伸びている。もちいどのセンター街は東向通りの半分くらいの幅しかなく、それ自体が路地のような細い商店街だ。

  もちいどのセンター街

 その150mほど東に、猿沢池から南へ伸びる今御門通りという狭い道がある。
 奈良町の飲み屋は、もちいどのセンター街と今御門通りに挟まれた狭い範囲に集中している。

 もちいどのセンター街に面して、「とうへんぼく」というおでん料理の店があったので入ってみた。中央にコの字型のカウンターと、掘りごたつ風のテーブル席や間仕切りで囲まれた個室風の席があるしゃれた店。オリジナルものも含めて数多くの種類のおでんと、日本酒や焼酎の銘柄がそれぞれ30種類以上もずらっと並んでいる。

  もーたまりまへん・・・

 とにかく腹が減っていたので、カウンターのにいちゃんとモソモソしゃべりながら、ビール(金曜日はエビス中ジョッキ300円だった。ラッキー)や芋焼酎「黒伊佐錦」などを飲みながらガバガバ食った。
 僕と同年代と思われる一人の客が「トマトください」と注文すると、店のにいちゃんは「冷たいトマトですか、おでんのトマトですか」と聞く。その客は「冷たいトマト」を注文したが、僕は「おでんのトマト」というものに興味を覚え、ついでにそれを頼んだ。
 すると、丸いトマトに切れ目を入れたものがおでん製造機(上の写真のやつね)にポチャンと沈められ、15分ほどして引き上げられた。これに黒胡椒少々とカイワレが乗って出てきた。
 これがイケル。新鮮な驚きだ。しかも食べるほどにトマト汁が器のおでんだしと混ざり合い、その汁のうまいこと。今度自分でもやってみよっと。

 その店を出るともうとっぷりと日が暮れている。腹ごなしに奈良町からもっと西のJR駅近くまでを小一時間散歩した。怪しい路地や怪しい市場などがいろいろあって、まったく飽きない。

  
 (左)公設市場の入口にこんな看板があり、(右)入ってみるとちょっとした飲食店街になってたり。

 再びもちいどのセンター街に戻り、さっきから何度か通って気になっていた不思議な路地に侵入。一人しか通れないような狭い道だ。ここにある「樹樹」という小奇麗で小さなバーに入る。

  「樹樹」の看板。灯りはぼんやりともりゃいい

 カウンターに腰かける。ママは40代なかばの宝塚風美女で、もう一人の30代女性もなかなかよろすい。客は他に中年男が3人。この路地裏の隠れ家的雰囲気と、2人の女性の魅力で集まっているのだろう。
 聞けばこの狭い路地は「傘とおらずが道」とも呼ばれているそうだ。たしかに傘をさすと横の塀にひっかかりそうだ。

  昼間の「傘とおらずが道」

 この通りの奥にある樹樹は、料理やアルコール類に若干こだわりの品揃えを見せている。ギネスとイワシめんたいを注文した。
 僕が神戸から来て、今日はこことここを歩いたなどと言うと、「この雑誌を見て来たんですか?」とママが問う。見せられた雑誌は奈良町を特集しており、「男は奈良へ」というタイトルがつけられていた。むっ、僕のこの発作的な一人旅スタイルはもしかして今、奈良ではトレンディなのか? 「男は奈良へ」・・・自分でいちびって言うにはいいが、こうやって特集の題名にされるとかなりハズカシーものがあるな。

 その雑誌に、カンヌで新人賞をとった映画監督の河瀬直美が登場していたことから、彼女の新作映画「沙羅双樹」の話題になった。そういや知人が先週観に行ったと言っていた。奈良町を舞台にした映画らしい。
 カウンターにいた小太りの男の客が、「この映画は今、このあたりでは話題の中心ですよ。良くも悪くもいろんな思いがねぇ」などと言う。
 ママは、チケット販売を頼まれて何枚かあずかっていると言う。見せてもらうと、梅田や神戸でもやっているらしい。それならママから前売り券を買っておこうかと、念のためその場でケータイから映画館に電話して聞いてみたら、どちらももう上映期間が終わったとのことだった。
 「奈良ではまだやってるんですけどねぇ」
 「そうか・・・でも奈良で奈良の映画を観て帰るのもいいかもなあ」
 というわけでチケットを買い取り、明日の午前中、観に行くことにした。

 そのとき、一人の女性客が店に入ってきた。ちょうど僕と小太り男の間の席が空いていたので、そこに座る。30歳くらい、スラッとした美女である。この店には2〜3度目という感じで、小太り男とは顔見知りのようだった。
 物静かな人で、男たちとママとの会話に入るでもなく入らないでもなく、静かに料理を注文して食べている。仕事帰りになんとなくぶらっと寄ったとのことだった。

 僕が神戸から来たというと、「神戸のどちらですか」と問う。
 「岡本というところです」というと、パッと驚いたような表情になって、「私、岡本にある某大学に通ってたんです。奇遇ですねー」と明るくおっしゃる。
 そこから話がはずんだ。僕が今日まわったところなどを話すと、「二月堂へは行かれましたか」とおっしゃる。行っていないと答えると、「行くならぜひ裏参道からまわってください。いいですよー」と、僕の持っていた地図を見て、指で道を示してくれた。
 で、ふいに彼女はこうおっしゃった。
 「私、明日休みなんですけど・・・」

 なっはっは。うそのようだがホントの話だ。
 かくして僕はこの美女に、次の日、奈良の二月堂かいわいを案内してもらうことになったのである。午前中は「沙羅双樹」を観るので、そのあとの待ち合わせにした。

 11時の門限をちょっと過ぎて、気分よく新田旅館に戻る。酔っぱらった勢いでわざわざ友人に電話し、「明日は美人に案内してもらうのさぁ〜ギィッヒェッヒェッヒェ・・・」と自慢した。
 しかし冷静に考えてみれば、そんなに自慢してもしすっぽかされたら、エートシこいて滅茶苦茶かっこ悪いんだが・・・。

      この日の万歩計・・・28016歩(約19.6km、1歩70cmとして)
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