ちょっとした旅ホーム
葛城古道を歩く
(奈良県御所市)



(2005年5月21日)
 高校時代は金剛山や葛城山によく登っていたので、葛城山の東側登山口にあたる御所(ごせ)は馴染み深い町だ。
 その御所市域を縦断するかたちで、山の裾野に葛城古道というコースが最近整備されているらしい。

 この一帯は昔むかしのそのまた昔、大和朝廷が成立する以前に奈良盆地南部をブイブイ言わせとったと言われる葛城族ないし鴨族の本拠地だ。
 日本書紀などによると、イワレヒコ(神武)ら初期のオオキミは葛城・鴨族とのつながりが深い。彼らが9代にわたって開いた「葛城王朝」を、崇神天皇の大和朝廷が滅ぼした、という説を唱える人もいる。
 言うまでもなく古事記や日本書紀の天皇神話は勝者による権威確立のための歴史捏造なわけで、イワレヒコらが実在したとの仮定のうえで成立するこの説の信憑性については、俺はようわからん。神武と崇神と応神は同一人物だとの説のほうに説得力を感じたりする。

 いずれにせよ、わが日本国では神様から続く「万世一系」の天皇が国家元首なわけで、フィクションに基づく権威が今なお君臨するというファンタスティックなオクニに住んでる以上、いろんな意味で古代史はオモロイわけです。

 そんなわけで、にわか古代史ファンになりかけの俺としては気になる、謎を秘めたこの地域。真実は葛城の土が知っている。
 とりあえず歩いてみた。
 (と言いつつ、じつは歩いてから半年以上経ってしまったので、忘れてしまった部分多し・・・スマヌ)


鴨族

 近鉄の御所駅前から五條方面行きのバスに乗る。国道24号沿いのバス停、交通量は多いし腰掛けるところもないしで、ろくなもんやない。でも本数はそこそこある。
 バスはノロノロ走って30分くらいで「風の森」に着く。たいした距離でもないのに乗車賃1000円以上のボッタクリ。
 でも風の森とは素敵な名だ。ここは大和川と紀ノ川の分水嶺にあたり、風の通り道なのだろうか。
 西に迫る金剛山に向かって歩き出す。

 
(左)風の森から歩く   (右)葛城古道のスタートはこれ見よがしのラブホ群
 金剛山のほうへ向かう

 国道から離れてまもなく「風の森神社」の標識がある。行ってみると、こんもりした森の中にこんな小さな祠がポツーンとあった。どうもこれが風の森神社らしい。
 拍子抜けするようなそっけなさだが、たぶん古さにかけては一級品なんでしょうね、このあたり。

 
(左)風の森神社、なんとも素朴といおうか   (右)祠の前に置かれた石、うんこ神?

 田畑や小さな集落を横切り、小さな峠を越えたりしてしばらく歩くと、山と森に包まれたような高鴨神社に着く。葛城古道で一番の目玉であり、横に小さな資料館を備えている。
 ここは鴨族が守護神として祭った神社で、弥生中期から祭祀を行う日本最古の神社の一つ。全国の「鴨」「賀茂」「加茂」名の神社の総社だ。京都の上賀茂・下鴨神社は、鴨族の由緒を藤原氏が権威の象徴としてパクったものですね。
 さほど大きな神社ではないが、小奇麗に管理されているし周囲は緑が濃く、気品に満ちた雰囲気を備えている。

 
(左)神社入口の大きな池   (右)高鴨神社の正面

 
(左)拝殿   (右)本殿の右隣、東社だったかな?


天上界

 途中の店で生ビールをいきなり飲んだりしながらしばらく舗装道路を北上すると、奈良盆地南部が一望できる場所に出る。
 盆地の右手に大和三山がポツポツあって、その向こうに三輪山が見える。三輪山の麓にはかつてヤマト勢力の本拠地があった。葛城族が盆地を挟んで天皇族と対峙していたことがよくわかる。

 やがて西の金剛山方面に向いて、高天彦神社への道が現われる。
 とたんにきつい坂道となり、舗装も切れて、植林帯をジグザグに登っていく山道となる。あれ〜こんなつもりじゃなかったけど・・・と呼吸の荒くなったころ、ふいにパッと森が開け、平坦な場所に出た。目の前には水田が広がる。
 ここが「高天原」と呼ばれるところだ。

 山の中腹にわざわざ造成したかのような、みごとな天然台地。下界とは急斜面で隔てられた、一段上の高原地帯だ。
 なるほど、ここに住んで下界の盆地を支配してたとすると、この場所を「高天原」と呼んだのもわかる気がする。そういや最近、このあたりから葛城族の城跡が発掘されたというニュースがあった。

 やがて正面に大きな杉の並木が現われ、細い参道を進むと高天彦神社へ到着する。天皇神話の総元締め、タカミムスビノカミを祭っている。
 小さくて素朴な神社だが、高天原台地の最深部に立地し、うっそうたる森に囲まれたたたずまいには、ここが鴨族本拠地の心臓部だったの鴨、との想像をかきたてられるねえ。

 すてきな参道

 高天彦神社

 高天原の水田

 田の畦を歩いて少し北へ移動すると、「史跡 高天原」との石碑が立った広場がある。でもあるのは公衆便所だけ。

 便所が史跡?

 橋本院という寺を過ぎるとまた山道となり、急坂を下界へと下りる。谷は険しく、天然の要塞地形だ。
 圃場整備で激しく崩された一帯を抜けて下ると、ポンと南北の幹線道路に出た。そこからはまた奈良盆地が一望できる。

 
(左)高天原から下りる道   (右)下りてきたところは古道もクソもなく圃場整備の工事中

 幹線道路から眺める奈良盆地


点在する古集落

 幹線道路を横切り、のどかな柿畑を横に実ながら、南郷・佐田・名柄と、古くて小さな集落を抜けていく。江戸期から昭和初期まで、さまざまな古い建物が次々に現われて退屈しない。
 左手の方角では、さっきまで真横にあった金剛山がだんだん後ろに離れ、葛城山が近づいてくる。そしてフライパンの底のように遠くに見えていた奈良盆地の中に、どんどん自分が滑り込んでいく。

 

 名柄あたりの古い街道

 
(左)長柄神社は子どもの遊び場  (右)庇の裏に極彩色の絵

 681年に天武天皇が流鏑馬を見たという長柄神社で小休止したあと、さらに北へ進む。すると左手に一言主(ひとことぬし)神社の鳥居が現われる。
 鳥居をくぐり、葛城山に向けて参道をゆるやかに登ってゆくと、ほどなく一言主神社に到着する。拝殿はさほど古さを感じさせないが、こじんまりした境内の隅に「乳イチョウ」と呼ばれる巨木があって、牛の乳のように垂れ下がった樹皮が目を引く。なんかその手のご利益があるそうで。

 一言主というおもしろいキャラの神様は、葛城族(鴨族)の王ではないかとも言われている。古事記には、雄略天皇が葛城山での狩猟中にこの人に出会ってビビって土下座し、部下の身ぐるみを剥いで差し出したとあるそうな。日本書紀では、意気投合して一緒に狩りを楽しんだとなっている。
 いずれにせよ、天皇と比肩する勢力の持ち主であったことは間違いないだろう。出雲神の言代主神(ことしろぬし、=大物主神=大国主神=武内スクネ=蘇我氏の祖)と同一人物ではないかっちゅー説もある。

 
(左)一言主神社遠望、中央右のキミドリの木が乳イチョウ  (右)拝殿

 
(左)乳イチョウ   (右)樹皮拡大、キ、キモ・・・

 神社から再び元の鳥居まで戻り、そこから近道をすべく葛城古道のルートから外れて、のどかな農村集落を歩いてゆく。
 でも道を間違えて、あまり近道にはならなかったみたい。
 このあたりまで来ると道はほとんど平坦になり、もう奈良盆地の姿を見ることができなくなる。底についたのだ。

 一言主神社から下りてきたあたり


御所の街

 暮れゆく金剛・葛城の山並みを左手に眺めながら、田んぼと畑といくつかの集落を横切ってゆく。足が棒のように疲れてきた頃、ようやく国道24号を渡る。
 鴨都波神社の境内を通り、小さな川とJR和歌山線の踏切を渡ると、御所の古い市街地に入る。御所の町はまったく観光化されていないが、へたな「小京都」なんかよりもはるかに古都の風情を残している。というか、ほとんど化石のような町。

 楢原あたり

 御所の市街地

 
(左)まちかどにて   (右)廃業したばかりの葛城湯

 しばらく町を歩いてから、宝湯(紹介こちら)という渋い銭湯に入って疲れを解きほぐす。いやー、今日はよく歩いたよ。

 葛城王朝があったかどうかはともかく、この地域、とくに高天原に根城を置いた葛城族が奈良盆地をヤブニラミしていたであろうことは、その立地と地勢からも十分に感じられましたわい。

 しかしまあ考えてみたら、この趣味で関西在住ってトクでんなあ。
 おしまい。(細かい点は忘れてしまってゴメンヨ!)

 葛城山に落ちてゆく夕日

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