九州ちょっとした旅ホーム
牛深

(熊本県天草市)
2010.1.3〜4
 日本列島を旅してつねづね思うのは、その地形の複雑さだ。
 とくに九州の西海岸はゴチャゴチャしている。半島が飛び出し、島が重なり、湾が入り組んで、出たり入ったりの大忙しだ。

 そういうところは必ずおもしろい。地形のゴチャゴチャは地盤の隆起・沈降や火山噴火、激しい潮流などによる造形物であり、それ自体が大自然のドラマである。
 のみならず、そういうゴチャゴチャしたところには必ずゴチャゴチャした歴史がある。入り組んだ湾が人間にとって天然の良港だったり、重なり合った島影が迫害された人々の絶好の隠れ場所だったりする。

 つまり複雑な地形には、大自然のドラマと人間社会のドラマが重なり合っているわけね。
 で、天草だ。

 

 天草諸島自体が、どことどうつながっているのかわからないややこしい場所だ。この島々によって、東シナ海と有明海と八代海が分けられている。
 熊本県に所属してはいるが、場所によっては長崎や鹿児島に近かったりする。国立公園も「雲仙天草」と長崎県域とひとくくりにされている。

 天草下島の南端にある牛深は、県庁のある熊本市から見ると地の果てだが、海上交通が中心だった近代以前は九州西海岸の中心地であり、天然の良港として繁栄した。
 全国に残る「ハイヤ」「アイヤ」「おけさ」「阿波踊り」「ソーラン」などの民謡もすべてここの「牛深ハイヤ」にルーツがあるという。節回しは甚句、リズムは奄美由来、「ハイヤ」の「ハイ」は「はえ(南風)」のなまったものらしい。
 九州の地図をじっと見ていると、だんだんそれが納得できてくる。

 俺は今回、鹿児島県の阿久根からバスで長島西岸を北上し、蔵之元港から船で牛深入りした。

牛深上陸

 牛深行きのフェリーが出ている長島の蔵之元というところは、まるでフィヨルドのように細長く切れ込んだ入江だ。
 ここにはフェリー乗り場以外は民宿が1軒あるだけ。牛深へ渡るためにだけ用意されたような港だ。これほどまでにシンプルな港にはお目にかかったことがない。
 水は清く澄んでいるが、その色は南紀とも沖縄とも日本海とも異なる。エメラルドグリーンに近い。

 牛深行きフェリーの乗船客はそこそこいるが、俺以外は全員クルマ客。
 出航して湾を出た船は、1月の寒風を突いて長島海峡を渡る。あちこちの海底から潮が湧いており、急流であることが一目瞭然だ。
 右手に八代海、左手に東シナ海を見ながら30分ほどで、牛深に到着した。

 
(左)水清き蔵之元港   (右)長島海峡を渡る。牛深が近づいてきた

 
(左)1997年完成の牛深ハイヤ大橋   (右)その右手に接岸する


 カーブを描くハイヤ大橋の右上部分に上陸した

 蔵之元とはまったく違って、牛深のフェリーターミナルは立派だった。土産物屋、案内所、喫茶店などが並んでいる。
 が、正月3日の夕方近い時刻ということもあって、人影はまばらだ。

 中心街

 牛深は平成の合併で天草市の一部となり、その中心を天草下島北部の本渡に奪われてしまった。だがそれまでは、この辺鄙な立地にありながら牛深市として独立した都市だった。
 宿に荷物を置いてから、かつての牛深の栄華の片鱗をうかがうべく、日が暮れるまで歩いてみた。

旧遊郭

 フェリーの中にあった牛深案内のチラシによると、この日の宿の近くにかつて遊郭だった建物が残っているとのことなので、いきなりではあるが行ってみた。
 牛深は海沿いの港町だが、旧遊郭は山際のやや奥まったところにあった。

 
(左)まったく普通の町外れ   (右)左の狭い路地を入ると・・・

 
(左・右)いきなりスナックが並んでいる

  同上

 
(左)これが昔から残っている旧遊郭の建物   (右)これも

 きわめてのんびりとした山すその住宅地。そのスキマ路地に忽然と現れるスナック群と、重々しい旧遊郭の建物。まったく似つかわしくない奇異な印象だ。
 しかしこれが時の流れというものなのだろう。
 それにしてもこのスナック群は、今も現役で営業しているようだ。一見で通りかかることは決してない立地条件なので、ここは地元民や船乗りたちの間での口伝えによって維持されていると思われる。

旧街道

 そこから少し下がり、国道から脇道に入ると、昔、港の入江をぐるっとまわっていた古い通りがある。
 牛深港には2つの湾入があり、北側は船津、南側は加世浦と呼ばれるが、ここはその船津が今よりももっと奥まで切れ込んでいた頃の名残と思われる。

 入江はすでに埋め立てられ、道だけが内陸をU字にくねっている。

 
(左)昔の通りを入江の奥へ   (右)ここが入江の最奥部だったと思われる

 
(左)折り返して湾口方面へ   (右)なんとも渋い

 
(左)振り返る   (右)国道筋に戻った

 現在の漁港に出た

 海が遠ざかった瞬間、これら入江沿いにあった家々はそれまでの役割を失い、単なる寝ぐらへと性格を変えざるを得なくなった。
 人通りはほとんどない。猫の声すらしない、異様なまでの静けさだ。

 牛深が海上交通の重要港として賑わった当時、船の推進力は風だった。したがってどの港にも風待ち、しけ待ちの船が長く逗留し、そこに全国を旅する船乗りらの文化が花開いた。
 ハイヤ節はその代表的なものだろう。

 そんな海にかつて面していたまちなみには、当時の繁栄が華やかであればあるほど、打ち捨てられたわびしさが名残惜しげにオーラとなって漂っている。

通天橋

 少し山手のほうへ歩いてみたら短いトンネルがあったので、くぐってみた。
 すると出た先に牛深市民病院があり、その向こう側は海へと傾斜していた。さっきまでいた牛深港ではない。天草下島の西側、東シナ海(天草灘)に面した須口港側に出たようだ。
 坂を下り、港湾施設や市営住宅などがある埋立地の手前を南へ折れて、天草下島の南端目指して歩いていった。

 天草下島の南には下須島があり、その間は狭い海峡になっている。この海峡が古来、海上を旅する船人たちが牛深へ出入りする際の玄関口だった。
 その最も狭い部分に、通天橋という橋がかかっている。

 道はポンと海峡に出た。海岸線に沿ってハイヤ大橋の高架が立ち並ぶ。その下を歩いていくと、前方に赤い通天橋が見えてきた。

 
(左)通天橋   (右)外洋(天草灘)から流れ込む潮

 天草灘から牛深湾内へ、潮が音もなく満ちてきている。海水はあくまで澄んでいて、底の魚まですべてが透けて見える。
 よく見るとかなりの速さで流れ込んでいるのだが、まったくの無音だ。その流速と静けさとがアンバランスで、不思議な感じがする。

 俺の呼吸よりも静かだ。なんとなく血の巡りが思い浮かんだ。

 
(左)通天橋の下から牛深湾内を見る   (右)海峡の内側にあった小さな祠のエビス神

 通天橋の北側でハイヤ大橋が連結している。えべっさんの祠横からそこへ登れる階段があった。
 ハイヤ大橋の上に出ると、牛深港が一望できる。


ハイヤ大橋の上から見た牛深

 
(左)通天橋の上から、海峡とハイヤ大橋。対岸は下須島   (右)天草灘方面。海峡の入口にある黒島

 通天橋の上から夕日が沈むほうを見ると、海峡の入口に黒島が浮かんでいる。

 かつて牛深へ来た船乗りたちは、港へ潮が流れ込むのを待つあいだ、船を黒島周辺に停めて潮待ちをしたという。
 その潮待ちの船乗りたちに向かって、ここから手を振る女たちがいた。
 牛深ハイヤ節に、

 牛深三度行きゃ三度裸

 と歌われているくらい、ここは船乗り業界では有名な遊里でもあったらしい。
 大阪からの船が持ち込むオカネは「新銀」と呼ばれ、それを手にする彼女らは「新銀取り」と呼ばれたという。
 通天橋の脇から集落へ下りてゆく細くて急な坂道は、かつて彼女らが登り降りした坂ということで、「新銀取坂」と名付けられている。

 新銀取坂から牛深の港へ

せどわ

 新銀取り坂を下ると、港に出た。
 牛深港の2つの湾入のうち南側の加世浦で、今はごく普通の漁港だ。

 夕暮れの加世浦

 日が暮れてくると冷え込みが厳しくなってきた。
 1軒のコンビニ(チェーン店にあらず)があったので、そこでビールとつまみを買い、宿へ戻ることにした。

 その途中、加世浦の北端部の山沿いに、「せどわ」と呼ばれる密集集落がある。
 かつて船乗りたちが共同生活に近い暮らしをした頃のままの家並みが今なお残っている一角だ。

 道を作ることなど誰も考えないまま、住むところだけが可能な限り建て込んでいる。通路があまりに狭いので裏口の路地かと思えば、家々にはきちんと玄関がついている。もちろん車など入れない。
 そういった通路が勝手気ままに接続されて、迷路のようになっている。横の路地から人が歩いてきても、辻で鉢合わせするまで気づかない。

 
(左)これで表通り   (右)出会い頭注意

  
(左・中・右)軒が重なり合ってトンネル状になっている。これでもすべて表通り

 せどわの一画

 いったん入り込んだら真っすぐは進めない。それに、おもしろくて簡単に通り過ぎるのも惜しいので、この狭い路地をじっくりと歩き回った。
 そこそこ改装されている家が多くてあまり古い雰囲気はないが、宵闇の中だったこともあって、集落全体が濃厚なオーラのベールで包まれているかのようだった。

 神戸で震災に遭った俺としては、こういった密集集落が地震や火事などの災害に極めて弱いことを知っている。一目見ただけで、「あ〜これはヤバイって・・・」と心が落ち着かなくなる。

 にもかかわらず、ここに生きた生活が全然フツーに存在している様子に驚かされた。さびれたようすがあまりない。現代の社会事情にはそぐわないのに、現役感が強いのだ。
 夕餉の支度をする生活音とそのにおいが、どの家からも洩れてくる。その距離があまりに近接しているため、せどわ全体が巨大な生活者のようにも思えてくる。

 牛深は時代の流れに置き去りにされた町だ。
 だがその心臓の動きはまだ止まっておらず、毛細血管のようなせどわの路地に今なおきっちりと脈打っているようにも感じられた。

 歩き回るうち、牛深は真っ暗になった。
 天草灘から流れ込んだ潮が、冷たい港に黙って満ちていた。   (2010.2.7記)
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