![]() 激シブの薩摩半島南端をディープ&チープに歩く (2003年5月1〜6日)
![]() 指宿・東郷温泉にて |
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プロローグ なんかイマイチぱっとしない日々である。 狭い編集室に一人こもっているせいかもしれぬ。 でも、こういった小さな出版社がこれまで通りに生きてゆくのが困難なご時世ということも関係していると思われる。はっきり言って、あらゆる意味において小出版社の将来には暗雲が垂れ込めていると言わねばなるまい。 とゆーことは、こつこつやるだけでなく、発想の転換、斬新なアイデアが是非とも求められているとゆーことなのね。 しかーし、それがチイとも湧いてこない。狭い編集室に一人こもって日々の業務に追われているせいかもしれぬ。それゆえに、なんかイマイチぱっとしない日々である。 こういうときにはストイックな一人旅が必要である。自分の体ひとつでどこどこまでも歩いてゆくという根源的で厳しい旅路の果てに、眠っていた魂の雄叫びが蘇るキンローなのだよワトソン君。 さっそく、徒歩旅行に適した目的地を探す。 海と山があり、大地の裂け目から温泉がドンドコ湧いているというアース・ウインド&ファイヤーなエナジーに満ち満ちた土地が望ましい。関西とは異なる文化にも触れたい。しかも美味なる食い物と酒があり、往復2万円程度の旅費で行けて、なおかつ激安の宿がなければならない。 検討の結果、九州は薩摩半島の南端、指宿周辺が急浮上した。 黒潮直撃の亜熱帯である。日本百名山の一つ開聞岳や、火山のカルデラ湖がいくつかある。カツオが毎日山のように水揚げされている。焼酎の本場であり、日本一の地ビールとも言われる「さつまビール」もある。しかも調べるうちに、ガイドブックにも載らない激シブ激ヒナビの小さな温泉がやたらと湧いていることもわかってきた。 そして何より、この地は信じられないほどの、安宿の宝庫なのだった。素泊まり2000円台の温泉宿がいくつもある。中には1泊1580円(!)なんつーところもあるじゃないの。しかも温泉つきでっせ。いったいこれは何なのか。 さっそく荷物をまとめ、わが息子・丘(きゅう、9歳)に、 「おとうは船に乗って旅に出る。まりもをよろしく頼むぞよ」 と告げたのだが、そのときうかつにも、丘に問われるままに、「フェリーの中に大浴場がある」ことをしゃべってしまった。 これは失敗だった。 その瞬間から、丘のすさまじい「ぼくもいくーーー!」攻撃が始まった。彼はメモ用紙を何枚も重ね、「おとうと一緒に旅に出るまであと〇日」というカウントダウンの日めくりカレンダーをその日のうちに製作して、リビングの壁に貼り付けてしまった。 かくして彼の必死の姿に父は敗れ去り、さいろ社の建て直しを賭けたストイックな一人旅は、一瞬にして「ゴールデンウイークだよドラえもん、パパとボクとの南海大冒険」に化けてしまったのだった。 とはいえ、僕にはガキのおもりをしているような精神的余裕はない。 「そんなに一緒に行きたければ、おとうの旅路に自力でついて来るがよい」 あくまで当初予定のディープ&チープな徒歩旅行を貫く所存である。 |
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(1)南薩への道(5月1〜2日) 悲しい習性だが、地理学科出身者としては、どうしてもまずは地図なのよ。 鹿児島県ちゅーのは、クワガタの大アゴを下に向けたみたいに、2つの半島が南に向かって突き出している。 向かって右側(東)が大隅半島、左側(西)が薩摩半島。両者に挟まれた錦江湾に桜島が浮かんでいて、クワガタが飲み込もうとしているみたい。でも桜島は自分が噴き出した溶岩で海を埋め、東側の大隅半島と癒着したので、かろうじて食べられずにすんでいる。 さて、今回はわが息子・丘(きゅう、9歳)と男2人、船の旅だ。 船の旅はじつによろしい。 運賃は飛行機の約半分(2等寝台の場合)。そのぶん時間はかかるが、ほぼ同じ時間をかけて同じ料金で走る高速バスと比べても、ベッドでゆっくり寝ていけるし、船内にはレストランや喫茶室、大浴場、ゲームコーナーなどがあって、ずっと快適だ。 なにより、甲板に出て太平洋の風を全身に浴びたりして、旅の情緒に思いっきりひたることができる。 ![]() 問題は、大阪南港を夕方6時に出港したフェリー「さんふらわあ・さつま」が翌朝8時40分に到着するのが、志布志という小さな町であることだ。 志布志は、クワガタの右側のアゴ、大隅半島の外側にある。 しかし今回の目的地は、左側のアゴ、薩摩半島の先端だ。 したがって、まずは志布志から大隅半島をバスで横断(2時間)して大アゴの内側へ移動し、船で錦江湾を渡って(35分)、薩摩半島内側の鹿児島市へ上陸する。高速バスなら朝の時点でここへ到達しているわけだが。 南薩の中心・指宿(いぶすき)へは、そこからさらに汽車で1時間以上かかる。 だが、それでいい。 目指すは日本本土のはじっこである。わざわざ不便なところへ行くのだからな。 学校の6時間目が終わるや編集室に走って来た丘のランドセルをリュックに持ち替えさせ、大阪南港・かもめ埠頭へと急いで、出航ギリギリに船に乗る。 さっそく甲板に出て、海風を全身に浴びながら、須磨の山に夕日が沈むまで眺めた。 そのあと丘の念願の大浴場へ。窓の外は夕暮れの大阪湾だ。揺れながらの風呂は不思議な気持ちよさがある。波に揺られる風呂の湯に揺られて、ダブルユレユレ。2人でけっこう長湯した。 夕食は船内の自販機の麺類などですませ、丘はいつもと同じく9時に就寝。 僕は2段ベッドの上で本を読み始めたらやめられなくなり、深夜遅くに眠りについたのだが、久しぶりの船旅に興奮したのか、早くに目が覚めてしまった。まだ夜明け前だ。 仕方がないので誰もいない甲板に出て、太平洋から昇る朝日を見る。 ![]() やがて丘が起きてくると、朝食は奮発して、レストランの朝食バイキングを食った。 まもなく「さんふらわあ」は志布志に到着。快晴の空に、やしの木がそびえている。 船はほとんど満室だったが、ほとんどが車ごと乗っていたようで、港から路線バスに乗ったのは僕たちを入れて4人だけだった。 バスは細かく停留所に停まりながら、地元の人々を拾ってゆく。老人が多い。 後ろの席に座ったバアサン2人のしゃべっている言葉がほとんどわからない。タガログ語みたいな感じにも聞こえるのだが、鹿児島弁って本当に日本語なのか? 2時間後、バスは大隅半島を横断して垂水(たるみず)に到着。ここから南海郵船フェリーで錦江湾を渡る。 甲板からはついにこの景色だ。 ![]() クワガタに食われてたまるか桜島。山の上の雲は噴煙でごわす 思えば大学4年の春、留年が決まってヤケクソになって京都から自転車で走ってきて以来だ。あんときゃ鹿児島に着くまで1週間かかったが。 とにかく18年ぶりだよおっかさん。 南海郵船フェリーは、鹿児島市の鴨池港に着く。 この一帯は最近県庁が移転して来て、ウォーターフロントの新都心として再開発されているようだが、市の中心部や駅に遠く、けっこう不便なところだ。 ![]() 何人もの人に道を尋ねながら、2kmほど離れたところにある南鹿児島駅まで歩く。 こっちの人はやはり顔つきが南国的だなあ。マユはあくまで太く、彫りが深くて目が大きい。女性は・・・やばいことに美人の宝庫じゃがな! キョロキョロしてしまう〜。 駅前の弁当屋で弁当を買う。「ほか弁」のようにメニューが決まっているわけではなく、ショーケースの中におそうざいが並んでいて、希望の値段を言うとそれらを適当に詰めて作ってくれるシステム。400円のを2つ注文する。 おばさんが丘を見て、 「ぼく、どこから来たの? おとうさんと一緒にいいねー。鹿児島へ引っ越しておいでよ」 などと言いながら、弁当とは別にサービスでさつま揚げをたくさんパック詰めしてくれた。子連れのメリットである。 鹿児島-指宿間のJRはだいたい1時間に1本。1時過ぎの鈍行列車に乗る。そこそこ混んでいた。 女子高生がたくさん乗っているが、みんな眉毛を細く剃っている。でも元が太いだけに、なんとなく不自然だ。そういや「自然が一番じゃ」と言っていたマユゲのトンちゃんも九州だったなあ。 弁当を一つ、汽車の中で丘と分けて食った。サツマイモのかきあげというものを食うのは初めてだ。 |
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(2)弥次ヶ湯温泉で死に方を悟る(5月2日) 1時間10分ほど乗って、指宿の1つ手前の「二月田(にがつでん)」という駅で汽車を降りた。 指宿といえば名物は「砂むし温泉」だが、それを中心とする観光温泉街やホテル群は、指宿駅から南東に2kmほど離れた湯の浜地区にある。 が、今回のおもな目的の一つであるひなびた小温泉群は、指宿駅の北側、二月田駅との間の十町・大牟礼地区に点在している。こちらはガイドブックなどには載っていない、古くから地元民に愛されてきた温泉銭湯だ。 二月田周辺は、片田舎という言葉がピッタリの、町はずれの農村地帯。やしの木がたくさん並んだ指宿市役所の前を通り、10分ちょっと歩くと、バナナの大きな紫色の花が咲いているそばに、「弥次ヶ湯温泉」の看板が見えてきた。 看板に沿って地道を少し入ると、なんとも風情のある建物が現れた。 ![]() 弥次ヶ湯温泉。天気がよすぎて黒っぽくうつっちゃったな 黒光りする太い柱や梁はハンパじゃなく年季が入っていて、まるで日本昔話の世界だ。 番台はなく、写真の向かって左側の建物の縁側にいるばあさんに料金を支払う。 大人250円、小人110円。 愛想が良くて感じのいいそのばあさんによると、110年以上前に建ったまんまとのことだ。2階は休憩所になっているらしい。 「右側のお風呂がぬるいほうですから、子どもさんはそっちがええかな。左のお風呂は熱いよ」 中に入ると、脱衣室なんてものはなく、いきなり浴室。手前に木の棚があって、そこへ脱いだものを放り込んでおく。 で、目の前には・・・! ![]() これは熱いほう。建物内部は適度に改装されているが、湯船はレトロなんていう生っちょろい言葉では追いつかないシブさ。古さを売り物にしようとするつもりなどなく、ただもう当たり前に明治初期のまんま、それがどうしたという感じ。先客はイレズミ者が一人だけで、限りなく静かである。 おそるおそる入ってみると、45度くらいだろうか。ちょうどしじみのすまし汁くらいに白濁した、やや塩味のする湯。それが横のマスからどんどん自噴していて、加水もせず、流し込む量を調節して適温にさます仕組みになっている。純度100%、極上の掛け流しが、ああもったいなくも次から次へとあふれてく〜。 湯船や床は石でできており、温泉の成分が100年以上にわたってこびりついている。天井などの木造建築もワビサビミヤビイマソカリ。いやもうアナタ、この雰囲気をなんと言ってよいのでせうか。 で、こっちがぬるいほう。42度くらいか。 ![]() 誰もおりませんので写真も撮り放題でごわす やはり石づくりで、そのきめ細かな感触がたまらない。しばし湯船のふちに寝そべって、桶で湯をすくって腹にダラダラと掛ける。聞こえるのは鳥の声と、湯の湧き出る音のみ。 これまで僕は人間として最高の死に方は腹上死と考えてきたが、それは間違いだった。人間たるもの、ここで腹に湯をかけながら死ぬべきではないのか。 途中で、地元民らしきおじさんが入ってきて、おもむろに湯船のそばにある木のフタをどけると、そこは飲泉専用の湯が満ちていた。おじさん、ひしゃくですくって飲んでいる。 僕も飲んでみた。塩とイオウの味、まったりとした舌ざわり。効きそうである。 とにかく、いきなりこれ。指宿おそるべし! |
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(3)村之湯温泉でローマチスを考える(5月2日) 弥次ヶ湯温泉を出て、缶コーヒーを飲みながら裏道をぶらぶら歩く。 このあたりは田んぼはほとんどなく、シュロチクなど熱帯性の観葉植物の温室が多い。そうかー、うちの近所の花屋やホームセンターで売られている観葉植物もこのあたりから来てるのかも。 それにしても、それらの温室や植物園からはみ出したりタネが飛んだりしたものか、ちょっとした空き地や庭など、そこいらじゅうに熱帯植物ぽいのが繁茂している。バナナは採って食える状態だし。心なごむ大ざっぱさである。 道ばたの木も、ほとんど見たことないものばかり。 ![]() 何人かのじいさんばあさんに道を尋ねたが、このへんの年寄りはやたらとニコニコしていて、馬鹿ていねいに教えてくれる。子どもの丘でさえ「やさしそうなおじいさんやねえ」と驚くほどだ。 教えられたとおりに歩くうち、道はだんだん住宅地へ入ってくる。住宅地といっても、神戸あたりの住宅地とはなにか根本的に雰囲気が違う。まち全体が「よかですたい、よかですたい」と脱力したような・・・ワカル? 単に天気がよくて風呂上りだからそう感じるだけかもしれんが。 そんな中ふいに、村之湯温泉が現れた。弥次ヶ湯温泉から30分ほど歩いたかな。 ![]() こちらも、温泉の隣の建物にいるばあさんに料金を払って入る。大人250円、小人100円。 やはり脱衣室はなく、浴室の隅に脱衣棚があるだけだった。建物の外側は改装されているが、中はこれでございます。明治15年モノだと。 ![]() 誰もいない。完全貸切状態。こんな小さな写真では、この味わいは十分に伝わらんな。ブロードバンドの方はこちらの大画面で堪能してくだされ。 湯は弥次ヶ湯に似ていて、わずかに白濁して薄い塩味。写真左側のフタをしてあるところを覗くと、湯がどんどん湧き出しているのがわかる。でもかなり熱いので、湯船への注ぎ口に栓をして、少しずつ流れ込ませることで湯加減を調節してある。栓を抜くと、熱い湯がドバー。 湯船の底に板が敷いてあって、その下からも湯が湧き出しているようだ。板と板のスキマは漆黒の闇。この下がどうなってるのか、実に神秘的である。弥次ヶ湯同様、汲み上げずとも勝手に湧いてくる自然湧出なのだな。誰もいないのに天然温泉がどんどん溢れて流れていってるよう〜・・・。 外の光が差し込む極上温泉にオラヨットォ〜と浸かり、だら〜りだら〜りとのたくる。ひじょうに気持ちよろすい。 壁にはいわくありげないろんな紙が貼ってあって、それを見ているだけでも楽しい。こんなのもあった。 ![]() 明治時代のお墨付きのようだが、効能に「胃腸病」「神経痛」などと並んで「ローマチス」とある。 ローマチス・・・? 腸チフスの親戚かとも思ったが、どうやらリウマチのことらしい。 でも、ローマチスというほうが何か気品というか威厳を感じさせられる。すべての道はローマに通じ、すべての温泉は地底のマグマに通じるのである。 ・・・脳味噌ふやけてきた。 |
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(4)鰻温泉で宇宙と語る(5月2日) 実はそんなにのんびりしているわけにはいかないことにフト気づいた。 僕は一人旅の場合はたいてい宿の予約なしに現地へ赴き、気分と足に任せて宿を探す。でも今回は黄金週間であり、しかも丘を連れているので、念のため事前に3泊分の宿をすべて押さえておいた。 で、初日は鰻(うなぎ)温泉というところにある宿を予約していたのだが、そこは山の中の温泉で、指宿の隣の山川駅から5kmくらい歩かねばならない(我輩の辞書にタクシーという文字はない)。 村之湯温泉から1kmちょっと歩いて指宿駅に出る。駅近くのコンビニで、カップラーメンを丘と一つずつ買った。なぜなら宿は素泊まりだからだ(我輩の辞書に二食付きという文字はない)。 指宿駅はなかなか立派な駅舎だが、駅前はさびれている。2軒のみやげもの屋の他は、なにもない。典型的な地方都市中心部の空洞化現象。クルマ社会の影響なのだろう。観光都市なのに、さみしいことだ。 ![]() それにしても、もう夕方だ。汽車に乗り、隣の山川駅で降りたら5時20分だった。 「丘、これは日暮れとの闘いになるぞ。おとうにがんばってついておいで」 そう宣言して歩き出した。 駅周辺の住宅地を抜け、道を尋ねながらタッタカ歩く。国道を横断すると、道は山に入った。人家はなくなり、どんどん急坂になる。人も車も通らない。 実をいうと、鰻温泉は「鰻池」という真ん丸い池のほとりに湧いているのだが、その鰻池というのはカルデラ湖なのだった。 カルデラ湖。中学校の地理で習ったでしょう、覚えてますか。つまり火山の山頂部が爆裂または陥没して水が溜まったのですね。その岸辺から火山性の硫黄泉が吹き出ているのが鰻温泉なのです。 つまり言うまでもなく、そこへ行くにはカルデラの外輪山を越えなければならんのです。 幸いにして鰻池はさほど大規模なカルデラではなく、湖面の標高が122m、外輪山はせいぜい200〜300mくらいだろうか。亜熱帯性の森に覆われているが、道沿いには小規模な段々畑もあって、マメ類などが育てられている。 ![]() 丘と大汗をかきながら登るうち、外輪山の上へ出た。そのまま湖岸へ降りる道もあったが、しばらく外輪山の尾根筋の道を歩く。ゆるやかな風が気持ちいい。名前もわからないいろんな花が咲いている。 尾根道からは、今来た山川の町や海が一望できる。ヒトコブラクダのような形の竹山や、完全なる円錐形の開聞岳が夕日に映えて、非常に美しい。 やがて別荘が数件現れ、道は火口の内側斜面を下ってゆく。 すると、前方に鰻温泉の集落が見えてきた。なにやら煙が立ち昇っている。 ![]() 近づくにつれ、硫黄のにおいがプンプンしてくる。集落に入ると・・・えっ、なに、この村。どの家からも硫黄の噴煙が上がっているじゃないの。 そう、どの家の庭にも、火山の噴火口が開いてる〜! マジで! ![]() 鰻集落のたたずまい。静かで落ち着いた雰囲気ではあるが・・・ でもこの村の人は、自分ちの庭にポッカリ開いた火口の噴気をおそれるどころか、そこにカマドをしつらえて、大地の怒りを煮炊きに利用しているじゃないの。 まあガス代がかからなくていいだろう。が、ある意味、地球をナメている。 ![]() これなんすけど・・・「スメ」というらしい。常時沸騰ADSL状態 予約していた「うなぎ温泉まつまえ」に着いたのは6時半、なんとか明るいうちに着けた。 まつまえは、共同浴場、湯治宿(自炊)、それにこの集落で唯一の雑貨屋を兼ねている。おかみさんは50歳くらいで、たいへん感じがいい。人の良さ、爆発。 ![]() 1階が温泉と雑貨屋、2階が宿泊の部屋になっている。通された部屋は8畳+窓際の板の間2.5畳、押入れや戸棚もたくさんあってずいぶん広い。きれいに掃除が行き届いていて、テレビは無料。炊事場・冷蔵庫とトイレは共同。温泉はもちろん入り放題。僕たちの他に泊り客はおらず、「どの部屋でも好きなところで寝てください。夜8時以降は表は閉めますけど、出入りは勝手口からご自由にどうぞ」だってさ。 南国の人はアバウト、いや、大らかである。 そして、温泉玉子が1人につき2個ずつ(計4個)サービスに出てきた。 これで1泊2500円、子どもは1200円。 そういえば今日は、鹿児島からの汽車の中で弁当1つを2人で分けて食べて以後、何も食わずに温泉をまわったり山道を歩いたりして、腹ぺこだった。 部屋に入って10秒後にはリュックから残りの弁当1つを取り出し、2人でがっついた。1分でそれがなくなると、引き続き丘はさっき指宿のコンビニで買った「カレーヌードル・ビッグ」を取り出して湯をかけて食った。僕は今もらった温泉玉子2個と、弁当屋のおばちゃんにもらったさつま揚げを全部平らげた。 さて、空腹が収まると、さっそく温泉だ。2人とも汗びっしょりだった。 鰻温泉には数件の民宿があるが、そのうちの1軒「うなぎ湖畔」には露天風呂があるという話だった。で、まつまえの温泉に入る前に、暗くならないうちに露天風呂を借りに行くことにした。 民宿「うなぎ湖畔」は小奇麗な民宿で、風呂代は大人300円、小人200円。 案内してくれたおかみは、こう言った。 「こちらが男女別の内湯、そしてあちらが混浴の露天風呂です」 「え? こ、こんよく〜? 混浴っつーと、混浴露天風呂連続殺人古谷一行木の実ナナ最近は山田まりやも出てる〜!?」 「おとうさん、こんよくって何?」 「いやだからチンチンとオッパイが・・・」 日暮れの迫る薄暗い脱衣所で、僕と丘は男らしく覚悟を決めて裸になり、混浴露天風呂へと進み出た。 しかし、そこは静寂の空間だった。 小じんまりした露天風呂には、いるはずのうさぎちゃんたちも存在しなければ、起こるはずの連続殺人も起こらない。 明日から黄金週間だというのに。鰻温泉、すいている・・・。 ![]() 無色透明の湯はやたらと熱い。45度くらいありそうだ。丘がぬるめようと、そばの水道の蛇口をひねった。すると、水が出てくるはずのホースの先から熱湯が出てくるじゃないか。 30秒ほど出しっぱなしにして、やっと水が出てきた。どうやら地熱で水道水も温められてしまっているらしい。ここ、火山の中だからな・・・。 しばらくすると熱い湯にも慣れてきた。指宿とは違って塩分はなく、アルカリ性単純泉。今日一日の疲れをじっくりと癒すうち、日が暮れてくる。相変わらず、うさぎちゃんたちは来ない。 「出よか・・・」 古びた内湯にもつかってから上がり、「まつまえ」に戻ってビールを飲む。 しばらく休んで、丘がテレビで「あたしんち」を見ている間に、僕だけこの宿の温泉に浸かりに行った。 脱衣室はなく、浴室の端の棚に脱いだものを入れる。地元の若くハンサムなパパと2歳の男児が、湯船で楽しげにボール遊びをしていた。タイル貼りの湯船が一つだけの、シンプルな銭湯っぽいお風呂だ。 湯は熱めだが、すぐに慣れてくる。壁には「噴気源泉」と大書きしてあり、その説明によると、火山性の温泉は噴気が地中や地表で水に溶け込んだものが普通だが、このお風呂は噴気が地上に直接出てきてそのまま水に溶け込んでいる、とのこと。 新鮮なお湯がザバザバ注ぎ込まれてどんどん溢れている。 ![]() 部屋に戻って再びくつろぐ。硫黄ガスの吹き出る音と、虫の声。窓からの風がなんとも心地よい。 「夏の夜の風やね」 丘はそうつぶやきながら、8時半に寝てしまった。 僕は10時ごろ、外に出てみた。 空を見上げると、手の届きそうなところに満天の星空がある。すごい数。どれが北斗七星かわからないくらい、どの星も冗談のように明るく輝いている。 考えてみれば、今僕は火山の中にいるのだな。 火口に水が溜まった真ん丸い鰻池は、火口壁にぐるりと取り囲まれ、流れ込む川も流れ出る川もなく、外の世界とはまったく隔絶された異空間だ。そのすりばち状のカルデラの中では常にあちこちから火山ガスが噴き出し、硫黄の匂いと蒸気が立ち込めている。そして、その熱の恵みで生きる人たちがひっそりと住み着いている。ここでは天然の噴気かまど「スメ」を通じて、地球の核と宇宙とがつながっているのだ。 わざわざ遠くのこの小さな異空間にやってきて、満天の星空を見上げている僕。 ゴールデンウイークだというのに、ここは忘れ去られたかのように他の温泉客もいない。 ここはいったい、どこなんだ。僕はここで何をしているのだろう。 星よ。地球よ。宇宙よ。そして西郷どん。 わが「いのちジャーナル」はこれからどうなるのでごわすか・・・。 この日の万歩計:20980歩(約13.6km・・・児童同伴モードの1歩65cm換算) 2日目(第2章)へGO! → |
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