ちょっとした旅ホーム
黙殺遺産---古市古墳群を歩く



(大阪府藤井寺市)

 涸れ堀の遺産

 午後から唐突に思い立って、藤井寺周辺の古市古墳群めぐりをしてきた。
 このあたりは飛鳥と難波を結ぶイニシエの街道・竹ノ内街道の沿線で、石ころを蹴ると古墳に当たるがごとくに前方後円墳が密集する地域だ。

 近鉄南大阪線の土師ノ里駅で降り、駅前でマーボーラーメンを食ってから、まずは駅の北側すぐの允恭天皇陵へ。ちなみにこのあたりは国府町という地名だが、河内の国府があったのかな。
 住宅と町工場や倉庫などが混在する何の変哲もない大阪衛星都市の風景の中に、ぽつねんと緑の照葉樹を濃密に茂らせた小山あり。けっこうごつい。地図で見ると南北400mくらいかな。ほぼ真北を向いている。
 周囲にはフェンスがめぐらされている。中の堀は涸れており、生え揃った青草が美しい。

 
允恭天皇陵を後円部から見たところ。サッカーボールを蹴りたくなるけど立入禁止

 ここから土師ノ里駅を挟んで南西約300mには、仲津山古墳(仲津媛皇后陵)の緑が見えている。
 沢田八幡神社のところで近鉄線路を渡ろうと思ったら、なんと、神社の境内を線路が突っ切っている。ここを特急がゴーっと通ってゆくさまはなんとも奇異なる光景でおもしろかった。

 境内に鳴り響く踏切警報機

 八幡神社の裏にまわると、またぐるりとフェンスに囲まれた仲津山古墳に出る。允恭天皇陵よりやや大きな古墳だが、やはり堀の水はほとんど涸れている。

 
(左)仲津山古墳、全国で8か9番目の規模   (右)前方部正面の堀端には新興住宅が建ち並ぶ


 踏み荒らし自由な遺産

 その南西、紙管工場を挟んで100mも離れていないところに、仲津山古墳と向き合うかたちで小さな古室山古墳がある。古市古墳群では初期の作品らしい。全長200mくらいかな。
 ここには掘りもなければフェンスもない。少女が犬の散歩をしている。どうやら上まで登れそうなので、登ってみた。

 
(左)古室山古墳の前方部、ただの草っぱら   (右)案内板にこんな地形図がある

 
(左)前方部(地形図の右側)の頂上から後円部(左側)の眺め、左奥の山は応神天皇陵
(右)逆に後円部から前方部の眺め、右奥の山はさっき見た仲津山古墳


 
(左)西名阪自動車道を挟んで応神天皇陵  (右)古室山古墳を後円部正面から

 後円部正面側には梅か桃などが植えられていて、お花見でもできそう。でも歩道などはいっさいつけられていないので勝手に斜面を誰でも登り放題、踏み荒らされてけっこう崩れてきている。
 一目で、あまり大事に管理されていないようすがわかる。でも実際の墳丘斜面を自由に登れるのは楽しいので、訪れた人や地域の子どもらにとってはフェンスで囲んで立ち入り禁止にするだけよりはいいかも。

 すぐ横を走る西名阪自動車道の高架下をくぐると、今度は大鳥塚古墳。これは古室山古墳と後円部どうしで向き合うかたちで、古室山よりさらに小さい。
 こちらも堀はなく、上り下り自由で、ほとんど遊び場状態だ。

 大鳥塚古墳、後円部から前方部を見る

 その南に接して、このあたりで一番巨大な応神天皇陵がデーン。全長600mはありそう。ここまで大きいとただの山にしか見えず、近くで見てもおもしろくもなんともない。ちなみにこの古墳は羽曳野市に所属する。
 ここは堀にちゃんと水があった。

 
(左)手前が前方部の右肩、左の遠い山がたぶん後円部  (右)逆サイドから。右奥が後円部


 ドブ化した遺産

 トラックなどの交通量が多い殺伐とした国道170号線を南へ。周囲のあちこちにこんもりした緑が見えるのは全部古墳だ。

 左の緑は蟻山古墳、道路正面は墓山古墳

 野中東交差点を右折すると、北側に狭山古墳。周囲は土建会社の資材置き場などになっていて、うるおい感ゼロな光景だ。
 なにかゴチャゴチャ建て込んでいて、近づけないな。民家のスキマを通ってようやく前方部前の堀に到達。

 
(左)周囲は倉庫や町工場  (右)前方部正面

 こんな看板を立てねばならん状態

 おや、この古墳はフェンスと堀で隔離されているのに、落葉樹の森になっている。関西の平地では、隔離された森は照葉樹林になるはずだ。落葉樹林は里山として利用されてきたか、近い過去に伐採された証拠。
 地図をよく見ると、前方部は堀があるものの、後円部は堀もなく、ほとんど国道バイパスにぶっつぶされたようになっている。
 そーゆーのもアリなわけね。

 その真南100mに、道路を挟んで宮山古墳。ここはちょっと意表を突かれた。もう開き直って削りまくりの利用しまくりです。

 
(左)資材置き場の向こうに宮山古墳  (右)隣は分譲中

 
(左)北側の堀は工事中。埋めようとしてるのか?   (右)斜面を豪快に削ってコンクリ階段設置

 
(左)南側の堀はすでになく、バーベキューする一家  (右)後円部の頂上には野中神社が

 
(左)神社から前方部を見ると・・・  (右)ガボっと削られて保育所が!

 
(左)保育所の手前から神社方面  (右)案内板の地形図。前方部に保育所、後円部に神社

 地形図の下の濃い部分は公園になっており、若い母親が遊具で小さな子どもを遊ばせていた。
 ま、どうせ誰の墓かわからんままフェンスで立ち入り禁止にするよりは、こういうふうに古墳で楽しめるようにするのもまたヒトツかもね。


周囲は普通の郊外住宅地だが、唐突に土壁が残っていたりする

 さて地図を見ると、ここから南へ600mほどいったところに、青山古墳という、このあたりでは珍しい円墳を見つけたので行ってみた。
 周囲はさびれた感じの町工場が多くなる。どこかいな〜とキョロキョロしていると、ボロいスナックの背後に荒れ果てた森が。これか?

 
(左)木がボーボー   (右)堀に水はあるが、かなり汚い

 うーむ。フェンスで隔離されているが、なんかもう周囲から完全に無視されているような状態だな。これっぽっちも大事にされていない。
 円形なのかどうか確かめるために、ぐるっと回ってみる。

 
(左)スナックの裏側。堀はドブ化してます  (右)まん丸なのを確認。直径100mたらず


 まあそれらしい見栄えの遺産

 さてと。あとふたつほど見ながら駅へ戻るか。
 青山古墳の少し西にきれいに管理された溜め池があり、そこに浮かぶように小型の仁賢天皇陵。全長200mたらず。周囲は新しい目の住宅地になっている。住宅分譲のためにきれいにしたのかな。

 
(左)仁賢天皇陵の後円部正面から  (右)堀を挟んで対決する建売軍団

 藤井寺駅に向かって北へ1kmほど行くと、大きな仲哀天皇陵がある。全長400mくらいか。
 市街地中心部に近いせいか、ここも周囲はきれいに整備されているようす。堀の幅が広く、水も豊かにたたえていて、風景としては一番それなりにおさまっている感じだ。

 
(左)仲哀天皇陵と広い堀  (右)堀の南側には蓮が生えている。花の季節にはよさげ

 そこから500mほどで藤井寺駅に出る。駅前はけっこう賑やかな商店街が広がっている。さて、銭湯いこ〜っと。

 以上のごとく、住宅地の中に古墳がポンポンある、というより古墳と古墳の間に住宅地や町工場が挟まっているのが南大阪の特徴的な風景だ。
 が、この地域の古墳のおもしろさは、その存在の無視されっぷりだ。
 寺や城なら、門前町や城下町など周辺のまちなみになんらかの影響を与えるのが普通。でも古墳はその壮大さに比して、周辺のまちなみにまったくといっていいほど影響を与えない。堀に面して新築の建売住宅がびっしり建っていたり、土建屋の資材置き場になっていたりする。

 そもそも誰の墓かわからないのがほとんどだし、宮内庁管轄のせいで自治体が公園などに整備するわけにもいかないのだろう。いくつかの大きな古墳を除くと、ほとんどの古墳はフェンスで囲んで放置されっぱなしで、堀にはゴミが投げ込まれたりしている。
 王家の谷のごとく巨大な遺跡が狭い範囲に密集しているというのに、地域の人々はまるでそ知らぬ顔で日常生活を送っている。黙殺と言っていい。

 このつながりのなさ、歴史と生活の断絶状況は、ある意味で注目に値するのではあるまいか。
 おしまい。 (2005.3.26)
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