台湾ちょっとした旅ホーム
集集(じーじー)

地震とビンロウの田舎町



2007.12.20
(台湾・南投県集集鎮)


集集線

 台湾のほぼ真ん中あたりの山間部に、集集という小さな町がある。
 1999年9月21日、そこを震源とするマグニチュード7.3の大きな地震があった。ダムや橋をはじめたくさんの建物が潰れ、死者は2100人を数えたという。
 しかし、どんなものでも商売にしてしまうのがチャイニーズの民。集集では地震で潰れたお寺がそのまま保存され、観光名所にすらなっているという。

 阪神大震災の被災者である俺としては、「不謹慎」という言葉を無化する彼らのたくましさに感慨を禁じえない。
 そこで、その寺を見るべく集集を目指した。

 集集へは鉄道が便利だ。
 台中(たいぢょん)の少し南にある二水(あーるしゅぇい)駅から「集集線」という支線が出ている。列車は1〜2時間に1本くらいだが、台中駅11:25発の列車なら乗り換えなしで行ける。

 台中から集集線に乗り入れる新型列車

 列車は連結部分が丸くなっていておもしろい。
 二水を過ぎて集集線に入ると、左手に八卦山脈末端のガケ、右手にはビンロウ樹の森が広がる南国の田舎風景となる。
 いくつかの駅を過ぎる間に八卦山脈は消える。ビンロウ樹とバナナ畑の緑に包まれながら、列車はゆっくりと進んでゆく。
 この支線も地震で寸断されたらしいが、地元の強い要望で再建された。だから線路は新しく、揺れも少なくて快適だ。

 
(左)八卦山脈    (右)列車の窓から

 
(左)先頭車両かぶりつきの鉄っちゃん専用スペースから    (右)集集駅に到着

 台中から1時間あまりで集集へ到着した。
 ここの駅舎も、日本時代に作られたものが先の地震で倒壊したが、その後そっくり日本時代のままの姿で再建されたという。韓国あたりでは決してありえない話だ。

 
(左)再建された和風の集集駅舎    (右)駅前は小さな広場になっている

 駅前の「珍宝館」の前にいたブタ


武昌宮(うーぢゃんごん)

 ここに来て気づいたのだが、地震で倒壊したのは「武昌宮」という廟で、仏教寺院ではないようだ。
 それを見に行く前に、とりあえず腹が減ったので、そのへんの小さな食堂に入った。プレハブ造りの簡素な店で、おそらく元の店は地震で壊れたのだろう。麺類、青菜、そして昼間っからビールいっときましょう。
 腹が膨れたら、武昌宮があると思われる方面へ向けてブラブラと歩いてゆく。

 
(左)こういうフツーの麺類がいちいちうまい    (右)店の中から。このユルさ、ビールなしでは無理

 
(左)武昌宮へ行く途中の風景    (右)どの建物も1階が作業場になっている

 今はビンロウの収穫期なのか、あちこちでその摘果作業が行なわれている。ビンロウは軽い麻薬作用のある噛みタバコのようなもので、噛むと口が真っ赤になる。台湾ではそれをくちゃくちゃやっているおじさんを時々見かける。
 アパート1階部分がその作業場になっているが、1階部分が開放されて壁が少ないこういった建物は地震に弱いはずだ。阪神大震災ではそうだった。

 橋のたもとの媚びた狛犬

 30分ほど歩くと、大型バスが何台も停まれる駐車場があり、その向こうにお目当ての武昌宮が見えてきた。
 これはすごい。鉄筋コンクリ造りだが、なんちゅーか、絵に描いたような潰れっぷりだ。

 
(左)1階部分がぺっしゃんこ    (右)もたれあっている

 
(左)色が派手なだけに、壊れたさまが妙に絵になる

 
(左)地震に対する鉄筋コンクリの無力さが見事に露呈    (右)中の神像や宝物が運び出された穴、たぶん

 廟をぐるりと1周した。平日なので観光客は少ないが、それでも10人くらいがウロウロしている。
 壊れた廟の横に、緑の幕で覆われた建築現場がある。ここに新しい武昌宮を建てている最中のようだ。

 建て替え現場

 廟の向かいには、鉄骨プレハブの体育館みたいな建物がある。ここが武昌宮の仮拝殿らしい。入ってみたら、ここは三山国王を祀る廟だった。
 三山国王とは広東省潮州にある三つの山を神格化したもので、唐代に戦乱を鎮めた伝説に由来する、客家(はっか)人らの信仰だ。
 台湾に住んでいるのは、アミ族などごくわずかな原住民族を除く大部分が中国各地からの移民だが、そのうち客家人は台湾人口の3割を占めるっちゅー話(大陸では数パーセント)。

  仮の廟

 
(左)三山国王、まっくろけ    (右)背後の龍の絵がこわいよ〜

 
(左)おヒゲがレゲエ    (右)金属板の絵馬のようなもの

 しかしなんで中国の神様はこんなにコワいのよ・・・。

 新しい廟ができたら、倒壊した廟は撤去されるのだろうか。
 地震で壊れた建物をそのまま見世物にするということは、被災者感情への配慮から日本ではまず考えられない。台湾では震災PTSDはどう捉えられているんだろう。そんなことより商売意欲が勝ってしまうのかな。
 しかし鉄筋コンクリがかくも脆いものであることや、人智を超えた自然の力を肌身に感じるという意味でも、こういうのをそのまま保存しておくことは、もしかしたらいろんな意味で有効なのかもしれない。
 でも、日本ではまあ無理だろうな。

 仮廟の横に、テント式の小さな仮設市場があるので、そこでバナナを1房の半分買った。それをむいて食べながら、またブラブラ歩いて駅方面へ戻る。
 台湾バナナ、うまい。


媽祖廟(まーづーびゃお)

 帰りの列車まで少し時間があったので、集集の町をぶらついた。
 きれいに舗装された商店街を歩いてゆくと、さっきの武昌宮とは対照的にピッカピカの廟が現れた。覗き込んでたら、入口付近にいたおじさんが何か言う。
 「まーづーびゃお!」
 まーづー・・・あ、媽祖廟か。鹿港の天后宮と同じだな。さっそく中へ入ってみた。

 
(左)集集の小奇麗な商店街、でも人通りは少ない    (右)ピカピカの媽祖廟

 
(左)どこもかしこも精緻な装飾ぎっしり    (右)いちばん奥に媽祖さま

 
(左)天井も鹿港の天后宮の神門にあったのと同じ    (右)媽祖、やっぱり黒い顔

 このピカピカぶりから考えて、地震後に再建されたものだろう。しかしそれにしてもゴージャスだ。まだ地震から10年も経っていないというのに・・・。
 媽祖信仰は多額の寄付を注ぎ込む多くの信者に支えられているようだ。ていうか、こういうカネの使い方が華僑のステータスになっているのかもしれん。

 そこから駅に向かう途中、1軒の飲み物スタンドに寄った。絞りたてジュースを買おうとしたが、メニューは皆目わからない。店の若い女の子たち(高校生くらい)とゼスチャー&筆談したが、なかなか通じない。彼女らは若いくせに英語はまったくダメ。授業さぼってるやろ!

 そうこうするうち、向かいの建物から一人の小柄な老婆が、娘の一人に体を支えられながらよぼよぼと出てきた。
 しわくちゃの老婆はこう言った。日本語だ。

 「私は戦争中にホリ(台湾中部の町、現地では「プーリー」)にいました。戦争が終わって、シューシューに来ました。ホリには日本の兵隊たくさんいました。日本の兵隊、台湾の子どもとてもかわいがる。子どもたち、よろこぶ。とてもかわいがる。とてもうれしい」

 日本人に会えた喜びが、おばあさんの全身から滲み出ている。そしてそのおばあさんの体を支え、見つめる孫娘たちの表情がたまらなくいい。愛されて、大事にされているんだな。
 なんだか泣けてくる。なんなんだよこの溢れかえる愛のオーラは。

 老婆は「少し待ってて」と言って、いったん家に戻っていった。そしてまた体を支えられながらヨボヨボと出てきた。手には大きな袋を持っている。
 袋の中にはバナナがたくさん入っていた。
 「食べないと、もったいない」
 だからこれをやると言う。

 日本の植民地時代、台湾でももちろん反日蜂起や弾圧事件は何度も起きている。しかし旧日本軍は、少なくとも一般民間人に対しては、さほど嫌われるようなことをしなかったのだろう。(日本の敗戦後に大陸から渡ってきた国民党政権があまりにひどかったため日本時代を懐かしむ人が増えたという話もある)。
 そのおかげで、俺みたいな戦争を知らないノーテンキオヤジが、日本人というだけで見ず知らずの老人に温かくもてなしてもらえる。

 やはり俺たちが目指すべきことは、どこの国の人にも愛される人間になることなんだな。歴史がどうの経済がどうの民度がどうのと、チンポコのデカさを競い合ったって仕方ないんよね(by 森巣博)。

 ばあちゃんと熱く握手して、日の傾きかけた集集の町をあとにした。
 帰りの列車は二水で乗り換えだった。

 今度来るときは、なにか日本のオミヤゲを持って、またあの飲み物スタンドに行ってみよう。
 ばあちゃん、それまでお達者で。

台湾ちょっとした旅ホーム