ふしぎ山
夷耶馬(中山仙境)
えびすやば 大分県豊後高田市、353m


 過疎化の進む日本の辺地の例に漏れず、国東(くにさき)半島もまた難儀なまでに不便なところだ。 

 ほぼ円形の半島は直径約30km。海岸沿いには半島を1周する国道があって路線バスが走っているが、内陸部には公共交通がほとんど存在しない。
 だがその谷あいには神仏習合の磨崖仏や石仏が無数にちりばめられていて、それら山岳信仰の遺産群は「六郷満山」と呼ばれている。濃厚な土地柄だ。

 そんな中に、「夷(えびす)」という奇妙な地名がある。
 「夷」とは、異形なるもの、よそもの、まつろわぬ野蛮人、といった意味だ。かつて中国人は和人を「東夷」と呼び、和人は先住民を「蝦夷」と呼んだ。徳川家将軍の正式名称は「征夷大将軍」であり、夷とは征伐すべき対象だった。
 そんな名前がこの地域につけられているとはどういうことなのか。

 
(左)国東半島   (右)夷の周辺を拡大

 半島北端の香々地(豊後高田市)から竹田川を6kmほど遡ると、前田という集落で谷が二手に分かれる。
 その先で、図面が全体的にぐしゃぐしゃになっている。「岩ガケ」記号がぐしゃぐしゃに密集し、等高線がまともに引けていないのだ。
 その真ん中に「夷」と印字されている。
 このあたりは奇岩怪石が無数にむき出して屹立し、まるでミニ桂林のような奇観を呈しているようで、同じ大分県の景勝地「耶馬溪」になぞらえて「夷耶馬」と呼ばれているらしい。

 夷耶馬は、二手に分かれた谷(東夷谷と西夷谷)によって3分割されている。
 そのうち真ん中の部分は、「中山仙境(なかやませんきょう)」という名前で山歩きのガイドブックなどにも紹介されている。最高点の高城で316mしかないが、山岳密教の行場でもあったコースは人気があるようだ。
 だが地形図では北側の山塊もぐしゃぐしゃ度では負けておらず、最高点も353mと少し高い。逆に南側のぐしゃぐしゃはハジカミ山の山すそ250m以下にある小規模なもの。

 そこで今回は中山仙境とともに、北側山塊の最高点353mピークにも登ってみることにした。
 地形図によると、353mピークの真北、見目川の最上流部に「山ノ神」という集落がある。この地名にもピクッときたので、ここから登ってみよう。そしていったん前田に下り、さらに中山仙境へ向かうことにした。

 今回歩いたルート

 見目川は、夷から流れる竹田川の東隣の小さな川だ。
 ちょうどこの川のところでだけ、海岸沿いの国道が2kmちょっと内陸部に入り込んでくる。海にせり出した山塊を避けるためだ。国道は新竹田津トンネルをくぐって再び海岸線に戻ってゆくが、路線バスはさらに1kmほど内陸の旧竹田津トンネルを抜けて行く。トンネルの手前には「伽藍」というバス停がある。

 俺はそこから歩き始めた。

 見目川上流、姪畑集落近く

 のどかな谷に沿って、誰もいない舗装道路を2km弱ほど歩く。やがて谷は狭まって山のケハイが濃くなり、林間のしいたけ栽培地に埋もれるように数軒の民家が見えてくる。ここが山ノ神だ。

 山ノ神集落

 でもまだこのあたりには夷耶馬っぽい岩場は見当たらない。
 右に林道を分けて直進すると、まもなく舗装が切れて山道となる。周囲は杉の植林で、林の中の随所にシイタケが栽培されている。
 それにしても今日はやたらと湿度が高い。もしかしてこれはこの地方特有の気候なのだろうか。そういや大分県は日本一のシイタケの産地だが、これだけ湿度が高ければキノコ類はよく育つに違いない。

 
(左)ここから山道になる   (右)高湿度の植林帯

 森の中から時おり鹿の声が聞こえる。谷の最上流域近くは大きく切り開かれてシイタケ畑になっていたが(下の写真)、そこには4頭の鹿が走っていた。

 最奥のしいたけ畑

 谷の源頭部で杉林は切れ、自然林となる。と同時に道はなくなった。しかし、そう古くない踏み跡がついている。大きな岩も現れはじめた。
 左にあった尾根筋が東側から食い込む数本の谷の源頭に吸収され、いつしか主稜線の東側をトラバースするかたちになっていた。

 
(左)自然林に入ると道が消え、岩が現れる   (右)斜面に踏み跡あり

 斜面の踏み跡はいよいよ判然とせず、行く手を阻まれてはルートを修正する。
 この斜面の右手に353mピークがあるはずなので、とにかく右ナナメ上へとよじ登っていくと、垂直のガケに当たった。この上だろうけど、ここからは登れない。

 
(左)垂直の岩壁、この上かな?   (右)青い大ミミズがいた。約20cm

 がけ下に沿って左(南)へ進んでいくと、ガケはぷっつりと消え、代わりに巨大な岩がデンと鎮座する主稜線に出た。
 稜線上を少し戻って、さっきのガケの先端に取り付いた。

 
(左)稜線上の大岩、雨やどりができる   (右)この上だな

 
(左)このスキマをくぐって這い上がれるぞ   (右)抜けた!

 とたんに大展望が広がった。353mピーク頂稜の南端だ。歩き始めて1時間ちょっと。
 あまりの湿気のせいでかすんでいるが、夷耶馬全体がよく見える。

 
(左)南東。大きなのは黒木山、手前の岩場が夷耶馬の北部山塊   (右)東夷谷をはさんで南には中山仙境

 上の2枚の写真でいうと、遠景のもっこりした大きな山々ではなく、中段のデコボコした部分が夷耶馬だ。標高は低いが、侵食に耐えた硬い岩峰が三々五々突き立って、奥の山々とは異なる様相を呈している。この地形を地図に表すと、岩ガケ記号でぐしゃぐしゃになるわけだ。

 下は中山仙境の全体写真。手前の緑部分は今いる353mピークの裾野で、中段のモスラ幼虫のようなのが中山仙境、その向こうにハジカミ山、尻付山などが並んでいる。
 ここから見ると中山仙境はずいぶん小さいな。


珍しくうまく収まった連続写真。右の前田集落からナメクジ状に高まる。登山道はその背中についている

 
(左)鹿のフン、こんなところから鹿も下界を眺めているのか   (右)頂上はこの上だ

 頂稜は北の高みへ続いている。そこに頂上があるはずだ。
 岩場を少し這い登って、今度こそ本当の頂上に達した。4畳半ほどの広さがあり、三角点がある。ここが夷耶馬全体の最高点、353mだ。

 
(左)353mピーク山頂、ポールのようなものの残骸もある   (右)海のほう(北西)を見る

 三角点

 山歩きが好きな人の中には、三角点の標石を写真にとって回る「三角点マニア」というジャンルがあるらしい。俺はほとんど興味がないが、こういった道なき山によじ登って見つけた場合には、けっこう嬉しかったりもする。目的地は確かにここだ、ということだし。
 道のないところに、人はめったに来ない。この山などは年に数人来るかどうかだろう。そんなところで、誰かに作られたものが風に吹かれてポツンとさみしく待っている。俺は今そいつに出会って、しばしの時をともに過ごしているわけね。

 山々に、しきりに鹿の声がこだましている。見通しがイマイチなのが残念だが、誰もいない山のてっぺんで過ごすひとときは格別だ。
 おにぎり食ったりしながら40分ほど滞在した。

 ヘビのぬけがら、こいつもなぜ山頂に来たのか

 山頂をあとにして、さっきの大岩から稜線上を南へ。少し行くと、地図上にある点線ルートの三叉路とおぼしき峠に出た。
 ここは東の国見町西方寺(現在は国東市)と西の前田・夷とを結ぶ峠で、山ノ神からの道もここで合流しているはずなのだが、どの道も完全に消えている。クルマ社会になって、こういった古い峠道は消滅する一方だ。

 しばらく稜線に沿って進んでゆくと、前方に岩峰が立ちはだかった。さっきの山頂から見た、夷耶馬の北部山塊ぐしゃぐしゃ地帯のおでましだな。

 
(左)昔の峠とおぼしき鞍部   (右)北部山塊の岩場が現れた

 ここから西の前田集落を目指して谷を下った。
 急斜面の杉林だが、この谷も湿度が高い。いくら下れども地図上の点線は現れず、林床は荒れてシダと苔に覆われ、下るにしたがってジュクジュクしてきてスンナリとは下れない。

 
(左)岩上に群生するヒトツバの仲間   (右)謎の遺跡、この奥に苔の階段が続く(登らずちょっと後悔)

 突如として何かの遺跡(上右写真)が現れた。奥には苔に覆われた急な階段がはるか上まで続いている。
 これを過ぎてもう少し下ったあたりでようやく右岸にシイタケ栽培地と道らしきものが現れ、さらに下るとパッと開けて前田集落に出た。山頂から1時間近くかかった。

 中山仙境の最高部が見えた

 田んぼに実った稲穂がたいへん美しい。その向こうに中山仙境の山頂部(高城と呼ばれる)が見えている。353mピークから見たモスラ幼虫を、こんどは地上に下りて尻尾のほうから見ているかたちだ。

 すばらしい風景

 少し下ると竹田川ぞいの幹線道路に出た。中山仙境の登山口がすぐそこに見える。
 下りてきた方角をフト振り返ると、奇妙な岩峰が見える。おや、もしかしてさっきの353mピークってあんな形だったのか!?

 
(左)前田。正面中央が中山仙境の登山口(モスラのしっぽ先端)   (右)353mピークはあれだったのか?

 あんなに目立つ形をしてるなら名前があるはずだ。誰かに聞こうと思ったが、周囲に人っ子一人いない。
 地元民を探して15分ほどウロウロしていたら、閉まっていた小さな売店の横にクルマが止まった。店の人とおぼしき女性が乗っていたのでつかまえ、「あの岩は何という名前ですか」と尋ねたが、知らないという。「おばあちゃんにでも聞かないと・・・」とおっしゃるので、「聞いてくれ」と言おうかとも思ったが、やめといた。登ったのは確かにあの山だったとの確証もないし。
 ま、いいか。中山仙境へ、第2ラウンド開始としよう。

 登りはじめてすぐに下写真のようなのが現れた。看板を読んでみると、なんとこれは地元に尽くした産婆を神格化したものだ。これは珍しい。しかも平成元年に建てられたものだという。

 
(左)左に立っているのは弘法大師と思われる   (右)おなさばあさん

 この人は「おなさばあさん」、本名、板井テルさん(明治8年生まれ)。明治・大正・昭和の50年間この地域でお産をとりつづけ、村人たちに慕われたとのことだ。

 そこからコースは一貫して稜線上を行く。偽木階段でよく整備されており、小さなアップダウンを繰り返しながら少しずつ高度を上げてゆく。
 ただし、ちょっと油断するとクモの巣がベショーッと顔面を直撃するので、常に木の枝を前方で回転させながら歩かねばならない。今日はまだ誰も登ってないらしい。
 昔の行場らしく、あちこちに弘法大師の祠がある。見晴らしのいい場所は拝所になっていて、遍路のように番号がつけられている。

 
(左)よく踏まれた尾根道   (右)ヒトツバに埋もれた弘法大師

 目指す頂上(高城)が見える

 
(左)道をふさぐ倒木に開けられたトンネルをくぐる   (右)裏から見たところ

 
(左)4番拝所のピークから前田方面を振り返る   (右)高城(右端)まだ遠し

 やがて徐々にアップダウンがきつくなり、鎖場が断続的にあらわれるようになる。でもさして危険はない。鎖なしでも登れないことはない。
 それよりも湿気がたまらん。しかも完全なる無風。カメラを構えると自分の息でメガネが曇り、しかもその曇りがなかなか消えない。
 途中に一ヵ所、東西の夷谷に下る十字路があった。

 
(左)鎖場があらわれる   (右)シダと苔に埋もれて随所に弘法大師あり

 
(左)稜線状にこんな岩峰もあり   (右)その岩峰にも弘法大師あり

 それにしても湿気およびクモの巣との戦いでちょっと疲れてきたぞ。
 遠くに見えてきた頂上(「高城」と呼ばれている)がだいぶ近づき、ひときわ小高い岩場を登ったところで、このコースのハイライト、無明橋に着いた。
 2本の石板をうまいこと合わせて橋にしてある。東側は谷底まで数十メートル切れ落ちているので、高所恐怖症の人には渡れないだろう。でも西側は2m少々の段差にすぎず、巻き道もある。

 
(左)ここを登ったところに・・・   (右)無明橋を渡って振り返る。遠くの谷は前田方面

 東側は谷底だ

 このあたりまで来ると眺めがたいへん素晴らしく、周囲の夷耶馬一帯の景観を常に眺めながら登ってゆくことになる。
 さっきから夷耶馬の北部山塊もよく見えていて、その中でひときわ高い部分が353mピークであることがすでに明白だ。それは前田から見えたあの奇峰とは全然違う。あの奇峰は下部尾根から飛び出した岩のひとつに過ぎなかったようだ。見る角度のいたずらだな。はは。

 
(左)東夷谷をはさんで北部山塊を見る。ピョコンと飛び出したのが353mピーク   (右)手前の岩々

 
(左)行く手の稜線、高城までもう一息! のところにも弘法さん   (右)ラストの登り、頂上に立っている石が見えた

 やがて高城に到着した。前田から1時間20分ほどかかった。たった300mやそこらなのに、アップダウンが多くて思ったより登りごたえがあったなあ。
 ここも4畳半くらいの広さの岩場で、弘法大師の祠と、天照大神の碑石、三角点などがあって賑やかだ。
 そしてもちろん360度、周囲をぐるりと見渡せる。といっても湿度は高いが標高は低いので、はっきり見える範囲は夷谷の周辺だけだ。南にデンとハジカミ山があるが、国東半島奥地の山々はぼんやりとかすんでいる。
 おにぎりをもうひとつ食って20分ちょっと休憩。

 
(左)高城頂上   (右)こう表示されていた

 
(左)歩いてきた稜線と、向かいの北部山塊   (右)353mピーク拡大、お昼前はあそこにいた

 祠の向こうに南へと道が続いている。あとはこれを下るだけだ・・・と思ったら、向かう稜線のピークはどう見ても高城よりも高そうじゃないの。
 そのピークを越えると馬の背の痩せ尾根となり、さらに2つほどピークを越えた。

 
(左)さらに南、高城より高そうなピークへと道が続いている   (右)このあたりはイワヒバが美しい

 
(左)南のピーク頂上から高城を振り返る。やっぱりこっちが高い   (右)前方さらに馬の背のやせ尾根が続く

 左下(北東)に見える岩峰

 やがて尾根がガクンと切れ落ちて行き止まりとなり、ルートは右へ急降下してゆく。
 高城までは鎖場があってもたいした危険はなかったが、ここからの下りはけっこう行場っぽい。岩に刻まれたステップや鎖の設置がなかったらヤバそうなところが何ヵ所かあった。

 
(左)稜線はこの先は進めない   (右)右の急斜面を降りて行く

 かなりの傾斜で下りつつ、ルートは左へ左へと岩場を巻いてゆく。ガケを大きく回りこんでいるようだ。
 やがて落差数十メートルの岩壁を見上げるような位置となり、まもなく不気味な洞窟が現れた。高城を出てから20分くらいだったかな。

 
(左)巨大岩壁の下へまわりこんだ   (右)洞窟がある

 
(左)二つの穴に何組かの弘法大師があった   (右)かくれうと、と読むらしい。いったいここで何をしたのか

 ところで、ここまで大きく岩壁を回りこんできたために方角を勘違いしたようで、どこをどう間違ったのか、隠洞を過ぎたところで俺はルートを見失った。道がない。

 午前中に北部山塊の353mピークに登ったときは、もともと道がないために地図と磁石で丹念に位置を確認しながら進んだので、何の問題もなかった。
 だが中山仙境に入ってからはずっと整備された登山道をたどったため、緊張感が完全にゆるんでいた。磁石もリュックのポケットに入れてしまっていたし、下山後の温泉のことが頭にチラついていたせいもあるだろう。
 ようするにナメてかかった俺は磁石を出そうともせず、隠洞まで戻ろうともせず、どうせじきに麓の道路のどっかに出るだろうとタカをくくって、そのままヤブ谷に突っ込んでいった。

 
(左)この谷を強引に下った愚か者   (右)岩のトンネル

 この谷は狭かった。杉が植えられているが、下草が繁茂してジャングルのようだ。何度も立ち往生して右へ左へと進路を変えるが、なかなか進めない。クモの巣も相変わらずだ。
 鹿が俺に驚いて、ドドドドと猛スピードで谷を下って逃げてゆく。鹿のあとから石がバラバラと落ちる。
 あんなに走れるということはそれなりのスペースがあるに違いない、と考えて鹿の走ったあとをたどってゆくと、たしかに他の場所よりも歩きやすかった。

 鹿の足跡

 湿気むんむん汗べとべと、じっと我慢して鹿道をたどること40分ほどで、ようやく麓の道路に出た。ズボンから帽子まで泥だらけだ。
 東夷谷に沿う道路を上流へトボトボと歩き、15分ほどで夷谷温泉にたどりついた。300円で浸かる茶色いお湯が至福のものであったことは言うまでもない。

 以上、湿気むんむんの夷耶馬6時間の彷徨であった。

 夷という地名は、かつてここにエミシか土蜘蛛などの先住民が隠れ住んでいたということかもしれないし、もしかするとこの谷間一帯の日本離れした異形の風景や、ここへ通う山岳修行者ら異能の者たちの姿からいつしかそう呼ばれるようになったのかもしれない。
 いずれにせよ、夷に限らず国東半島にはこういった「耶馬」地形が随所にあり、ちょっと病みつきになりそうなディープな場所だ。今後何度も来てしまいそうな気がする。

 ちなみに俺が下った谷は、正しいコースの西隣の谷だったようだ。帰ってから調べると、どうやら隠洞のところで右へ曲がって下りて行くしるしを見逃したらしい。そしたら15分ほどで車道に出られたんだと。くやしいなぁ。

 温泉のことは完全に下山してから考えましょうとの教訓じゃよ皆の衆。

 (登:08.10.7)
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