ふしぎ山
根子岳 (猫岳) ねこだけ
熊本県阿蘇市、1433m



 世界一のカルデラ活火山・阿蘇。とにかくスケールがデカいったらありゃしない。

 中央火口丘にあたる「阿蘇五岳」は、外輪山からの眺めが「仰向けに寝たお釈迦様の姿」に見えると言われる。
 その身長13kmに及ぶグレートお釈迦様の顔の部分が根子岳だ。真ん中の最高点・天狗岩が鼻に当たる。

 阿蘇のほかの山々に比べて、どういうわけかこの山だけ頂上部が激しくギザついている。こいつだけが異質なのだ。
 伝説によると、「阿蘇の山々が高さ比べをしたとき、勝った根子岳があんまり威張るので、神様に頭を竹ぼうきで叩かれてこうなった」そうだ。こんなに頭ザクザクになるまで叩いたら死ぬっちゅーねん。

 でも俺は写真などでこの山を見るたびに、「お釈迦様の顔」よりも、小学校のとき給食で使われていた「先割れスプーン」を思い出して仕方がない。
 あのスプーンは、スプーンとフォークの正しい使い方の習得を妨げるというような理由で廃止された。たしかに奇妙な食器ではあったが、懐かしくもある。あの先っぽで豆を一粒ずつ突いたよなぁ。

 そんな感傷を起こさせる山なのだ。ネコちゃんは。

 カルデラの北側の谷(阿蘇谷)を走るJR豊肥本線・宮地駅を出発したのは、朝7時だった。
 国道沿いのコンビニでパンとおにぎりを買ってから、2軒目のパチンコ屋の角を南に折れ、山に向かってゆるやかに登ってゆく。

 赤線が歩いたルート。上の○が宮地駅

 根子岳は頂上部のギザギザ部分の崩落が近年激しいらしく、安全に登れるのは東峰だけとされている。冒頭写真は下山後に撮った南面だが、右端のなだらかなピークが東峰だ。
 最高点の天狗岩(写真中央)および西峰へはクライミング技術がないと「通行不可」とのことだが、「天狗の肩」までは北側の谷を辿れば素手でも登れるらしい。
 さらに、そこから東峰への縦走は「冬季禁止」、ちゅーことは夏季はオッケーですよね?

 そこで俺は、まずは天狗の肩へ向かって食い込む北側の谷、ヤカタガウドの登山口を目指した。

 森の中を抜け、いくつかの牧場を過ぎて1時間近く歩いた頃、見晴らしのいい別荘地に出た。とたんに阿蘇五岳の雄大な風景が広がった。
 カルデラ内の天気は悪くはないが、上空は強い風が吹いているらしく、雲がどんどん飛んでいく。そしてクヤシイことに、目指す根子岳は頂上部に雲がまとわりついている。あの雲、なんとか消えないものか。

 
(左)森の中の道路を少しずつ登ってゆく   (右)高岳(左)と杵島岳。高岳の山頂部も雲がかかっている

 
(左)お目当ての根子岳   (右)ギザギザ部分アップ。肝心なところだけガスっている

 山に近づくにつれ、大きく広がる根張りを持つ高岳などに比べて、根子岳の北面は麓から壁のように急傾斜で立ち上がっていることがわかってくる。今からそこを登るわけか。

 やがて道は溶岩台地に上がり、雄大な阿蘇谷や外輪山を見渡せるようになる。路傍にはノジギクやマツヨイグサなどの秋花が風に揺れ、小鳥たちがにぎやかに飛び回っている。俺のほかは人も車もまったく通らない。
 右手にパン、左手に缶コーヒー、歩きながら朝食をとりながら世界一の景色を眺めながら。そして一歩一歩、ふしぎな山に近づいてゆく。

 歩き始めて1時間40分、ようやくヤカタガウドの入口に着いた。ちなみにこのまままっすぐ車道を登ると、日ノ尾峠を越えて南阿蘇谷に至る。
 ヤカタガウド方面へは、荒れ気味の細い舗装道路がしばらく続いている。

 
(左)ヤカタガウドへ向かう荒れた舗装路   (右)外輪山と阿蘇谷を望む

 舗装道路は真新しい砂防ダムに突き当たって終わった。その終点の奥のほうをよく見たら、伸びた夏草の中に踏み分けが隠れている。
 草を分けて少し進むと入山届けのポストがあり、そばの木札に「無理するな」と書かれている。かなり事故が多いコースのようだ。

 ポストから進むと、すぐにまた真新しい砂防堰堤の上に出る。それを越えてガレ上の踏みあとを辿ると、また新しい堰堤。それを越えてガレを登ると、また・・・で、いくつ越えたかな? 5〜6個はあったか。もう地元の土建業者はウハウハだな。
 いいかげん嫌になったころ、ようやく谷がすぼまり、堰堤攻撃が終了した。と同時に両側からU字状に岩壁がせり上がり、上から樹木が覆いかぶさって、雰囲気が一変する。
 まるで緑の魔境の入口ゲートだ。一気に気持ちが昂ぶってくる。

 
(左)堰堤にせき止められたガレの連続がようやく終わる   (右)魔境へのU字ゲート、いくぞ〜

 ゲートを過ぎると谷は屈曲し、苔むした小滝がいくつか連続する急角度な沢となる。やや難しいところもあるが、滑らないよう慎重に登ってゆく。

 ここは右をへづって越える

 40歳くらいの男が一人下りてきた。頂上部は「ガスで真っ白でした」だって。

 狭く険しい谷は巨石で埋め尽くされている。岩の隙間を流れ落ちる清い水を空のペットボトルで受け、飲み水を満タンにした。
 ところどころにロープがペロンと「置いてある」。そこをルートに選べば、ロープに頼らずとも越えて行ける。

 やがて谷は左右が開けて明るくなった。振り返れば阿蘇谷がどんどん低くなる。
 ガレを右へ左へと黙々と登るうち、前方に奇岩が見えはじめた。その奥はガスに覆われている。いよいよだな。
 ふと左を見ると、写真で見たことのある岩があった。めがね岩だ。

 
(左)前方に奇岩が見え、ガスが迫る   (右)めがね岩

 ガスの手前で振り返り、阿蘇谷風景に別れを告げる

 めがね岩を通り過ぎたところに標識があった。天狗岩へはここで谷を離れ、左の森の中へ入るべしと書いてある。
 ヤカタガウド登山口から1時間20分、宮地駅からはちょうど3時間。ここでこの日最初の休憩をとった。

 ガスに入ったあたりから頂上部を望む

 10分ほど休んで森に入った。小さな尾根筋にルートが開かれているが、けっこうな激登り。ガスに入ったため、あとどれくらいなのかわからない。
 汗を噴出させながらひたすら登っていたら、30分ほどで岩だらけのところへポンと出た。まさしく、ポンと。正面の岩の向こう側は真っ白な空間だけで、ほかに何も見えない。
 着いたみたい。ここがギザギザの先割れスプーンの稜線、天狗の肩だ。

 稜線はナイフのように切り立った岩でできている。南側には南阿蘇谷の大パノラマが広がっているはずだが、そっちを覗くや、暴力的な強風が霧とともにビュウビュウと顔面にぶつかってくるのみで、ナーンモ見えん。

 
(左)岩の向こうを覗くと、真っ白な空間だった   (右)この先に最高点の天狗岩があるはずだが・・・

 天狗岩方面の岩には「この先キケン」と黄色のペンキで書かれてある。風に飛ばされないよう慎重にその向こうを覗いてみたが、白いだけで様子がさっぱりわからない。見えない上にこの強風じゃ、とてもじゃないがキケンを冒す気はしない。
 その反対側、これから縦走する予定の東峰方面には切り立った岩峰がうっすらと浮かび上がっているけど、こいつもたいがいだな・・・南側がタテ一文字だ。

  
(左)「この先キケン」の先を見上げる。あれが天狗岩かな・・・   (右)これから進む東峰方面

 強風の当たらない場所でおにぎりを食いながら20分ほど休んでいたら、なんと突然、手品のようにガスが晴れちゃった。ほんの数十秒のうちに。
 ガスが消えると、風景は一変した。

 
(左)突如として展開した南阿蘇谷の風景   (右)稜線の南のガケ下は、地獄谷の美しい自然林だった!

 
(左)これから進む道も見えた   (右)稜線を彩るガマズミ

 ははは、なんか俺、神様に愛されてるのかな? さっそく東峰への縦走に出発だ。
 尾根筋は細いけど、灌木がそこそこ生えてるので思ったほど怖くない。2つ目のピークを越えるあたりで振り返ると、さっきまで見えなかった主峰・天狗岩がドカーンと突き立っていた。

 
(左)お釈迦様の鼻こと天狗岩。写真中央やや左下が、おにぎりを食った「天狗の肩」   (右)東峰への稜線

 縦走路は事前の情報通り、あちこちで崩落していた。稜線を外れて迂回しなければならない場所が次々に現れるが、岩場の下りに設置されているのは安物のトラロープだけ。

 
(左)最初の難関を下って見上げる   (右)天狗岩の向こうに見えた西峰への稜線。無ザイルではたぶん死ぬ

 
(左)北側に阿蘇谷の宮地が見えた。あそこから歩いてきたとはね   (右)山津波の崩壊斜面

 いちばんの難所は、崩落した地獄谷の源頭を迂回するために南側へ下る岩場。ここは安物トラロープに体重を預けざるを得ない。

 そこを通過した直後、ふいに1匹のスズメバチがまとわりついてきた。これはマズイぞぉ。タオルをかぶってしゃがみこみ、天狗様に祈りを捧げる。
 しばらくしたら羽音が聞こえなくなったので歩行を再開し、崩壊地をトラバースしようとしたところ、さっきのスズメバチ様がまた襲来。ますますマズイ、完全に俺は容疑者扱いだ!
 再びタオルをかぶってしゃがみ込み、こんどは日蓮と弘法大師とアッラーと目玉おやじに祈りを捧げながら死んだフリをする。

 
(左)一番の難所を下る。このあとスズメバチ襲来   (右)ここをトラバースする直前にもまた襲来

 目を開けた。俺は生きている、そして羽音は消えている。一刻も早くここを離れるべきだ。
 そそくさと崩壊地を抜け、木の茂ったところへ入ってホッとした。ガケよりスズメバチのほうが怖いよなあ。

 その後は進むに連れて、だんだんと危険な場所は減ってきた。

 
(左)と言いつつルートが断裂していたり。ここは飛び越える   (右)天狗岩がだいぶ遠くなった

 
(左)天狗岩拡大、これはもうウェポンでせう   (右)ちょっと不思議な感じの溶岩坂

 上右写真の坂を越えると岩場は終了し、あとはさわやかな散歩道のようになる。東峰はすぐそこだ。
 左手に阿蘇谷、右手に南阿蘇谷、それらすべてを包み込むビッグスケールな外輪山。世界最大のカルデラの上空を天狗のように颯爽と歩いてゆく。
 天狗の肩を出て50分で東峰の頂上に着いた。1408m。

 
(左)もうオミナエシが咲いている   (右)東峰頂上

 ここまで来たら、もう今日の山は終わったようなものだ。あとは平易な大戸尾根を南阿蘇谷へ下り、南阿蘇鉄道終点の高森駅までのんびり歩くことにしよう。

 中央○が天狗の肩、その右○が東峰

 残りのおにぎりとパンを食っていたら、50歳くらいのおじさんが大戸尾根からヒイヒイ言いながら登ってきた。
 「いやー、ここはまた単調な登りでまいったよ。じつは午前中に高岳も登ってきたんだけど、あっちの仙酔尾根も単調でさあ。バカ尾根ばっかで、もうやんなっちゃった」

 仙酔尾根は高岳登頂の最短コースで、地図にはわざわざ「バカ尾根」と書いてある。大戸尾根も同じパターンであることは見ただけでわかる。山ではたいていの場合、「安全なコース=あまりおもしろくない」の法則が成り立つからな。
 山際ギリギリまでクルマで登り、山頂までの最短コースをピストンして駐車場所に戻る。おじさんはそうやって盆休み中にいくつもの山頂を踏んでいるらしい。単調でつまらない山だ、とボヤきながら。
 まあ人それぞれだから別にどうでもいいんだが、いわゆる「百名山」ブームがこういった登り方に拍車をかけていることは確かだろう。

 しばらくして1組の夫婦が、やはり大戸尾根から登ってきた。おじさんと同じ場所にクルマを停めてきたとのこと。
 その人たちに「お先に」と言って、30分ほどで東峰を後にした。

 おじさんに追いつかれないよう、モッチョム下山でガンガン下る。目の前には素晴らしい南阿蘇谷の風景が広がっている。
 この道はしめった黒土で滑りやすい。こけないよう慎重に飛ばした。30分ほど下ると牧場のゲートがあり、その先は牧野を通ってゆく。

 
(左)南阿蘇谷へ下りてゆく。目指す高森は右上の外輪山の麓   (右)牧場に出た

 牧場内を10分ほどで通り抜け、ゲートを出たところに、山頂で会った人たちのクルマが2台停まっていた。
 そこから後はすべて車道歩き。農地が現れ、人家が現れ、集落を抜けてゆく間、何度も根子岳を振り返りながらゆっくりと下ってゆく。
 登る前は見えなかった頂上部のギザギザも今はくっきり見える。下るに連れて形が変わってゆくさまがおもしろい。

 
(左)正面が地獄谷、右端が東峰。西峰は手前の尾根が邪魔して見えない   (右)左端に西峰が見えてきた

 東峰頂上を出て1時間10分で、国道255線の中原バス停に出た。でもバス便は予想通り少なくて使えない。これじゃみんなクルマを使うわな。

 国道沿いを30分ほど歩くと、「高森の湯」という立派な町営温泉施設があったので立ち寄った。お湯や設備はどこにでもあるスーパー銭湯だが、露天風呂に浸かりながら正面に根子岳を一望できたのはなかなかよし。このあたりからの根子岳は、絵はがきなどでよく見る姿だ。
 風呂上りにビールを飲んだりして1時間半ほど滞在したが、ちょっとゆっくりしすぎたかも。高森からの南阿蘇鉄道も本数が少ないんだが・・・。

 真ん中の天狗岩から右端の東峰へ縦走した

 風呂から出たあとは、少し急ぎ足で国道歩行。
 根子岳が遠ざかるのと引き替えに、前方の外輪山が近寄ってくる。外輪山はカルデラ内に尾根を伸ばしているが、それらの末端部は、規模は小さいけど「ふしぎ山」の様相を呈していておもしろい。

 
(左)これには「らくだ山」という名前がついている   (右)これは地図に名前がない

 
(左)名もない小突起。他の土地にあれば信仰対象になりそう   (右)根子岳のギザギザを振り返る

 結局、3時半に「高森の湯」を出てから高森駅まで1時間かかったため、4時20分の列車に間に合わなかった。次は1時間半後か・・・。
 駅前のラーメン屋で冷やし中華とギョウザとビール、高森駅に戻ってまたビール。洗濯したシャツやパンツや靴下を、駅前のケヤキ並木にズラーっと吊るして乾かしながら列車を待った。



 宮地から根子岳を経由して高森へと下った9時間半の行程は、世界最大のカルデラ内部を北から南へ横断する旅となった。
 根子岳は懐かしの先割れスプーンと同様、丸いフォルムと先端のギザギザを併せ持ち、表情豊かに迎え入れてくれる魅力的な山だった。ごちそうさまでした!  (登山日07.8.15)

 さらば先割れスプーン
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