ふしぎ山
大嶽 おおだけ
香川県小豆島町、390〜400mくらい



 瀬戸内海で淡路島の次に大きな小豆島。このオリーブに包まれた平和で美しい島に、「大嶽」という個性的な山があるとの情報を入手した。四角い岩をボンと置いたような、ふしぎな山だ。
 だが地図にも登山ガイドにもそんな山はいっさい載っていない。国土地理院の2万5000分の1地形図にも名前がない。
 ネットで検索したら、こんな素敵なHPを見つけた。ここの「山歩きレポート」にくわしく出ているぞ。途中、ヤブになっているようだから夏は避けるほうがよさげだ。
 さっそくこの方に連絡を取ってくわしく教えてもらい、一路、小豆島へ。

 右下のの位置に大嶽がある

 小豆島へは姫路からもフェリーがあるが、今回はジャンボフェリーで高松経由。ジャンボフェリーからみると、のっぺりした小豆島の南側に、妙にギザギザした山が連なる部分がある。まるで洋上アルプスみたい。
 小豆島は地図で見ると南に半島状の陸地が3本突き出しているが、これはその右端の半島部。この山群の盟主は碁石山ツインピークスで、その北隣が大嶽だ。

 
(左)ジャンボフェリーから、左側のギザギザだ   (右)左の2ピークが碁石山、その右奥に大嶽(裏側)が少し見える

 高松で1泊した翌日、草壁港行きの内海フェリーに乗る。展望デッキでイカナゴ漁船を眺めながらディカプリオ化していたら、30歳前後と思しき美しい女性にカメラのシャッター押しを頼まれた。東京からの一人旅だという。交わす視線に運命の出会いを感じる二人。ああ神様どうかこの船を氷山にぶつけないで、と祈らずにはいられない。
 やがて見えてきた碁石山連山。「あれです、あの左端の山に登るのです」と美女に熱く語るうち、あっという間に過ぎ行く1時間の船旅。船は何事もなく草壁港へ到着し、早々と運命の別れがやってくる。

 草壁港から小豆島バスに乗って数分、苗羽(のうま)で下車すると、あたりに醤油の香りが漂っている。古くからの醤油の特産地だ。東を見ると、出ました大嶽。

 
(左)苗羽バス停付近から、左側が大嶽   (右)近づくにつれ、オリーブ苗木のバックですごい存在感

 バス道を少し南下して平和堂という和菓子屋の角を左に曲がり、小豆島八十八ヶ所霊場の8番札所常光寺を過ぎて登り道になると、大嶽が目の前いっぱいに迫ってくる。遠くから見ると碁石山との連山に見えたが、近づくにつれ独立峰化してくる。
 すさまじい存在感だ。こんな山があったとは。あたかも南米ギアナ高地の「ロスト・ワールド」を髣髴とさせる、断崖絶壁に囲まれた平たい山頂部分。巨大な砦のようにも見える。あそこはいったいどうなっているのか。
 そして何より、こんなに存在感のある山が地図にも登山書にも無視され、ほとんど紹介されていないのはいったいなぜなのか。
 謎だ。ふしぎすぎる。コーフンしちゃうよまったく。

 老人ホームを過ぎると人家はなくなる。でも日曜日ということもあってか、小豆島八十八ヶ所めぐりの団体バスが何台か通る。この道はこの先、1番洞雲山、2番碁石山へと続いているんだな。
 途中で大嶽のほうへ向かう道が分岐する。でも「大嶽」との標識はなく、あくまで無視されている。バス停からここまで20分ほど。

 右へ行けば碁石山方面、ここで左へ

 すぐに道は荒れてきて舗装はボロボロになる。しばらく行くと岩に赤ペンキで「→」と書かれており、それに従って荒れた林道跡へ。数分で木材運搬用のやぐらが現われ、さらにケーブルに沿って登っていくと、空中に滑車がある。
 ここからしばらく道が途切れる。

 
(左)木材運搬のやぐら   (右)滑車、ここから中央のキミドリ色に向かって突撃

 アッキーさんの教えの通り、沢をまたいで左前方のヤブに押し入る。イバラなどを慎重によけ、青ペンキの目印を慎重に探しながら左の小さな尾根へ上がると、古い林道跡のような切り開きがある。さらに登るともう少し明瞭な林道跡に合流して、それを左へと登る。
 このあたり、夏に通過するのは多少難儀だろう。でもここさえ乗り切れば、やがて右の照葉樹林への入口を示す赤ペンキ青ペンキが見えてくる。

 
(左)こいつを探し当てろ!   (右)林道跡から森への入口

 森の中にも随所に青ペンキがあって迷うことはない。この道、昔はかなり歩かれたらしく、道が溝のようにほげている。
 大嶽は修験道の行場だったのかな。でもそれがなぜ歩かれなくなり、ここまで荒れてしまったのだろうか。

 かなり歩かれていたような痕跡

 山腹を登り、ゆるい尾根を越えて小さな谷を渡る。そのあたりから大嶽の巨大な岩峰が見える。
 威圧的だ。岩はいくつかのパーツに分かれているようだが・・・失われた世界への探検気分は最高潮に高まってくる。

 
(左)麓からは左の方角から眺めていた   (右)中央キレットの右側ピークが頂上

 このあたり、尾根かと思うと谷だったり、とらえどころのない微妙な地形だが、道は進むほどに明瞭になってくる。奇妙な山だ。
 やがて碁石山から伸びる稜線に出ると、本日一番といえる爽快な道になる。どんどん進むと、ついに岩場が現われる。

 
(左)碁石山からの尾根道   (右)最後の岩場

 イワヒバ

 岩場には、盆栽などによく見られる美しいイワヒバがたくさんついている。
 下から見た感じではけっこうガケ登りを強いられるのかなと思ったが、岩場を一つ乗り越えたらフワーっと風が吹いてきて、もうそこが頂上だった。麓の碁石山との車道分岐点から45分ほど。
 頂上にはきっと石仏くらいはあるだろうと思っていたが、石仏も標識もなく、唯一、「洞雲山行者講」の陶板が石に埋め込まれていた。

 
(左)頂上   (右)行者講のプレート

 そして、ロストワールドの謎が一気にそのベールを脱いだ。
 なんと、四角いテーブル台地状の岩塊かと思われた大嶽は、じつは真ん中が大きな谷になっており、その空洞を東西から岩壁が包み込むようにそそり立っていたのだ。
 今、立っている頂上は東側の岩塊にあり、目の前には麓から見えていた西側岩塊と、小さな北側岩塊とが屏風のように立っている。


中央ややずれているが連続写真。向こうの海側から眺めた姿の裏側はこうなっていた

 岩壁に守られた中央の谷はすり鉢状で、西壁と北峰の切れ目が出口になっている。谷底部分は落葉樹、斜面はウバメガシを中心とする常緑樹でびっしりと覆われている。人の手が入った形跡がまったくなく、ウバメガシの緑が周囲よりこの谷の中だけ濃くなっている。
 これはもう「秘密の谷」、もしくは「聖なる谷」とでも命名するほかないだろう。

 山体のふしぎさに気をとられていたが、この頂上からの眺めも絶景だ。秘密の谷から少し視線を上げれば、小豆島南部のパノラマ絵巻が広がる。


「二十四の瞳」で有名な岬の分教場のある田ノ浦半島(左端)が手前から伸び、内海町が一望のもと

 
(左)北東、神戸方面の海   (右)南にそびえる碁石山

 それにしても、岩壁に守られた秘密の谷には猛烈に魅かれるものがある。なにせ下界からほぼ完全に隔絶された空間だ。動物たちの聖域だろうか。もしかしたら大昔に隠れ住んだ海賊か何かの痕跡があるかもしれない。
 ここから岩壁を降りていくのは無理だろうから、いつか下から登ってみたいものだ。

 と思いながら頂上から北を見ると、小さな岩尾根が続いている。なんとなくここを少し行ってみたら、なんと、真新しいロープが岩に結び付けられ、秘密の谷へと垂れ下がっている!

 秘密の谷の誘惑に抗しきれず、ここから強引に谷へ降りた人がいるのだ。しかも最近!

 
(左)北尾根   (右)聖なる谷へと降下するロープ

 心が揺れる。俺も降りてみたい。でも、岩がオーバーハングしていて、覗き込んでも下のようすはわからない。
 ロープは丈夫そうだが、誰のものかわからない残置ロープに命を託していいものか。ロープワークも知らんし懸垂下降なんてやったことない。このロープが本当に下まで続いているかも定かではなく、降りられたとしてもフェリーの時間までに下山できるかどうか。
 悩みに悩んだ末、泣く泣く機会を改めることにした。俺も歳をとったな。

 
(左)聖なる谷の入口、いつかあそこから・・・   (右)はるか遠くに、前日登った四国の五剣山が見えた(中央)

 神秘の谷間を眺めながらパンを食べ、元の道を下山する。下りは碁石山分岐の車道まで25分だった。
 そこからは何度も振り返って大嶽を眺めながら車道を下る。こんな神秘的な山が人知れず眠っていたとは・・・日本もまだまだ捨てたもんじゃない。

 こいつを朝な夕なに眺めながら暮らす人もいる

 常光寺の桜を見たりしてからバス停に着くと、すぐにバスが来た。草壁港に戻ると、予定の1便前のフェリーが出航間際だった。あわててそれに飛び乗ると、船はあっけなく小豆島を離れてゆく。
 わずか3時間の滞在だった。大嶽と秘密の谷の余韻で興奮おさまらない俺は、船内をやたらウロウロと歩き回った。
 なんとなく皮肉で、ちょっと寂しいとんとん拍子の帰路。今度はもっとゆっくり来よう。

 なお、この山へ登られるさいにはアッキーさんのページも参考にしてください。そちらのほうがたぶん正確です。(アッキーさん、ありがとうございました)  (登山日06.3.26)

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