男の陥落


 そのとき俺は大阪のとある公衆便所にいた。
 小用を足そうと思い、便器前に立って社会の窓からズボン内部をまさぐってみたが、どうにも息子を引っ張り出せない。
 あれっ、あれっ、とまさぐりまくったのち、ある仮説がひらめいた。これはもしかするとそういうことではあるまいか。

 仮説を確かめるべくズボンを全体的におろしてみたら、思った通り、俺はパンツを前後逆にはいていた。息子の出窓はお尻に空いていた。

 仮説「俺はもうダメかもしれない」はこうしてあざやかに証明された。

 (2007年6月26日の日誌より)

(その翌日)

 昨日の日誌に、ある女性からこんなメールをいただいた。

これは自然現象ですよ。気にしない^^
うちの父ちゃんはシャツの裏返しや前後ろ逆なんてよくやってる。
「このシャツ首が苦しい、新しいヤツ買ってくる」とか言うけど、そりゃあ、後ろ前逆に着てれば苦しいだろ!ってかんじ。

それから、社会の窓は良くあいてる。パンツ出てる。
娘に勉強教えながら指摘されて慌てて挟み込んで身動きできなくなってる。

まあ、よくあることですわ。


 たしかにシャツの後ろ前はよくある。社会の窓の開放など、俺は3日に1度ペースだ。パンツが出てるどころか、まりもには中身の全体露出を再々注意されている。
 今日も上六温泉でズボンを脱ごうとしたら、窓はすでに全開放されていた。

 そんなことでは俺は驚かない。

 だが、パンツの前後逆はそれらとはまったく性質が異なる。
 この違いは、パンツをはいたまま小便をする習慣のない女性には少しわかりにくいかもしれない。
 俺はこれまでの人生で一度たりとも、パンツの後ろ前だけは間違ったことがない。
 おそらく読者諸兄もそうに違いない。

 パンツの後ろ前、これはある意味、男の人生そのものだ。
 たとえば女性で、ブラを背中に着ける人がいるだろうか。口紅を眉毛に塗る人がいるだろうか。つけまつげを鼻の穴にねじ込んで買い物に出かける人がいるだろうか。
 パンツの後ろ前はそれにほぼ匹敵すると考えていただきたい。

 男性器は「男の象徴」とも呼ばれる。
 そしてわが日本国の象徴は天皇陛下だ。
 そのことはつまり、1個の男という有機的結合体の内的世界において社会の窓とは、畏れ多くも天皇陛下が下々のためにお手をお振りになる天覧バルコニーと意味の上でほぼ等しき存在であることを意味する。

 むろん、それが常時開いているのは、好ましいこととはいえない。
 だが、役割的に間違ったことではない。バルコニーとは開かれるために存在するのだ。

 ところがその象徴物天覧バルコニーであり勝利の凱旋門たる社会の窓が、その大切な行事である天覧相撲を許さないばかりか、よりによって肛門を開陳することなど決してあってはならない。

 実際にそんなことはマンダム世界では通常、起こり得ない。
 いかにボケようとインポになろうと激烈なインキンに罹患しようと、それだけは決して間違えることが許されない、男としての最後の防衛線なのだ。

 逆に言うと、その防衛線が突破されたとき、男のパリは陥落する。

 つまり、俺の都は昨日、陥落した。
 
(2007年6月27日の日誌より)

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