ポルギョのおもろいおじさん



 そのとき俺は、韓国最南部・コフン半島のヌンガサ(楞伽寺)という寺の近くの路上にいた。

 パリョン(八影)山から下りてきた俺は、クァヨク(過駅)へ帰る郡内バスを待っていた。周囲に民家はなく、停留所を示すものも何もないけど、バスが通りかかったら手を挙げて乗せてもらおう。
 そろそろ来てもいい時刻だったがバスは現れない。そもそもこの道は車がめったに通らない。
 俺は1月の朝鮮半島に吹きすさぶ寒風の中、ピョンピョンしながら耐えていた。

 そのとき、向かいの道路から一台の軽トラが出てきた。
 軽トラは交差点を挟んで俺の対面で停車したかと思うと、運転していた男が窓から身を乗り出して、俺に向かって何かを叫んでいる。

 何を言っているのかわからないので近づくと、俺に一生懸命何かを訴え、助手席を指差す。
 この男の韓国語はまったく聞き取れない。ソウルから2日がかりでたどり着いた辺鄙な地方だから、たぶんなまっているのだろう。

 俺が「クァヨク行きのバスを待っている」と言うと、どうやらそこまで乗せて行ってやると言いたいらしい。
 これは有難い。さっそく俺は助手席に乗り込んだ。

 男は車を発車させたが、彼の言葉は相変わらずサッパリわからない。英語もまったく解さず、わかるのは「オッケー」だけ。俺の韓国語のボキャも極めて限られているから、お互いにお手上げ状態だ。
 だが男はラテン的なノリで元気いっぱい、なんとかコミュニケーションを取ろうと一生懸命、陽気に話しかけてくる。

 男はおもむろに携帯電話を取り出し、運転したまま誰かに電話をかけはじめた。電話口からは女の声が聞こえてくる。
 しばし女とやりとりしたあと電話を切った男は、俺のほうに向き直って、こう言った。

 「は、はう、おーるだぁ、ゆー?」

 オ、オモロイ! このおっちゃんオモロイわ。
 聞けば、電話の相手は中学3年生になる彼の娘だという。俺と英語で話すべく、電話で教えを請うていたのだ。

 それからも何度か娘に電話しては会話に必要な英語を尋ねていたが、しまいに娘がうるさがって電話口の向こうで怒り出した。男は俺を見て、いたずらっぽく指で頭にツノを立てるまねをして、電話を置いた。

 英会話の道を断たれた彼は、突然、歌を歌い始めた。
 「♪こいびーとよ〜、そばにいて〜、こごえるぅーわたしぃーの、そばぁ〜〜にいてよぉ〜」
 彼の知っている唯一の日本語がこれらしい。必死のコミュニケーション努力が胸を打つ。もちろん、その歌を聞かされたところでどうすることもできないが。

 その後、俺の貧弱な韓国語で少しずつ会話したところ、以下のようなことが判明した。

 ・男は47歳、娘は中3、息子は21歳で軍隊に行っている。
 ・光州まで帰るなら、クァヨクよりも光州に近いポルギョ(筏橋)へ送ってやる。
 ・なぜなら男はポルギョに住んでいる。
 ・ポルギョはポソン(宝城)とスンチョン(順天)の中間にある。
 ・スンチョンには昔から美人が多いので、スンチョンへ行くといい。

 「美人」は「ミイン」と発音するが、俺はこれをなかなか聞き取れなかった。すると彼はハンドルを握りながら片手で頬に化粧品を塗る真似をして「ミスコリア!」と叫んだ。

 ここで俺はふと思いつき、リュックから韓国のガイドブックを取り出した。簡単な日常会話の対訳が巻末に数ページついているので、それを彼に見せてやった。
 すると男はハンドルの上にガイドブックを広げ、そのページをむさぼるように読み始めた。
 このとき車は自動車専用道を走っており、周囲の車は時速100km近いスピードで走っていた。だが男はおかまいなしに、時速30kmくらいでトロトロ走行しながらガイドブックの日常会話集を読み、ときたまニヤッと笑ったりしている。
 そして、そのページの単語を拾っては、俺に仕事のことなどいくつかの質問をした。

 やがて男は「何か食べたいか?」と言いながら、本に載っている「お勘定をお願いします」のフレーズを指差し、次に自分の顔を指差して、「俺が払う」との意思表示をした。
 俺が「食いたい」と言うと、男はクァヨクとポルギョの間あたりのインターチェンジ下にあった立ち食い屋台の前で車を停めた。

 その店のメニューは1種類だけで、細長いボール紙のようなものを蛇腹状にくねくねと曲げて串に刺したものが、熱いダシの中に浸かっていた。それを勝手に取って、辛いタレをつけて立ったまま食う。
 男は周囲の客らに、「日本人を送っていくんだ。出版社をやってるんだ」と説明しながら、それをどんどん食えと俺に勧めた。それはツミレに少し似た味がしたが、けっこう弾力があって、なんだかわからない。
 「これは何ですか?」と店のオヤジに聞くと、「おでん」と返ってきた。これがおでん? 店主は「あ、そういやおでんは日本語だ」と言う。
 その謎のおでんを何本か食い、ダシをコップにとって飲んだ。ダシはそれなりにおでんダシっぽい味がした。

 やがてポルギョのバスターミナルに到着した。男は「イム・インジェ」と名乗り、ガイドブックに電話番号を書き付けて、「またポルギョへ来たら電話してくれ」と言った。
 俺が「日本にも来てください。次は私がお勘定を払います」と言うと、苦笑いをしながら「無理無理!」というように顔の前で手を左右に振った。
 俺は「娘も一緒に」と付け足して握手した。

 ほんの1時間ちょいだったが、愉快なドライブだった。
 (2008年2月の日誌より)

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