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  医学部看護学科
教授青春


城ヶ端初子(岐阜大学医学部看護学科教授)著

四六判、上製
定価:本体1600円+税
発行:さいろ社
中卒准看から大学教授へ
15歳で能登半島の寒村を出て准看護婦学校に入学して以来、山こえ谷こえ国境こえて、いまや医学生に「看護とは何ぞや」を説くに至った著者は、まさに日本看護の「歩く歴史教科書」。すべての看護職に贈る、元気フツフツ、勇気ワクワク、目からウロコの青春グラフィティ。
四年制看護教育の時代、わたしたちはどうすべきか
本書を読んだ看護教員(30代)の感想がここで読めます
夫が「仕事を辞めろ」と迫る。さて、あなたならどうする?
 そこは日本を代表する大学病院です。私は再び考えました。
 この病院で行なわれていることが看護なんだろうか。そんなばかなことがあるだろうか。


 こんなばかみたいな教員は学生と対話したらあかん。

 
(准看上がりの看護婦って?)
 半分寝ぼけていましたが、よく考えたら、
 (なんや、私がそうやないか)
 と気づきました。
 大学院レベルの教育を受け、地元へ帰ったら看護教育の中心になっていこうとしている人たちでこれなのか。


 
心の中で『通った、通った』と繰り返し、ぽろぽろ泣きながらキャンパスを歩いていきました。
とことん看護学、突っ走る青春!
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著者紹介
城ヶ端初子
じょうがはな・はつこ

1945年 石川県珠洲市生まれ。
1960年 珠洲市立三崎中学校を卒業後、京都博愛会冨田准看護婦学校に入学し、看護の道に入る。
その後、准看護婦として働きながら、高等学校(定時制)、大学法学部(2部)で学んだ後、高等看護学院を経て看護婦となり、臨床で働きながら「看護とは何か」を探求し続ける。
1968年、母校の看護学院で専任教員となった年に衝撃的な学生との出会いをし、いったん教育現場から離れて日本看護協会の看護研修学校・看護教員養成課程に入学する。そこでようやく「看護とは何か」を自分なりにとらえ、看護教育に復帰する。
その後、短大教員の仕事のかたわら米国に留学。
帰国後、看護系大学の教員を経て、現在、岐阜大学医学部看護学科教授。
その間、国内でも看護国際交流会やナイチンゲール看護研究会などを立ちあげ、活動を続けている。
京都新聞(2002.2.2)での紹介記事

現場の「心」学生に届け  宇治の教授が自伝

 宇治市在住で岐阜大医学部看護学科教授の城ヶ端初子さん(56)が、准看護婦時代から「看護」を追求してきた半生を本にまとめ、このほど出版した。タイトルは「医学部看護学科教授の青春」。病院や学校での思い出や人生の転機となった出来事を交えながら、「看護とは何か」を考えさせる内容になっている。
 城ヶ端さんは石川県珠州市の農家に生まれた。中学卒業後、看護婦を目指して京都市北区の准看護婦学校に入り、病院で働きながら定時制高校、立命館大二部へと進学。さらに看護学校を卒業し、病院勤務を経て、28歳で上京区の看護学校の教員になった。
 学校で理論を学ぶ一方、現場では指示された仕事だけをこなして気配りや丁寧さに欠ける先輩を目の当たりにした。看護婦の充実には「専門職として状況を自分で判断し、行動できる看護婦が必要」。そんな思いで、短大講師、大学教授と活動の場を変え、学生の指導にあたってきたという。
 著書では、進学や転職の際に支えとなった家族や仲間との思い出も織り交ぜ、看護の在り方を模索してきた40年間を振り返っている。
 城ヶ端さんは「医療が高度化している時代だからこそ、現場で主体的に働ける看護婦を育てたい。そのためには理論も大切だし、現場を知っている人が具体的に学生にアドバイスできる看護教育の仕組みを充実させたい」と話している。
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