チープに極楽。生きててよかった! |
|||
広島県の廃業した激渋銭湯 | |||
広島県の廃業した激渋銭湯<広島県の激渋銭湯<激渋銭湯トップ | |||
|
|||
営業中の広島県の激渋銭湯はこちら | |||
勝利湯 ★ (廃業)
原爆前の昭和ヒトケタから残る貴重な銭湯。いろんな人に「ここはイイ!」と薦められていたけど、ようやく念願の入湯を果たしたぞ。 なにしろここは終わるのが早いから、広島駅から直行せんならん。 路面電車の広島港行きに乗って宇品2丁目で下車、西へ徒歩約2分。角を右へチョイと曲がったところに現れるオゴソカな洋館が勝利湯だ。「ゆ」の丸看板がキュートやおまへんか。 入り口は西日本の地方銭湯でしばしば見られる掘り込みナナメ玄関で、暖簾はかかっていない。でもコゲ茶色の重厚な木の戸が「入りたまえ」と厳粛に語りかけてくるのよね。 (左)古いがどことなく品がある (右)すっきりレトロ 入ったところは狭い下足室になっている。下駄箱も窓も壁も激渋戦前色。ここで人はハダシのゲンとなり、戸をあけて中に入る。 古い木の番台にちんまりとばあさんが座っており、入れ替わりに一人の客が帰っていった。あれ? まだ6時まで30分くらいあるけど、なんか男湯にも女湯にも客はおらず、俺が最後の客っぽいぞ。 「あのー、もしかしてもうオワリですか?」と聞くと、 「いちおう6時までじゃけど、いつもの最後のお客さんが帰ったらシマウけん」 とばあさんはおっしゃった。急いで入ろう。 しかしこの脱衣所、バタバタと過ごすには惜しい味わいに満ちておるではないか。余計なものは何も置かれていないシンプルスタイル。でも壁といい柱といい建具といい、イニシエの職人魂が寡黙に息づいておる。 (左)使い込まれた美しさ (右)浴室方面 被爆の痕跡? 男女壁のガラスは小さいが、ここには被爆痕とおぼしき(ていうか林宏樹氏がふろいこか~2010イベントでそう言ってた)変形が存在する。 ともかく急いで風呂はいろ。 と・・・出ました! この浴室がまたすんばらすぃ~! (左)広島式の内側3段浴槽 (右)色ガラスブロック、泣ける (左)奥のタイル絵かわいー! (右)ファラオの石室壁画のごときタイル 出入り口の上にはモザイクタイル画 見たことのない細かなタイルが多用され、んでまた色ガラスのブロックが素敵なアクセントになっている。ニクイね。昔の職人ニクイ。 ただしガラス戸などはアルミホイルで目張りされており、ゆがみが生じているようすだ。 上のほうの浴槽写真ではオッチャンがバケツ持って掃除体制だが、これ、じつはまだ俺が裸で風呂に浸かっている時点から開始されている。ジェットも止められてしまったよトホホ。でもだからこそ湯船内側の3段がきれいに写っているのよね・・・。 客がおってもおかまいなしの18時終了厳守、これぞ戦中派。スンマセヌおっちゃん。 上がっておっちゃんに聞くと、 「原爆で基礎がゆがんだ。建物の芯がゆがんどる」 とのこと。それでも現在までこれだけしっかり銭湯として機能しているのだからたいしたものだ。 (左)日暮れとともに終了 (右)宝石みたいな色ガラス しかし営業時間がじわじわと短くなってきているのが少々気になる。おっちゃんもだいぶお歳だし。 今に生きる貴重な被爆銭湯、なんとか末永く残ってほしい! (2010.12.24) |
|||
このページの頭へ<営業中の広島県の激渋銭湯<激渋銭湯トップ | |||
金星湯 (廃業)
原爆で古い建物が全滅した広島市街地で、昭和の風情を色濃く残す貴重な銭湯。 広島駅の隣のJR横川駅から北へ3分ほど歩くと、広島独特の丸い「ゆ」の看板あり。でも横の建物はどう見ても民家だ。 看板横の路地をちょっと入ったところに煙突が立っているからここを入るのかな。でも、この家の裏庭に続くようにしか見えないなぁ・・・。 (左)「ゆ」の丸看板はあるけれど (右)この奥? でも他にないし・・・ 不法侵入気分で恐る恐るその路地に入ると、浴室に反響する話し声が聞こえてくる。どうやら路地の右の建物が浴室らしい。 さらに突き当りまで進み、裏側にまわりこんだら、よく茂った庭木に挟まれてやっと暖簾を発見。あーほっとした。 しかしまあこの銭湯、どういうわけか表通りに完全に背を向けている。なぜなんだ! (左)玄関前は狭くて全体が写真に入らない (右)上部は戦後まもなく的モダンの看板建築 ともあれ暖簾をくぐる。すぐにタタキがあり、番台におばちゃんが座っている典型的古銭湯だ。 脱衣所に上がると、天井・壁・ロッカーなどは高度成長期的な合板系。 特筆すべきはこの脱衣所の開放感だ。表通りに背を向けた路地裏だけあって外部の目は完璧無関係、表の窓は開けっ放しで、そこに据えられた大きな扇風機が豪快に外の風を送り込んでいる。 あぁ~、どうしようもなく銭湯じゃけん。 浴室は・・・おや、どこか見覚えのある風景だな。 カマボコ天井に大きな四角い湯気抜きが開いている。湯舟は隔壁沿いに深浅のみ。薄めのへりには細かい長方形の豆タイルが張りめぐらされている。清潔感があって、湯舟が少ないぶん広々した感じ。 そう、床やカランまわりのタイルも含めて、京都か大津の古い銭湯によく似た感じなのだ。 湯舟には湯がなみなみと満ち、入るとザブーっと溢れる。この贅沢感がたまらんね。湯温は42度弱か。 男女隔壁にカラーのガラスブロックが使われているのがまた昭和じゃけん。 あがりは飲み物販売あり。夕方6時半前後、常連客のじいさまが3人くらいいた。 設備はなにもないが、のんびりリラックスできる秘湯じゃけん。とくに京都の人はそこはかとなく嬉しいかも。 (2005.7.21) |
|||
このページの頭へ<営業中の広島県の激渋銭湯<激渋銭湯トップ | |||
神原湯 ★ (廃業)
こんなところに、イニシエの激渋銭湯が隠れていたとは。 呉駅の南東に伸びる半島部、その斜面にへばりつくように宮原という地区がある。海岸部はすっかり埋め立てられて巨大な造船所がいかついハガネをむき出しにしているが、山側の急斜面を登ると、これでもかと狭い路地が網目状に入り組んでいる。かつては複雑な入り江に面した漁村だったんだろう。 目的の銭湯は呉駅から約2km、バスなら宮原5丁目で降りて少し戻る。信号のある交差点から急坂を登ると左手に寺があり、そこから2本目の左の路地を覗くと、忽然と現われる「ゆ」の看板。 さっそく近寄ると、レンガ塀に守られたそのただならぬ味わいに、心臓がビクン!と大きく波打った。 (左)狭い路地に (右)風呂屋の中から吹きぬける風 (左)この正面タイル! (右)この戸! たまらず暖簾をくぐる。狭いタタキに古い番台があり、ほがらかなおかみさんが座っている。 靴を脱いだが下駄箱が見当たらない。下駄箱がありそうな場所は小さな床の間のように一段高くなっている。 番台、タタキ、床の間? おかみさんに聞くと、「その鏡の下」とおっしゃる。男女仕切り壁には大きな鏡があるが、その下部に並ぶ激渋の木箱が下駄箱だと。これは初めてだ。 靴を持って上がり、小さな下駄箱にトレッキングシューズを無理やり収納する。ああ今、俺はこの銭湯の歴史に参加した。 (左)鏡の下が下駄箱 (右)俺のハイカット靴ではフタがちゃんとしまらない 鏡上部の装飾、言うまでもなく手彫り さわやかな板張り床はクリ材だそうだ。脱衣箱は言わずもがなのケヤキ一枚板、その端には磨き丸太の柱。 古い高級素材に長年がっしりと包まれてきた空間独特のオーラが立ちのぼる。 (左)いぶし銀のケヤキ脱衣箱 (右)浴室を見る この時点でもう感動で胸いっぱいになりながら服を脱ぐ。浴室方面には、すでに奥壁のペンキ絵らしきものが見えている。討たれに行こう、裸になって。 (左)細かい床タイル (右)のどかな風景のペンキ絵 浴室は奥に長い小空間。壁上部から天井にかけてはきれいな水色の板張りだ。ゆるい四角錘天井に大きな湯気抜きが空いている。 ブリキ地らしき板に描かれたペンキ絵は、一部が破れている。がこの低い山にユルイ川が流れる地味な風景、どこの農村かわからんが、なんとも心を穏やかにならしめる憩いの図じゃのう。 おかみさんによると、10年ほど前(?)までは毎年書き換えてもらっていたそうだ。 カランまわりにも、気になる造形があちこちに見られる。 (左)入って右手の中腰カラン (右)フンデルト・ヴァッサーを髣髴とさせる芸術的な島カラン 湯舟は男女壁寄りに1槽、大阪式座り段がある。細かい豆タイルで覆われているが、内側は新しいタイルに張り替えられていて清潔感がある。 先客が一人いたがしばらくして貸切になった。お湯もちょうどよい加減、旅に疲れた身体をじっくりと癒す。ああ、よくもこんなところまではるばる来たよ。 奥に、使われていない副浴槽がある。上に温泉の宣伝板が張ってあるから薬湯だったのだろう。木のフタをちょっとどけて中を見てみると・・・で、出たあーーっ! 久々登場、この芸術的大判タイル! (左)出ました、イスラム芸術タイル (右)右は草津ハップ、左は「緑の温泉」だと! いやー、この浴槽で緑の薬湯に入りたかったなあ・・・残念。 ほかにも、レトロ銭湯ファンにはおなじみのラーメン模様タイルなどが壁の要所に使われていたりする。 カランは快調、シャワーもオッケー。 とにかく古い風呂だが、主浴槽やカランなどはきちんと機能していてノープロブレムだ。 浴室から脱衣所方面の眺め 上がりは飲み物販売あり。 おかみさんによると、昭和のはじめごろの建物とのこと。呉は軍港だったからさぞや激しい空襲があっただろうに、よくぞ残ったものだ。 「そこの表の道まではみな空襲で焼けました。この一角だけが残ったんです」 奇跡がこの味わい深い銭湯を救い、以来60年間、絶えることなく湯が湧かされ続けてきた。そして今、俺みたいなやつがこの湯に浸かることができる。 持て余すほどの感動を、いったい俺はどうすればいいのか。 (2006.8.2) 永遠なれ神原湯 |
|||
このページの頭へ<営業中の広島県の激渋銭湯<激渋銭湯トップ | |||
谷乃湯 (廃業)
休山トンネルを挟んで呉の中心部と背中合わせの港町、阿賀。ここには松山からのフェリーが着く。 船を下りて安芸阿賀駅へ向かう。交通量の多い幹線道路を避けて一筋山寄りの細い道を歩いていると、港から10分たらずでふいにこの渋い銭湯が現われる。 屋号まわりのレトロな造りが印象的 戸を開けると内側にも暖簾がかかっており、狭いタタキに渋茶色の木の番台がある。そこに座るおかみさんに仕舞いの時刻だけ確認して、とりあえず呉の散策を続行。 そして夜、この銭湯のために再び阿賀へと舞い戻った。 駅から西に5分ほど歩き、川を渡って左へ曲がると、右手に小さな焼肉屋がある。谷乃湯はそのすぐ裏手だが、まずは焼肉屋の暖簾をくぐり、ここで飲み食いしながらボクシングの亀田タイトルマッチを全部見る。8時すぎに試合が終わり、不可解なジャッジに興奮しつつ店を出て、銭湯へ。 脱衣所は板張り床に木のロッカー、もちろん漢数字。ほかには木の長椅子ひとつだけの古い小空間だ。 しっとり、こじんまり 浴室もこじんまり。南方系の先客が一人だけいる。 男女隔壁に沿って深浅の主浴槽、フチには細かい長方形タイルがびっしり張られている。おっと、男女壁に小さなタイル絵があるぞ。12枚のタイルに、富士山・帆掛け舟・桜が描かれている。このサイズで前景に桜を配したものは珍しいかも。 深風呂は43度くらいあって、俺的にはベスト湯温だ。湯に浸かりながら、亀田の試合を思い出して批判的に検討する。 奥の副浴槽はややぬるめの気泡風呂で、お湯はラベンダーのような入浴剤入り。こいつはなかなかゴキゲンだ。 昔ながらの浴室だが、ゆるいカマボコ型の天井は新しいパネルで覆われていて美しい。巨大な湯気抜きが意外な開放感を演出している。 カランはシャワー圧もOKで、生活銭湯としての使い勝手は良好だ。 11R、亀田の必死のクリンチにはちょっと感動したんだが・・・。その日の出来事をぼんやり反芻するのにもってこいの、静かなプチ銭湯だ。 (2006.8.3) |
|||
このページの頭へ<営業中の広島県の激渋銭湯<激渋銭湯トップ | |||
胡子湯 ★ (廃業)
ザ・愛される銭湯。はるばる来てしみじみね。 呉の東郊、広(ひろ)地区には胡子湯という名の銭湯が2軒ある。古い商業地の本町に1軒と、そこから2kmほど南の小さな漁業集落・長浜に1軒。 ここで紹介するのは後者だ。 呉駅から東小坪行きのバスに乗って30分ほどの長浜桟橋で下車したら、セブンイレブンの向こうに煙突が見える。 バス道の1筋北の道路からちょっと入ると、地味な土壁の、だがしっかり存在感を放つ銭湯が遠慮がちに姿を覗かせている。 玄関は通りからちょっと奥まったところにあるのが、どこかつつましやかであったかい。 (左)裏側の土壁と飾り瓦 (右)入り口の下のタイルも渋い 細かなオレンジ色タイルを踏んで戸を開けると、狭いタタキにゲージツ品のような番台があって、おやじさんが座っている。 こぢんまりとした脱衣所はイニシエ色に染まっている。おやじさんに聞くと、この建物は昭和10年築だが、銭湯の創業は「100年くらい」に遡るらしい。 (左)番台が素敵 (中)タタキ部分の窓が素敵 (右)黒光りの床が素敵 (左)番台と同柄の脱衣箱素敵 (右)欄間素敵 番台と脱衣箱の印象的な化粧板はわりと新しそうだが、壁・床・窓や装飾などの大部分は建てたときのままだという。 本物のレトロ銭湯、としか言いようがない。じーんとくるよまったく。 んで浴室へ入って、じーん度3倍増! 出ました石畳の床! セメントで埋められた石間は微妙に傾斜して、使った湯がカラン下から入り口寄りの排水溝へと流れるようにできている。 男女壁に接する深浅の主浴槽は広島型の内側3段式、緑の豆タイルに縁取られたレトロな逸品。深はジェット1本、浅は気泡が噴出中だ。 だが何といっても泣かせてくれるのが奥の薬湯。別府・有馬・箱根・草津・登別が日替わりで楽しめるようで、この日は草津の濃厚ハップ湯で極楽だ。 んでこの湯船がまた、洗い出しと青い豆タイルで縁取られていて、タイル教信者は鼻血が止まらんよまったく。 他にもカラン上の石鹸置きスペースにオレンジ色タイルが張られていたり、出入り口近くに御影石の台座式流しが設置されていたりと見どころ多し。 壁上部から天井は板張りで、水色ペンキで塗られている。 先客が3~4人入っていたが、漁師町の地元密着銭湯とは思えないほど、みなさん静かにお湯を味わっている。そしてきちんと片付けて上がってゆく。 上がったら、気のいいおやじさんが大正3年の「風呂湯営業契約書」や、「大人四銭」などと書かれた昭和9年の入浴料金掲示板などを持ってきて見せてくださった。当時の銭湯は保健所ではなく警察署の管轄だったそうだ。 一人帰っては新しい客が途切れずに入ってくる。 外へ出ると、この小さな集落のあちこちから、風呂道具を抱えたおじさんやおばさんがポツリポツリとこの銭湯へ向かって歩いてくる。 その情景を見ていたら、なんかしらんがキュンとなっちゃった。 昔ながらって、こういうことだよな。 (左)すぐ向こうに海が見える (右)横全景 (左)看板素敵 (右)長浜港の日暮れ この手の銭湯が好きな人ならば、わざわざ訪ねる価値は大きいと言わざるをえない。気軽に行きやすい場所ではないが、行かずじまいではどうにも惜しい。 そんな銭湯だ。 (2010.12.26) |
|||
このページの頭へ<営業中の広島県の激渋銭湯<激渋銭湯トップ | |||
桜湯 (廃業)
狭い「音戸の瀬戸」を隔てて呉半島と向き合う倉橋島。その北端の音戸町にある2軒の銭湯のうち、音戸大橋に近いほうがここ。 集落内の細い通りを歩くとシズシズと現れる、なんとも風情ある門構え。 (左)京都ではありません (右)「千と千尋」に出てきたな、こういうの 暖簾は戸の内側にかかっていて、どっちが男湯かわかりにくい。じつは興奮のあまり、間違えて女湯の戸を開けてしまった。お着替え中のバーチャンごめん! そんなわけで暖簾の向こうはいきなりタタキに番台。番台と下駄箱は古い木のものだが、意外にも脱衣所は真新しく改装されており、ロッカーもアルミ製。脱衣所の中央には大きな切り株ベンチがデンと置かれている。 浴室も全面改装のピッカピカ。床と湯舟はココア色のタイル、壁と天井は白で統一されている。なかなか落ち着いた色使い。 湯舟は男女仕切り壁奥に1槽だけで、内側は尾道の寿湯と同じく3段の階段式になっている。 ロケーションや外観からかなりの濃厚系を予想しただけに、まったくもって意表を突かれた。(2005.1.8) 右手の松の木が目印 |
|||
このページの頭へ<営業中の広島県の激渋銭湯<激渋銭湯トップ | |||
金比羅湯 △ 【廃業】
尾道の東の街はずれ、駅からまっすぐ歩いて20分くらいかかるだろうか。 このへんにもう一つ駅があれば有難いがJRにそんな気はさらさらないやろなというあたりに小さな突き出し看板が光っている。 (左)これがないとわからん (右)路地を入って玄関口 見た目はそっけない白いモルタル2階建てで、なんということもない。でも内部では相当ディープな世界が展開中だ。 (左)覗くと見えるこの世界 (右)男女壁の間に2階への階段がある 靴はもちろんタタキに脱ぎ捨て。ハシゴで入る番台にはオヤジ。番台正面に階段があるのは中津の汐湯で見て以来だ。 木製脱衣箱に漢数字墨書き 脱衣箱にはほじくり式の鍵穴が開いているが、言うまでもなく使われなくなって数十年が経過している。脱いだ服を放り込むのみ。 浴室へ進むとさらに濃厚なるいにしえ世界が静かに広がっている。 意外に奥行きが感じられるが、造りは簡素。全体にのっぺりとした床面は、カラン前の溝に向かってゆるく傾斜している。はがれたタイル補修によっていたるところがパッチワーク状態となっており、ふと古木の年輪を思わせる。 浅いほうの小さな湯船のそばには、申し訳程度の装飾として小さな富士山のタイル絵がある。 (左)カラン・シャワーも若干ゆるめ (右)深と浅、湯船フチに細かなタイル 脱衣場・浴室を通じて時間の止まったようなB級オーラが色濃く漂っている。 歩き疲れた旅の夜、こんな空間に身を沈めることで、さらに夜の底は深まってゆくのであった。 (2012.5.1) |
|||
このページの頭へ<営業中の広島県の激渋銭湯<激渋銭湯トップ | |||
紅梅湯 △ 【廃業】
尾道からしまなみ海道をバスで45分くらい走ると、因島の中心地・土生(はぶ)港に着く。目の前はめくるめく瀬戸内の多島美だ。 土生の商店街の南端近く、銅葺きの破風小屋根に渋い暖簾の古銭湯あり。入らずにはおれまへん。 戸を開けるとタタキ、番台におばちゃんが座る。下駄箱はなく棚のみ。 小さな脱衣所は第一級の濃厚いにしえ空間。新しいものは何一つない。すべてが古く、すべてがボロい。言語を絶する時空の逆流ぶりだ。 そして格天井、高~い高~い。田舎のプチ銭湯でこれほど高い天井にはめったにお目にかかれない。 (左)ヨコよりタテの長い空間 (右)過去最ディープなロッカー ぬっ? このロッカーの鍵、なんじゃこりゃ。昔の雨戸よろしく内側で板錠を落とすようになっているが、これ、閉めたあとどうやって開けんの? おかみさんに聞いてみたら、出てきたのは1本の金具。おいー、博物館の学芸員はおらんか! これを今すぐガラスケースに陳列せーい! (左)そういや錠の横に丸穴が (右)外側から穴にこれを差し込み、手探りで錠を持ち上げる 昔はこの金具を番台から借りてロッカーを開けたそうだが、もちろん今では使われていない。ロッカーに鍵をかける必要がもはやここにはない。 浴室は妙にうすぐらい。床には不揃い小石型タイルが張り巡らされている。天井のペンキはハゲハゲで、全体が重々しいくたびれ感に覆われている。 湯舟は3~4人でいっぱいになるサイズが一つだけ。湯は8分目しか入っておらず、しかも誰かがだいぶうめたようで僕にはちょっとぬるかった。 浴室の両サイドにカランあるが、片側は機能していない。反対側の壁には太いパイプが2本走り、水とギンギンの熱湯が出る。シャワーはなし。 掃除も行き届いているとは言い難く、すみっこのタイルなどはちょっとぬるっとした感触。しかしまあ、これはこれで島の漁師銭湯らしいディープな味わいというか、B級アジア的な憩いがなくもない。 地元のじいさんやオヤジ客が3人仲良く湯船に浸かり、造船関係の話題で盛り上がっていた。 上がりは意外にも飲み物販売あり。 おかみさんに「いったいこれはいつごろの建物ですか?」と聞くと、「明治の終わりごろじゃないですかねぇ」とのことだった。ロッカーの鍵ともども、生きた博物館状態の愛すべきボロ銭だ。 (2005.1.7)→尾道・因島旅行記 外観は風情満点、内部は風情を超越 |
|||
このページの頭へ<営業中の広島県の激渋銭湯<激渋銭湯トップ |