台湾ちょっとした旅ホーム
鹿港(るーがぁん)

レンガ路地の古湊



2007.12.21
(台湾・彰化県鹿港鎮)


天后宮(てぃえんほうごん)

 台湾中部の鹿港という小さな町が渋いっちゅーので行ってみることにした。

 鹿港は、清の時代には台湾3大都市の一つだったが、廃港となってからは寂れ、じじむさい街並みだけが残った。
 でも最近はそのレトロっぷりが人気を呼んで、ちょっとした観光地になっているらしい。

 朝9時に台中駅前の宿を出た。ガイドブックによると鹿港行きのバス停は駅裏にあるらしいので、地下道を通って駅裏へ。
 すると道路沿いにバス停っぽい場所があり、2〜3人のばあさまたちがたむろしている。
 彼女らに「るーがん? バス?」と聞くと、何か一生懸命しゃべってくれるが、何を言っているのかさっぱりわからない。しかし綾戸智恵みたいな顔のばあさまは、言葉が通じなくてもおかまいなしに早口で説明し続ける。
 ばあさまの発した約1万語のうち一語たりとも理解できなかったが、そのジェスチャーから察するに、どうやらここでいいらしい。そして鹿港行きのバスは普通のバスより小さいらしい。

 10分ほど待つうち、果たしてばあさまの言った通りにかわいいマイクロバスが来た。
 3人ほどの他客(すべておばさん)とともにそれに乗り込み、運転手に金を払おうとすると、他の客がまた何やら一生懸命に説明してくれる。その言葉は一切わからないが、どうやら後払いのようだ。
 バスは台中の中心部を走り、いくつかのバス停で乗客を拾いながら進む。あるじいさまは、「ろっかぁん?」と運転手に聞きながら乗ってきた。鹿港はこのあたりではそのように発音されているようだ。

 台中駅裏を出て1時間近くたったろうか。バスは台中の街を抜けて高速道路に入り、しばらく走って彰化(じゃんほぁ)の町に入った。
 するとおもむろにバスが停まり、停留所の小屋からバス会社の人らしきおじさんが乗ってきて、乗車賃を徴収し始めた。たぶん80元(240円)くらいだったと記憶する。
 おじさんは乗車賃を徴収し終えると降車し、バスは再び走り出した。このパターンは初めてだな。

 そこから30分ほど走って、鹿港とおぼしき町に入った。最初のバス停で何人か降りたが、俺はどこで降りたらええねやろ。つられて腰を浮かせかけると、また他客が「ほんちゃらなんちゃら・・・」と一生懸命に何かを教えてくれるが、やはりサッパリわからない。
 言葉の中に「てぃえんほうごん(天后宮)」という言葉が聞こえた。天后宮は台湾や福建省で盛んな媽祖(まーずー)信仰の廟だが、ここのは台湾の媽祖廟の総本山で、観光の目玉になっている。乗客たちは、「そこへ行くならまだだ」と教えてくれているかのようなケハイだ。もうこの人たちに任せよう。

 まもなく前方に天后宮の入口を示すアーチが見え、そこを右折して停まったところで、乗客たちから「ここだ」と指令が下った。
 バスを降りて、とりあえず天后宮を目指す。

 
(左)鹿港の町(中山路)   (右)古い洋館が多い

 10分ほど歩くと、下左写真のようなアーチが現れた。アーチには電光文字盤が取り付けられ、電飾ネオンの配線がからみついている。夜になるとビカビカに光り輝くのだろう。
 アーチをくぐると両側は土産物屋や飲食店が並んでいる。けっこうな賑わいだ。
 そこを抜けると、右手に天后宮の鳥居のようなのが現れたが、なんとここにも電光文字盤だ。まさに中華クオリティ。

 
(左)「鹿港」とネオンの大文字が見える   (右)天后宮の電光鳥居、その左にファミマ看板

 鳥居をくぐっても、ファミマや土産物屋がある。ここはまだ神域ではないらしい。ギリギリのところまで何でもありだ。
 しかしその先に立派な楼門があり、この先は神聖な場所となる。
 台湾の寺や廟は鉄筋コンクリ造りのものが多いが、ここは400年以上昔に立てられた木造建築とのことで、これでもかというほどの木彫り石刻の装飾細工が迫力だ。

 
(左)堂々たる楼門   (右)天井の木彫り装飾

 楼門を通って中庭に入ると、そこは線香の香りの充満する祈りの空間だった。

 
(左)本殿らしき建物   (右)紙束が供えられている。中は白紙

 
(左)若い人も膝をついて真剣に拝んでいる   (右)真っ黒い顔の媽祖

 媽祖とは宋の時代に福建省に実在した少女で、父親の海難事故などを予知したことなどから、海の守り神として中国南部沿岸から台湾にかけて広く崇拝されている。台湾では仏教・儒教・道教のほかさまざまな民間信仰が盛んだが、この媽祖信仰は仏教の次くらいに人気があるらしい。
 人々は勝手に紙の束を供えたり、線香を眼前に捧げて祈ったり、木片や棒みくじなどで占いをしたりしている。

 本殿の左右には通路があり、さらに奥の宮へと続いている。台湾の寺や廟はたいていこの2重構造になっているようだ。

 
(左)へんな像   (右)奥の宮への通路

 奥の宮(正式に何というのかは知らん)は、黒ずんだ本殿とはうって変わって、赤と金のビカビカ世界。
 中央には金色の媽祖らしき像が据えられているが、その左右にはワケのわからない仙人像みたいなのがズラーッと並んでいる。さすが民間信仰、怪しさ満点だ。

 
(左)奥の宮   (右)中央の媽祖殿

 これは寄付者一覧なのかも

 
(左)変な仙人、両目に注目   (右)拡大:目の中から腕が伸びて、手のひらに目玉がある

 天后宮を出て、正面の菓子屋でパイ生地にアンコを詰めたようなのを買い、それをかじりながら横の路地に入る。ここも土産物屋と飲食店ばかりだが、さらに横の細い路地を曲がって少し歩くと、また天后宮と書かれた別の廟が現れた。
 これも媽祖廟だが、さっきの天后宮でもらったパンフには「新祖廟」と書かれてある。ここではテレビか映画の撮影が行われていた。


この女の子が祈っている姿を数人のクルーがずっと撮影していた


摸乳巷


 鹿港の名物は、かつてここが賑やかな港町だったころに形成されたレンガ造りの狭い路地だ。
 その一つである「古市街」が、新祖廟から南へ延びている。ここは古い家々がそのままおしゃれな雑貨屋や土産物屋として生まれ変わり、観光客を集めるスポットになっている。

 
(左)古市街   (右)伝統家屋が骨董屋や小物屋になっている

 はじめのうちは家並みが面白いが、観光用に復元された場所というのは映画村みたいなもので、じきにうっすらと白けて飽きてくる。
 古市街と中山路の間のもっと狭い路地に入ったらパタっと人足は途絶え、観光化されていない素朴な街並みが現れた。こういうところは歩いても飽きないから不思議だ。

 
(左)石垣島にたくさんあった石敢当(魔よけ)がここにもある   (右)狭い路地に残る「隘門」

 路地を500mほど南へ歩くと、賑やかな第一市場へ出た。そこからさらに500mほど南西に行くと、鹿港でもっとも狭い摸乳巷という路地がある。
 摸乳巷は、すれ違うときにどうしても胸が触れ合ってしまうほど狭いためにこの名がついたという変態ご用達の路地だ。

 
(左)摸乳巷へ行く途中、家と合体した巨木があった   (右)摸乳巷、たしかにね

 摸乳巷はわずか100mほどの直線の路地だった。両側のレンガの家々は打ち捨てられた廃屋で、荒れ果てて雑草が生えている。かつてこのあたりは港のすぐ脇だったようだが、鹿港の海はすでに埋め立てられ、ずっと西に遠ざかってしまった。
 そういえば加古川のニッケ工場周辺にもこれと似たレンガ路地があったなあ。あそこもこんなふうに観光化しようと思えばできるかもしれん。

 
(左)摸乳巷の南、三民路に出たところで見つけた線香干し風景   (右)鹿港小学校の立派な校門


龍山寺(ろんしゃんずぃー)


 摸乳巷の南東300mほどのところに、天后宮と並ぶ鹿港の目玉施設、龍山寺がある。こちらは仏教の寺で、やはり古いものらしい。
 行ってみたら楼門はプレハブに覆われて修復作業中だった。本堂でもあちこちで補修前の調査中。ちょうど小学生の遠足グループが出てきたところだったが、天后宮に比べたら全然すいてて、のんびりできる。
 沖縄の家みたいな赤瓦と白パテの屋根が美しい。こういう屋根はここでしか見なかった。隣のアパートとのコントラストも鮮烈だ(冒頭写真)。

 
(左)沖縄風の赤瓦の本堂   (右)細かい彫刻や古い文字などを写し取っている調査員

 
(左)本尊は金ぴかのお釈迦様   (右)天后宮にもあった占いの木片。2つを投げて、出た向きで吉凶を見る

 
(左)奥の院への通路、やはりここも2重構造   (右)奥の院も沖縄色

 
(左)小さなタタミで拝むのね   (右)奥の院から見た本堂の裏側

 精緻な装飾がすごい


九曲巷(ぢうしゅいーしぁん)


 龍山寺を出て北へ戻りながら、鹿港観光のハイライト、九曲巷を歩いた。その名の通り、ぐねぐねに曲がりくねった500mほどの路地だ。黄砂が舞い上がるのを防ぐため、わざとぐねぐねにしたというハナシ。
 土産物屋などはまったくなく、歩く人の姿もごくまれで、静かに散策できてじつによろしい。角を曲がるごとに絵になる風景が次々に現れてテンションが上がり、発作状態のカメラ小僧みたいになってしまった。

 
(左)九曲巷の南の入口付近、小さな廟と洗濯物が最高   (右)路地の上に架けられた渡り廊下

 
(左)アールのついた壁がなんともいえん   (右)レンガ塀もアール。右下隅に井戸の手押しポンプがある

 
(左)左右のあちこちに袋小路もある   (右)こんなとこでカクレンボしたら絶対に楽しい

 台湾には檻状の窓が多い

 ゆっくり歩いたけど、楽しくてあっという間に九曲巷は終わってしまった。

 中山路に出たのが3時過ぎ。どっかでメシでも食おうかなと思いつつ歩いていたら、前からバスが来て目の前で停まった。彰化(じゃんほぁ)行きと書いてある。
 この日は彰化から鉄道を使って高雄(がおしょん)まで行く予定だったので、発作的に飛び乗った。

 そんなわけで、結局メシも食わずに5時間ほど歩き回るだけに終わった鹿港だった。1泊してもよかったかも。せめて路地の片隅の小さなメシ屋でビールでも飲みたかったな。
 鹿港は見どころがすべて徒歩圏内にキュッと固まっている。そのわりに観光客が多かったのは天后宮周辺と古市街だけで、あとはチラホラ程度。のんびりと散歩を楽しめた。

 ちなみに鹿港から彰化へのバス(30〜40分くらい)はかなりのボロでよく揺れ、路面の段差のたびにすべての窓がビリビリビリーとすごい音を立てる。よく割れないものだ。
 でも、それがとてもおもしろかった。また乗りたい。 (08.1.2記)

 彰化行きのボロバスから

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