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奈良県東部の曽爾(そに)村から三重県美杉村にかけて、室生火山群と呼ばれる個性的な山々が集まっている。 このうち盟主的存在の倶留尊山(くろそさん、1038m)や大洞山(おおぼらやま、1013m)などには登ったことがあるが、最も不思議チックな鎧岳・兜岳・屏風岩の「曽爾三山」は未登。こいつらは柱状摂理ギンギンの岩山らしい。 そこで、朝6時半起きで眠い目をこすりこすり出かけた。 大阪・鶴橋から近鉄で1時間、名張に着いたら9時前。曽爾村への三重交通バスを調べると10時か・・・こんなに早起きするんやなかったな。 名張の町を散歩して10時前に駅へ戻ったが、バスの気配がない。営業所の人に聞くと、「道路工事のため1週間バス運休」って・・・ナヌー! 動いてるのは朝8時のと夕方5時のだけやとぉ〜? すげー、曽爾村。隔離された村。平成の大合併にも背を向け、村の自立を貫きながらの1週間バス運休。そんなところでも公職選挙法に基づいて村長選挙および村議会議員選挙が行われ、地方自治体として立派に存立しているとは。ビバ曽爾村・・・。 仕方がない。西側の室生(奈良県宇陀市)に迂回して、屏風岩だけでも登ろう。室生からは裏側ルートになり、手前にある住塚山を越えていかにゃならんけど。 赤線が歩いたルート(左から右へ) ところで屏風岩という名の岩はあちこちにあるが、ここのはかなりゴツイ。曽爾村側(南面)は200mの断崖が幅1.5kmにわたって、文字通り屏風のように立ちはだかっているとのこと。 断崖の麓は桜の名所として売り出し中だが、登山の対象としてはあまり紹介されていない。一ノ峰から順にいくつかのピークが連なって、恐竜の背中のような不思議な山容らしいが、登れるのかどうかもようわからん。 電車で3駅戻り、室生口大野から10時45分のバスに乗る。室生寺を過ぎ、2つ目の宇野川橋で下車、400円。 ここからは屏風岩も手前の住塚山も見えない。早くも腹が減ったので、3つ買ったおにぎりのうち1つを食べてから歩き始める。 宇野川に沿って30分ほど車道を歩くと、石畳の山道が現われる。ここは東海自然歩道だ。 前日が雨だったので道は湿っているが、お空は日本晴れ。この上なきハイキング日和ね。 さらに山腹を20分ほど登ると、道が二手に分かれる。 そのまま東海自然歩道を歩いたら遠回りで、住塚山だけでなく国見山っちゅーのにも登らんならんことになる。 もう一方の道は、住塚山の手前へ直接出られるらしい。俺が持参した30年前の地図(1976年版の昭文社登山地図、編集室の本棚にあった)にはそうある。 近道なほうを選んで歩き始めたが、道は地図の地形とは異なるほうへ向かっているぞ。いったん戻って慎重に踏み跡を探すが、どうしてもその道しかない。 再度進むと、地図にない林道に出た。それを左へ進んだら、結局、遠回りな東海自然歩道と合流した。ちくしょう、やっぱりアカンな30年前の地図は。無駄に時間をロスしたよ。 1時前にクマタワというだだっ広い峠に着いた。トイレ設備がある。 ここからはもう国見山&住塚山を越えてゆくしかない。腹を据えてさっそく出発すると、いきなり鬼のような急登の階段道が続く。 こういうのが一番しんどいのよね・・・ 激しく体力を消耗し、途中の「松の山」のピークで我慢できずに二つ目のオニギリを食う。 そのあともキツめのアップダウンが続く。周囲はコナラの細い木ばかりだ。 あれが国見山の頂上だ ぜいぜい言いながら35分ほどで国見山頂上(1012.3m)に到着。名前のごとく、遠くまで360度の展望が広がる。さっきまでの苦しみはどこへやら、こりゃ最高でっせ〜。 (左)北東方向、中央左は鎧岳・兜岳、遠くは倶留尊山 (右)隔離された曽爾村を見下ろす (左)山頂の石仏 (右)これから登る住塚山 3つ目のおにぎりを食いたいのを我慢して、住塚山を目指す。 道は北側とは一転して岩が多くなる。しかし、せっかく登ったのに、どこまで下りるんじゃい。 もったいなくも下りるだけ下りたところが、当初目指した近道合流点のゼニヤタワ。たしかに宇野川橋方面はヤブに埋もれている。 そこから、下りた分を丸々登りなおして、国見山から25分で住塚山(1009.4m)到着。 (左)樹林の中のゼニヤタワ (右)住塚山の山頂 国見山ほどではないが、ここも景色がいい。 本日のお目当て、屏風岩のピークの連なり(の裏側)がきれいに並んでいる。表の南面はスパーンと切れ落ちた断崖絶壁らしいが、こっちの北側はおだやかな傾斜だ。 (左)さっき登った国見山 (右)これが屏風岩の裏側、右から一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰・・・と続く 時間は2時過ぎだ。ここでついに3つ目のおにぎりを食う。お茶も全部飲んじゃった。お目当ての山はこれからなのに、もう何もなし。 よし。とっとと行こう。 10分ほど東へ下ると、峠に出る。正面には屏風岩の一ノ峰が立ちふさがり、右へ下りたら曽爾村の長野。 30年前の地図によると、ここから細い点線が稜線づたいに一ノ峰と二ノ峰を越えて、三ノ峰の手前の若宮峠まで続いている。このルートが使えるかどうか、と思っていたが、正面の杉林の中にわりとはっきりした道がスーッと伸びている。しかも峠の道標に黄色いプラ板が追加され、マジックで「←屏風岩山頂」と書かれているではないの。 (左)「←屏風岩山頂」が追加された峠の道標 (右)屏風岩1ノ峰への登り 杉林を登るとやがて雑木林になり、しだいに岩も現われるが、けっこう歩かれているみたいで道はしっかりしている。 そろそろ断崖の上なんだろうけど、ここからだと岩は全然見えないな・・・と思ったら、10分もたたないうちにあっけなく一ノ峰の頂上に出た。 (左)一ノ峰の頂上 (右)山頂を示す表示もあり 屏風岩としてはこの一ノ峰が一番高く、あとは順にだんだん低くなっていくようだ。 山頂からの展望はよくないが、少し進むと下界を見下ろせる場所に出た。 (左)真下に桜の園が広がっている (右)桜の園を見下ろす。わかりにくいが約200mの高度差がある 道はさらに二ノ峰へと続いている。断崖上の稜線は幅2〜3mあり、しっかりとした道がついていて歩きやすい。右側は崖だが、樹木が生えているので怖さは全然ない。 今日の行程でもっとも快適な尾根道だ。これは意外。野生のリスも遊んでいたりする。 (左)木立の向こうに見える二ノ峰 (右)二ノ峰へのさわやかな尾根道、右側は断崖だが怖くない (左)ところどころで柱状摂理の上部が見えたりする (右)二ノ峰を越えたあたりから長野(曽爾村)が見渡せる 二ノ峰からの下りではさらに柱状摂理が観察できる 二ノ峰を越えると、道は一気に若宮峠へと下ってゆく。二ノ峰と三ノ峰に挟まれた岩の切れ目、それが若宮峠だ。こういうのを北アルプスではキレットというが。 若宮峠に出るや、正面に立つ鳥居が目に飛び込んでくる。それをくぐって、三ノ峰のほうへとしっかりとした道が続いている。 ところが峠にある道標は、長野へ下りる道やゼニヤタワへ出る道などを示すだけで、鳥居の背後の道については何の表示もない。 鳥居と、三ノ峰への道 ともかく鳥居をくぐってその道を行ってみよう。 しばらく登ると、小さな社が現われる。中には漢字の彫られた石碑がひとつ。 (左)腰までもない小さな神社 (右)石碑は判読困難だが、「若宮」という文字が見えた 道はそこで突然終わっていた。お社の背後には深いヤブがあるのみだ。三ノ峰は神体山なのかな。 そこで引き返した。 若宮峠から、曽爾村の長野へ下りることにした。 長野から名張へのバスは運休だが、ここから飲み物なしで出発点まで引き返すのはキツすぎる。とにかくいったん下りて、飲み物にありついてから帰り方を考えよう。 若宮峠からは杉林の中をジグザグに下る。 岩場以外の場所にはすべてびっしりと杉が植林されている。日本の林業は衰退したというが、すごいもんだ。しっかり間伐されているが、伐られた木はそのまま放置されている。 10分もかからずに車道に出た。そこには立派な木の鳥居が若宮峠に向かって立っており、「若宮神社」とある。つーことは、さっきの小さなお社が神社本体なのね。 (左)二ノ峰の岩壁の切れ目、右端の奥が若宮峠 (右)若宮神社の鳥居 車道を右へ行くと、さっき一ノ峰から見下ろした桜の公園に出て、そこからは一ノ峰&二ノ峰の大岩壁の眺めがすごいらしい。 でも、やめた。喉渇いたし、まずは自販機だ。村へ下りよう。 長野へ下りる道をたどると、三ノ峰以東の岩壁が見えてくる。 (左)左が三ノ峰、右が四ノ峰 (右)さらに五ノ峰 ぐねぐねの舗装道路をどんどん下るが、自販機は全然ない。 やがて屏風岩の全貌が現われる。こんな山だったのか。まるでノコギリじゃねえか。 (左)左端の一ノ峰と二ノ峰に登った。その右の大きな凹みが若宮峠 (右)どんどん遠ざかるが自販機なし 自分の故郷がこういう奇怪な山に見守られているというのは、なにか人生の安心感につながるような気がするな。俺にゃバケモノがついてるぞってね。だから1週間バス運休も仕方ない。 結局、40分ほど歩いて長野のバス停へ出るまで、飲み物にはありつけなかった。 この時点で4時前。缶コーヒーを飲みつつバス時刻を調べると、名張へ出る三重交通バスは6時半ごろまでないが、榛原へ出る奈良交通バスが20分後にあった。 榛原まで約1時間、居眠りしてる間に着いた。バス代990円、奈良交通は高いなあ。でも終始貸切だったからタクシーと思えば安いか。 というわけで歩行時間5時間、予定通りにはいかなかったが、天気よければすべてよし。道なき三ノ峰以降の峰々もいずれ。 (06.3.8) |
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