ふしぎ山
ヌスクマーペー (野底岳)
沖縄県石垣市、282.4m

 沖縄本島よりはるか南に浮かぶ八重山諸島、そこは亜熱帯の楽園だ。その中心・石垣島にふしぎな山ありと聞いた。
 で、せっかくのエメラルドグリーンのサンゴ礁には目もくれず、着いたその日にいきなり山登りって何考えてんねん。

 この日のアプローチは楽チンね。石垣出身の知人が運転する車、その後部座席で社長座りの俺様だ。バスは極端に本数が少ない(1日2本くらい)のよね。
 石垣市街地から於茂登トンネルを抜け、「裏石垣」と呼ばれる同島北岸へ。海岸線に沿って北へと走り、吹通川河口のヒルギ群落を通過して丘を越えたら、突如として天を突く岩峰が姿を現す。

 すごい急角度。兵庫県のトンガリ山なんてメやないな。
 現地では農作業のときにかぶる「クバ笠」の形と言われているらしい。

 
(左)出たなマーペー!   (右)どう登るんや?

 この山は通称「ヌスクマーペー」と呼ばれているらしい。妙な名だ。
 国土地理院の地図には「野底岳」とある。麓の野底集落からとったようだが、野底は石垣語で「ヌスク」と読む。そして「マーペー」とは人名らしい。なんでも、この山にまつわる悲劇の主人公の名前で、その秘密は頂上に登ったときに判明するという。
 なんかしらんが、登らんわけにはいきまへん。

 多良間の集落から山に向かって農道を走り、山際の道が西浜川という小さな流れを渡る手前に登山口の看板発見。市街地から45分くらい。ここに車を置いて森へと入る。

 
(左)意外に明るい入口の森   (右)道を水が流れてビチャビチャ

 この日の午前中まで雨が降っていたため、地面はじくじくしている。南方らしくシダ類やクワズイモ、着生植物やらツル植物やらがわんさと茂っている。
 道は基本的には1本道のようだが、去年の台風のせいで倒木が道をふさぎ、しかもそこにすぐ熱帯植物が繁茂してくるためにあちこち迂回路があって、常に2〜3本のルートが入り乱れる感じ。
 でも「山水会」の立てた標識がたまにあって、迷うことはないだろう。

 ヒカゲヘゴ

 しかし蒸し暑いなあ。26度以上はゆうにあるだろう。12月なんだけど。
 谷筋やら小さな尾根やら、とらえどころのない地形の中をしばらく進むうち、だんだん傾斜が急になってくる。
 沖縄地方に多い赤土が露出した部分では、湿っているせいもあって非常にすべりやすい。ていうか、思いっきりすべるよコレ! こいつは油断できん。

 
(左)国頭マージと呼ばれる赤土   (右)モロに粘土、ほとんどイヤガラセのようにツルッツル

 樹間から頂上部分がチラチラ見えているが、なかなか近づかない。北側へぐるっと回り込んでいるようだ。
 標高が上がるにしたがって植物相が変わってくる。低い山なのに、植物ってほんとに敏感で律儀だね。

 
(左)亜熱帯の森を進んでいくと・・・   (右)やがて暖帯林っぽくなってくる

 この山は北・西・南はズバっと切れ落ちているため、西側の登山口方面からはタワー状に見えたけど、東側だけは普通に歩いて登れるくらい傾斜がゆるくなっているようだ。
 道がそっちのほうまでまわり込んだあたりで、別ルートと合流する。こちらは新しくできた林道からの短縮コースで、10分かからずに頂上を踏めるらしい。
 ちぇっ、そうなっちゃうと山の神秘性は損なわれ、ゴミが捨てられたりして魅力が薄れてしまうんだが・・・マーペーよ、お前もか。と初めて来た俺が言うてもな。

 そのあたりから森の木は低くなり、やがて頂上付近に到着した。登山口から40分くらい。
 おや? 岩陰になにやら文字の書かれた看板がある。これだな、マーペー伝説。

 頂上直下、伝説の記された案内板

 それはこんなお話ぢゃ。

 琉球王国が薩摩の支配下に置かれた江戸時代、八重山では開拓のための強制移住がしばしば行なわれた。それは「道切りの法」、つまり「この道からこっちに住んでる人はドコソコに移住せよ」というやり方だった。
 で、石垣島の南にある黒島で道切りが行なわれ、1732年に新しく開かれた野底村への移住が命じられたんだが、その命じられた側に、われらがマーペーちゃんがいた。きっとカワイコちゃんだったに違いない。
 ところがマーペーちゃんは、道の向こう側に住んでいたカニムイくんと恋仲だった。カニムイくんは役人に「僕も連れて行ってください」と頼んだが「アカン!」と言われ、二人は泣く泣く生き別れになった。
 野底村に移ったマーペーちゃんは毎日泣き暮らしていたが、恋人のいる故郷の黒島を一目見たくてたまらず、ある日この山に登った。ところがなんと、於茂登岳(沖縄県最高峰)がジャマして黒島が見えない。
 絶望したあわれなマーペーちゃんは頂上で何日も泣き続けたあげく、祈る姿で石となった。
 あわれんだ村人たちはそれ以来、この山を野底マーペーと呼ぶようになったのぢゃ。

 人名がそのままついた山は、たまにある。有名なのは北アルプスの野口五郎岳だろう。でもマーペーには「岳」さえついてないからな。いうなれば野口五郎。そういや「私鉄沿線」も悲しい歌だった。

 まあそんなことより、マーペーに会いに頂上へ行こう。
 看板のある岩の裏に左からまわり込むと、巨大な岩が現れる。そのてっぺんが最高点のようだ。マーペーちゃん、大きいのね・・・。
 巨岩の隣にも岩が並び、その間は小さな窪地になっていて、三角点がある。

 ここまでほとんど無風に近く、蒸し暑くて仕方がなかったが、ここへ来たとたん、西の海から涼しい風がサアァーっと吹き付けてくる。やはり頂上はこうでなくっちゃね。

 
(左)マ、マーペーちゃん?   (右)岩に囲まれた三角点

 隣の岩に足をかけ、俺はマーペーちゃんとおぼしき巨岩のてっぺんにソロソロと上ってみた。
 おおお! こ、これはすごい。360度のマーチ。

 
(左)西、海への突出は野底崎。手前の谷を登ってきた   (右)南、マーペーを絶望させた於茂登岳は雲の中

 
(左)北、細長い半島が伸びる   (右)半島付け根を拡大。ちぎれそうな部分は、船を担いで運んだ「舟越」(ここ)

 
(左)東、最後はこちらから登る   (右)東のサンゴ礁アップ

 たった280メートルとは思えない高度感と、遮るもの皆無の大展望だ。伊江島の城山をもっと高くしたような感じだな。
 西風が俺の体じゅうを包み込み、撫で続ける。汗があっという間に乾いてゆく。
 しかしマーペーちゃんはこの絶景にも喜べなかったのね。俺もなんだか切なくなってきたよ。

 岩の下では、貝の皿に小銭が供えられていた。

 もうこれ以上盛れないよマーペーちゃん

 景色を眺めていたら、犬を連れた若い女性が二人登ってきた。短縮コースから来たそうだ。
 うち一人は三重県から移住してきたとのこと。もちろんマーペーちゃんとは違って、自分の意思による移住だ。時代は変わったのだなぁ。

 15分ほど景色を堪能し、おにぎりを食べて、元来た道を戻る。
 下るに連れて森が深くなる。熱帯の森は生命力に満ちていて、飽きることがない。

 
(左)岩にしがみつく木の根   (右)恐竜みたいなキノボリトカゲ

 赤土ですべらないよう気をつけてゆっくり下りる。登山口まで30分ほど。

 ヌスクマーペーはその悲しい歴史とは裏腹に、手ごろに登れて展望も最高の、親しみやすいふしぎ山だった。でも石垣島にはハブがいるので要注意。それと赤土、すべります。  (06.12.7)

 マーペーよ安らかに

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