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『医療裁判』を紹介した記事です

月刊がん「もっといい日」(日本医療情報出版)2001年9月号
月刊クーヨン(クレヨンハウス)2001年10月号
朝日新聞 2001.7.18(水)
神戸新聞 2001.6.30(土)

月刊がん「もっといい日」(日本医療情報出版)2001年9月号

交通事故に遭った愛娘を救急病院の医療ミスによって失い、その後医療裁判を起こして3年半で勝訴、「医療と裁判を考える会」「医療過誤・原告の会」の活動にも奔走する著者が、被害者の視点で、26年前医療ミスで『植物状態』となってしまった女性の医療事件をさかのぼる。逆転勝訴の判決まで16年かかった裁判の経緯とその実態を通じて、日本の医療現場と医療裁判の問題点を検証する。一般の民事訴訟では原告の70〜80%が勝訴するのに対して、医療裁判では原告(被害者)の約70%が敗訴するという。しかも、10年以上も闘ってその結果であったりする。この現実が示唆するものは何なのか。医療者だけでなく、法曹制度や法律家サイドの問題をも浮き彫りにしている。

月刊クーヨン(クレヨンハウス)2001年10月号
インタビュー・長尾クニ子さん  医療裁判から見えた医療問題

「なぜ、娘は死ななければならなかったのか?」医療事故の原因は何だったのか、責任は誰にあるのか。被害者は、裁判に訴えるしか、真実を知る手だてはない。ミスを隠そうとする医療者たち。その影には、あまりに“いい加減な”医療の実態があった。

勝てるはずがない、と思いました。

「子どもや最愛のひとを医療事故で亡くして、裁判をしているひとたちは、たえず自分がそうさせてしまったという悔いが残るんです。なぜ自分がついていてこの病院を転院させなかったのかとか、わたしの場合だと、神戸に娘を出したこと自体まちがっていたんじゃないかとかね。自分を責めて責めて責めて、それがあまりにも辛いから、結局、本当のことを知りたい、何がどうなったのか、いちばん辛いことを知ろうと思ってするのが、裁判だと、わたしは思います。
 裁判をしてみてはじめてわかったんですけれどね、被害者側には資料は何もないんです。それなのに、あなたが自分で原因を立証しなさいと言われます。
 できませんよね。どんなに調べたって。勝てるはずない、と思いました。実際、医療裁判は、勝てる制度じゃないんです。それでも、被害者が訴えなかったら、過失はなかったことになりますから。どんな間違いをされても…。
 だから、損害賠償請求の裁判ではあるけれど、経済的な賠償を得ようとするだけだったら、しないほうがいい。負けても、悔いが残るけれど、しなかった悔いよりはいいと思うなら、されるといいと思います。ただ、医療裁判をするということは生やさしいことじゃないです。裁判をしなかったときよりもっと苦しみますからね。被害者にとっては、このうえなく不幸なかたちだと思います。
 勝ったひとは、辛くても、まだ救われますけれど、負けたひとは…。たまたまうちの場合は、手術した記録が解剖の結果のようなかたちになってたから勝てましたけど、そうじゃなかったら、あの裁判、負けてたんです。
 『医療裁判』では、逆転勝訴した事件を書かせてもらって、勝つか負けるかなんて、これだけ紙一重なんですよと、知ってもらいたかった。そうでなければ、負けているひとが、植物状態になった子を抱えて、裁判で負けて、世間からは…世間だけじゃない、まず、身近なひとから「そんな裁判して、騒いで、やっぱりお医者さんは正しかったんじゃないか」と言われるなかで、生きていくのは、本当に辛いことだと思いますんでね。ほんとは、負けたひとの事例を書きたかったんです…。
 裁判をすると、医療がいかにいい加減な、不確かなことが通用する世界なのかということがよくわかります。改ざんとか偽証は、つきもの。後からカルテを書き足しても、堂々と『つけ忘れた』で通ってしまうんです。事実をどんなに変えられても、お医者さんの言うことが『真実』になっていく。鑑定書もそれに沿って書かれる…」
 それでも、法廷の雰囲気や医者の「いい加減な証言」を聞いているうちに、原告には、真実がかなりわかってくる。だが、立証ができなければ、結果は敗訴。事実がわかっているのに証明できないくやしさ、情けなさ…。
「わからなくすれば、医者の勝ちなんです。カルテを書いていないほうが、有利になるくらいですから。裁判してみて、裁判制度が庶民の味方ではない、ということだけははっきりわかりました。負けても勝っても、被害を受けたひとたちを最後の最後までみていかなければならないのは当事者ですから」
 医療事故では、あらゆる負担を患者側が引き受けることになる。弁護士を探し、カルテなどの資料は証拠保全をしてそろえ、裁判費用を負担する。判決が出るまでに時間がかかるから、担当裁判官が替わることが多い。その結果、裁判の過程を知らない裁判官が鑑定書をもとに判決を下すことになる。
「医療被害者っていうと、裁判をする、すごいひとだと思われがちなんですけど、もともとは患者だったんだ、ということをみなさんにわかってもらえたらと思うんです。患者が被害を受けたときに、どうなるか…。『あたしだったらできないわよ、あなたはすごいわね』と言われるとすごく違うという感じがするんですよ。できるできないじゃなくて、せずにはおれなかった…。いちばん重いはずの人間ひとりのいのちが、こんなに簡単に片づけられてしまっていいのか。しかも人為的なミスでなくなったことに、世の中も冷たくて、無関心…。22歳まで一生懸命育てた娘の死が、これだけ簡単に、いい加減な理由をつけられて葬られてしまうことに、わたしは耐えられなくて、裁判したんです。 娘を犬死にはさせない。訴えたからには、何かひとつ娘が身をもって訴えた問題をかたちにして認めてもらわなければ…。
 裁判しか被害を訴える場がないというのは、あまりにも、情けない世界ですね。被害を受けたという不幸なことだけでなく、まわりのひとの人生もみんな巻き込んでいきますから」
 結審と同時にほとんどのひとが闘いを終えてしまう。しかし、長尾さんは、自分が勝訴した後も、「医療過誤・原告の会」を立ち上げ、被害者たちの先頭に立って来た。医療の仕組みを変えたい!そんな思いがあった。
「医療裁判から見た医療、医療被害者から見た医療は、見せたくない医療の裏側ですから、そこで、ひとつずつ被害を立証していけば、医療が少しは変わるかな、と期待していました。だから、医療裁判が、ひとつの決め手になると。この過渡期を通り抜けなかったら、変わりようがないんだからと思って、がんばってきましたけれど…社会が医療ミスを被害者個人の問題として扱っている間は変わりません。
 これだけ被害がありながら、被害の部分が医療関係者の間ではまったくブラックホールというか、無視されてきました。わたしが関わってすら、今年で20年です。いまだに医療被害は隠され続けていますから。唯一、被害の事実を問える裁判が、被害者を置き去りにしているいまのままのかたちでは、医療は変わらないだろうな、というのが、実感です。それでも被害者は泣き寝入りしないで訴え続けています。被害者ができることはここまでです。社会の仕組みをどう変えるか、この先は、専門家の仕事だと思います」
 医療裁判の実態を浮き彫りにした著書『医療裁判』をどう専門家のひとたちが受け止めてくれるか、期待している。

ながお・くにこ●1938年、愛媛県生まれ。2児を育てながら10人の大家族を切り盛りする「主婦」だった。事故で、次女・雅子が7歳で死亡。1982年、「ようやく雅子の死を乗り越えた」ある日、長女・恭子が交通事故に遭い、救急病院のずさんな処置で死亡。22歳。なぜ娘は死んだのか、責任は誰にあるのか…『娘からの宿題』(草思社/刊 本体1,500円)とも言える裁判に、すべてを投げうって取り組む。裁判中に、「救急医療を考える会(後に「医療と裁判を考える会」に改名)」結成。1986年、勝訴。『医療裁判』(さいろ社/刊 本体1,800円)の勝訴は、紙一重。13年かけて「逆転完全勝訴」にたどり着いた父親と家族の血みどろの闘いを通して、医療裁判の実態と問題点を検証する。


朝日新聞 2001.7.18(水)
医療裁判 仕組み変えて 長女亡くした長尾さん 著書で訴え

 19年前に長女を医療ミスで亡くして以来、裁判にかかわってきた神戸市灘区の長尾クニ子さん(63)が、活動の集大成ともいえる「医療裁判」(さいろ社)を出した。原告側が立証責任を負わされる医療裁判のあり方や、病院ぐるみの偽証、医師のかばい合いなどを強く批判している。

 長尾さんの長女恭子さん(当時22)は82年、神戸で会社帰りに交通事故にあった。救急病院に運ばれたが、輸血後に放置されたため、出血多量で亡くなった。
 愛媛県でパン屋を営んでいた長尾さんは、単身神戸に移り住んで警察などに話を聞くが、納得がいかない。「娘の死の真相を知りたい」と提訴。神戸地裁は3年半後、訴えをほぼ認め、病院に損害賠償を命じた。
 その体験を綴った「娘からの宿題」(88年)は、テレビドラマ化された。91年からは「医療過誤原告の会」の副会長も務め、裁判支援や講演会などで全国を走り回った。
 「でも最近、自分がやってきたことは対症療法にすぎないのではないか、と思うようになった。医療裁判には密室性、専門性、封建制の3つの壁があるとずっと言われてきたが、状況はほとんど変わっていない。被害者は必死なのに、専門家は何をしているのか」
 今回の本では、医療ミスで植物状態になった女子中学生を巡る13年に及ぶ裁判を描いた。一審は敗訴したが、弁護士を替えるなどして大阪高裁で逆転した。その過程であった病院によるカルテの改ざん、医師のかばい合い、弁護士の力不足などの実態を追及している。
 「医療者は実態を調べて事故白書のようなものを作るべきだし、法律家は、原告に過大な立証責任がある裁判の仕組みを変えるよう働きかけるべきだ。それが根本治療だと思う」
 最高裁の統計では、昨年一年間に提訴された医療裁判は767件。10年前の倍以上で、継続中の訴訟はその4倍とみられる。
 関係者によると、一般の民事訴訟の場合、原告の勝訴率は8〜9割とされるのに対し、医療裁判は3〜4割。判決までにかかる時間も3〜4年と、一般の裁判の倍近いという。
 本の中で長尾さんと対談している石川寛俊弁護士(大阪HIV訴訟弁護団の一員)は医療裁判を数多く手がけた経験から、「思いだけで動くのではなく、自分の置かれた立場を冷静に見つめたうえで、(1)自分なりに事実関係を確認する(2)弁護士に相談し、カルテなどの証拠保全をする(3)弁護士に全部任せないで裁判をリードするつもりで対すること」と話す。
 現行制度については「原告側は事実や状況がわからないか提訴したのに、それを証明せよというのはおかしい。欧米のように、医療者が説明し、原告側が疑問点を突く形にすべきだ」と指摘している。
 本の問い合わせは、さいろ社(078-453-6796)へ。

神戸新聞 2001.6.30(土)
一人娘亡くした神戸の長尾さん 医療過誤と向き合い19年 活動の集大成を出版

 一人娘が医療ミスで亡くなったのを機に、19年にわたり、救急医療の問題や医療過誤裁判と向き合ってきた神戸市灘区の長尾クニ子さん(63)がこのほど、自身の活動の集大成ともいえる『医療裁判』を出版した。医療の壁の前で立ち尽くす人々への支援で全国を駆け巡った日々。しかし、残ったのは苦い挫折感。「被害者はなぜ、これほど苦しまなければならないのか」との重い問いかけを276ページに込めている。(林芳樹)

 神戸で働いていた娘が、交通事故の後に亡くなったのは1982年。愛媛県でミカン農家とパンの店を夫婦で営んでいた長尾さんは、救急病院での処置に疑問を持ち、単身で神戸へ。独学で医学書を読みながら、救急病院を提訴。3年半後、勝訴した。88年、この裁判の軌跡を克明に記した著書は話題を呼び、テレビドラマにもなった。
 旗揚げした「救急医療を考える会」は「医療と裁判を考える会」へと発展。91年にできた全国組織「医療過誤原告の会」の呼びかけ人となり、99年まで副会長として重責を担ってきた。
 「被害者が頑張れば医療は変わる」と走った。この19年間で「泣き寝入りしない人が増えた」と思う。レセプト(診療明細書)やカルテの開示など改革もあった。会の輪も広がった。
 しかし、長尾さんは「挫折感」を覚える。ミスの立証責任は原告にある。医療機関側は明らかな誤診でも徹底抗戦するため、長期裁判を強いられる。しかも意欲のある弁護士は極めて少ない。「裁判をすればするほど真相が見えにくくなる」。いら立ちが募ったという。
 新著『医療裁判』では、13年もかかった裁判の末、高裁で「逆転完全勝訴」を勝ち取った家族の姿を詳細にたどりながら、医療裁判の実態を描いた。医療過誤訴訟に詳しい石川寛俊弁護士との対談も掲載している。
 4年がかりで書いたという長尾さんは、この執筆で区切りをつけて運動から引いた。「被害者は頑張った。後は、医療・司法の専門家が改革の責任を担う番ではないか」と指摘する。
 13年前に書いた1冊目の題は『娘からの宿題』。いま、娘に返す答えは「母さんはでいることはやり尽くした」だという。
 発行所は同市東灘区の「さいろ社」。078-453-6796。1800円(税別)。

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