関西の激渋銭湯
チープに極楽。生きててよかった!
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【千葉県】の激渋銭湯
金平浴場 ★(香取市)
梅乃湯 △(館山市)
(廃業)

金平浴場 

香取市佐原イ622  →地図
電話 0478-52-3547
【営業時間】 15:00〜23:00
【定休日】 1日と15日


 佐原駅に着いたら、もうとっぷりと日が暮れていた。
 ここには古いまちなみが残っているらしく、ちょっとした観光地のようだ。でも真っ暗で何もわからんがな。

 そんな中をくねくねと歩く。どうも複雑な道だ。
 10分以上歩いて不安に苛まれてきたころ、暗くて狭い路地の向こうになんとなく銭湯かもしれないようなケハイが・・・だが看板も暖簾もない。
 真ん前まで来て様子をうかがうと、どうやら営業してるようだ。
 たどり着いた・・・この時点である種の達成感を覚える。

 
(左)やってますよね?  (右)正面の足元に佐原フリーペーパーあり

 玄関は男女入口の前に目隠し板が斜めに取り付けられており、そこに佐原の祭りのポスターと、今は亡きチイチイがテレビロケでここを訪れたときの写真が貼られている。

 木のガラス戸を開けて中に入るとタタキ、そして番台があり、きわめて感じのいい知的なおかみさんが座っておられる。
 脱衣場はもう説明なんかできへんレベルで日本のふるさと状態。古い渋い美しいの3拍子に涙腺崩壊、胸いっぱい。
 つい昨日も寅さんが「ようっ」とあの調子でぶらっと入りに来ましたよね? 来んとおかしいわこれは。

 
(左)この渋さ・・・!  (右)問答無用の本物レトロ

 
富士山が見えている

 なんでも100年以上続いている銭湯らしい。
 こういうところで裸になる喜び、こんなの読んでるアナタならわかるよね?

 こぢんまりとした浴室でまず目に飛び込んでくるのは、奥壁の富士山ペンキ絵だ。波打ってかなりペンキが剥げてきているけど、丸山絵師っぽい。それが、奥壁から左右壁に折り返して、まるで絵本のごとくに描かれている。

 見上げれば低いフラット天井で、男女それぞれ四角い湯気抜きがある。壁上部の緑と白のペンキも剥げてきている。

 男女の仕切り壁には優美な富士山タイル絵。古い大判サイズのタイルも味わい深い。
 手前に島カラン1列と、男女隔壁にはシャワー・カランが揃っているが、外側壁には何もない。

 湯船は奥に2つ。左側は猛烈に熱くて、最初は入れなかった。
 右側は角に積んだ石の隙間から勢いよく湯が吐き出されている。43度強〜44度くらいか。まずはこっちで体を熱に慣れさせる必要がある。

 熱いほうの湯船の端にかき混ぜ棒があるのを発見し、それで湯もみしたら45度くらいになった。これならなんとか入れるわ。

 先客一人。静寂で真っ暗な地方都市の路地奥で、ともに無言で熱い湯に浸かる。頭の中はカラッポだ。何だろう、これは。この時間は。
 先客が帰ったあと40歳くらいの客が来て、女湯と壁越しにシャンプーのやりとりをしている。

 ゆっくりとお湯と雰囲気を味わって、上がる。
 神戸から来たと言うと、おかみさんは「阪神大震災の何年かあと神戸に行きましたよ」とおっしゃる。チイチイは亡くなる3年ほど前に取材で来たらしい。佐原の秋祭りはたいそう見ごたえがあるそうだ。
 そんな話をポツ、ポツと交わしながら服を着る。
 何がどうということはまったくないんだが、しみわたるようないい時間だ。

 

 地味ながら、地方渋銭湯の味わいが色濃く凝縮されている。銭湯好きなら、早く行くほうがいい。
 狭くて暗い路地を、探して探して。
(2014.3.24)
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梅乃湯  《廃業》

2008年10月9日で廃業されました。
レポートは営業当時のものです。


館山市沼895
電話 0470-22-1454
【営業時間】 16:00〜20:00
【定休日】 月・木


 廃業のウワサはデマだった!
 房総半島の南の端、内房線の館山駅から南西へ2kmほど。館山城を通り過ぎ、「西の浜」というバス停の近くへ来ると、道路にこんな看板が出ている。

 
(左)道路の手前左に   (右)超素朴な手書き看板

 んでそこを左に入ったら、未舗装のアプローチ奥に冒頭のような、日本列島の郷愁を一手に引き受けているかのごとき風景が展開する。
 たどり着いたらこのおうち。見えへん。涙がとめどなく溢れて風呂屋が見えへん。


おがーちゃーーん・・・!

 両側に茂った木々に迎えられつつ、わが心のジョージアにおずおずと俺は近づいた。
 玄関の入母屋破風の下には「湯乃梅」という木の看板があるが、そこには「創業明治二十五年」と書き添えてある。
 入口にはチョウチョ柄の激素朴な暖簾が下がり、その両脇には左に「ススキと鴨」、右に「百合」のタイル絵。さらに暖簾の奥正面には「梅」のタイル絵がある。

 
(左)横殴りの郷愁   (右)創業明治二十五年でございます

 震える手でサッシ戸を開けるとタタキ、そこに白く塗られた木の番台があって、近くにばあさまがおられる。
 板張りの脱衣所へ上がるや、ああもうだめだオン・マイ・マインド、説明できないオン・マイ・マインド。郷愁郷愁また郷愁、全部ウッディー木造木製、創業明治二十五年。
 柱や梁やロッカーも白く塗られている。ロッカーにフタなどあるもんかラヴ&ピース。

 
(左)ああもうどうしたら・・・   (右)どっかのオヤジが娘たちを連れてきた

 開け放たれた掃出し窓からは、南房総のディープ・ローリング・ヒルズ。その彼方に見ゆるは館山城の天守閣ではないか。

 
丘の彼方に城ありて

 そして何より驚嘆させられるのは、壁の上部に並べられた絵画の数々だ。館山の海、町、花、港、祭・・・すべてこの銭湯のご主人の作品だという。
 しかもその絵に、純情で美しい人柄が丸出し。温暖で豊かなこの地に育まれた素朴で素直な感性のまま、謙虚に自由にのびのびと描かれきった水彩画の数々に心が洗われるようだ。

 
(左)癒されて   (右)そして癒しまくられて

 ここで一気に全裸になって浴室へ。生まれたまんまの姿で創業明治二十五年。
 出てしまった。ついに出てしまいました。
 正面奥壁、店主自らハケをとった、自作の富士山ペンキ絵だ。
 しかも空の色が
濃い黄色。長く長く伸びた雲。

 
さあ、泣きなさい

 この富士山は描けない。誰にも描けない。圧倒的なインパクト。われ泣き濡れて石鹸とたはむるオン・マイ・マインド。
 その下に深浅の湯舟がある。おったかいお湯に浸かって包まれて抱かれて。ああ富士の高嶺の黄色い空よ。



 男女壁には高原を流れる川の本格的なタイル絵がある。もちろんこれはご主人の作ではないが。

 
(左)ちなみに女湯は富士山(普通の姿)   (右)出ましたラーメン・マジョリカ

 その下に並ぶカランは蛇口が1個ずつしかない。よく見ると、プッシュ部分の頭に「湯」と彫り込まれている。隣は「水」。湯のカランと水のカランが交互に取り付けられているんだよオン・マイ・マインド。
 洗い場の中央には島カランもある。

 
(左)ずっしり重い押し心地   (右)絶品島カラン

 すべての設備はかなりくたびれている。だが富士山の黄色い空の下では、そんなことは問題になりようはずがない。静かな感動を胸に、黙っていつも通りに体を洗うだけだ。

 あがっておかみさんに聞くと、この銭湯のご先祖様は南房総内陸部ネイティブで、明治維新のころにこの場所へ移って来たという。120年経った現在は4代目。おかみさん80歳、ご主人85歳。
 明治時代の営業許可証を見せていただくと、住所が「安房国・・・」になっていた。

 ちょうど女湯のお客がいなくなったので、そっちも見せていただいた。女湯のペンキ絵は、桜の季節の館山城だ。こちらの空は普通に青かった。


女湯の館山城、この銭湯からみえる眺め

 去年9月、この銭湯で「マゴマゴ嵐」というTV番組のロケが行なわれた。ジャニーズの嵐がこの銭湯を訪れて紹介する30分番組だが、そのときに「今年いっぱいで廃業する」と放送されてしまったそうだ。

 でもそれはテレビ局の勘違いだった。

 今もここ房州館山に唯一残った梅乃湯では、ご高齢のご主人とおかみさんによってお湯が沸かされ続けているよオン・マイ・マインド。
 銭湯ファンたるもの、ここで黄色い空に浮かぶ富士山の下で湯に浸からずして往生できまい。急ぐべし。 
(2008.7.30)
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