チープ&ディープな男の旅路・県庁所在地シリーズ

松江

---汽水の都---

(2007.7.21〜22)



松江の旅、後半です。

【前半はこちら】→(1)満足な夜(2)松江城(3)水路をめぐって

【ここから本頁】→(4)緑の無人地帯(5)中海へ(08.2.26)

(4)緑の無人地帯

 くにびきメッセの南側を少し進むと、道は剣先川沿いになる。しばらくは左手に民家が続いていたが、やがて舗装が途切れて砂利道になり、前方にゲートみたいなものが見えてきた。

 
(左)剣先川、対岸は大橋川との間の中洲  (右)川幅が広がって分流し、別の中洲が現れる

 
(左)砂利道を進むと前方にゲートが  (右)こんな看板あり、でもそんなの関係ねえ

 そこを過ぎると、小さな橋を渡って目的の中洲へ侵入する。

 
(左)この水路を渡ると目的の中洲  (右)中洲に入った。右は剣先川、左は水田

 中洲は町の喧騒がウソのように静かで、人の気配はゼロ。鳥たちのさえずりだけの楽園だ。
 ゴキゲンで歩いていると、田んぼの向こうに車が走っているのが見えた。おや? 俺の地図には載ってないが、この中洲の中央に車道ができているみたいだぞ。ということは、問題の水門もたぶん通行できそうだ。

 とその時、俺の行く手を阻む看板が見えてきた。

 
(左)田んぼの向こうに道があるようだ  (右)通行止、でもそんなの関係ねえ

 ハードルをまたいでずんずん進む。矢でも鉄砲でも持って来いってんだラケンロー。
 しかし大橋川コミュニティセンターを出たのが1時半、それから30分以上歩いているけど、まだ昼飯を食ってなかったな。ハラ減ってきた。

 
(左)中洲の中の三日月湖  (右)対岸の中洲がやせ細り、剣先川が大きく広がる

 
(左)ここで休憩、パンを食う  (右)オオクニヌシくんとオロチちゃん

 一休みしてさらに進むと、前方に小さな森があって、そこに人家がある。こんな中洲に住んでいる人がいるのか? そのとき、爆発的に犬の吠え声が開始された。それも10頭くらいが狂ったように吠えている。金縛りにも似た恐怖が全身を襲う。

 道の左側すれすれに倉庫みたいな古い大きな建物があり、犬たちはその中にいた。鉄柵に遮られて1頭ずつ、ドーベルマンみたいな怖い犬ばかりがズラーっと並んで入れられている。そいつらが全員、目とキバをむいて、ものすごい勢いで俺に吠えかかってくる。
 なんという恐ろしい生き物なんだろう。犬たちと俺との距離は、鉄柵を隔てて1mも離れていない。

 吠え狂う犬も怖いが、この家周辺のタブー系オーラそのものがもうヤバさ全開。一刻も早くここを離れなければ。俺は全身から脂汗を噴出させながら、足早に犬たちの前を通り過ぎた。
 さっきの「通行止」の看板の意味がわかったよ・・・。

 やがて剣先川の中に別の中洲が見えてきた。
 と同時に、中洲の中に道路の橋脚らしきものが並んでいるのも見えてきた。どうやらここに、このエリアをまたいで松江東部を南北につなぐ橋をかける計画のようだ。
 そいやこのあたりが、宍道湖と中海の中間地点になるのかな。

 
(左)別の中洲が現れた。地図で見ると三角形の中洲  (右)並ぶ橋脚


振り返ると、松江の町は遠くなりにけり(右のほう)

 そしてついに水門が見えてきた。剣先川は新たに現れた三角形の中洲の南側をそのまま流れていくが、今いる中洲は水門で終わり。水門は剣先川の北側を流れる朝酌川に設置されている。
 水門が近づくと、中洲の中央に新たに作られた道路に出た。俺が歩いてきた点線ルートはここで終わった。

 
(左)中洲の末端の水田と、水門  (右)新しい道路に出た

 水門を渡る

 
(左)水門から見た上流方面、さっきの建設中の橋脚  (右)下流方面、右は三角形の中洲

 これで「緑の無人地帯」はほぼ終了。大橋川コミュニティセンターから1時間ほどかかった。
 この先にも、朝酌川・剣先川と大橋川が合流するまでの間にいくつかの無人中洲がある。水田などに利用されているようだが、橋がないため船でしか行けない。

 ここからはしばらく朝酌川北岸の幹線道路を歩くことになる。
 でも悪いことに、また雨が降り始めた。

(5)中海へ

 ぽつぽつといやらしく降る雨の中、川沿いの道路を黙々と東へ歩く。このまま歩いていけば中海に出るはずだ。
 このあたりは川岸まで北側の山が迫り、平地に乏しい。民家は斜面にチラホラと見える程度だ。

 朝酌川北岸の船だまり

 しばらくいくと左手斜面に朝酌町の小さな集落があり、そこに「岩屋古墳」と書かれた看板があった。ついでなので見て行こう。
 だが看板のある坂の路地を登ってもそれらしきものはない。突き当たりで農作業中のおばさんに聞くと、「その下の家の庭だ」という。
 示された家へ行くと、洗濯物の干された庭先に縁側があり、奥の部屋でおじさんとその家族がテレビを見ながらくつろいでおられる。

 「すんませーん、古墳を見せていただきたいんですが」
 と声をかけると、
 「あぁ、横から裏に回って見たらいいよ。調査?」
 「いえ、あの、通りがかりの者ですけども」
 「あ、そう」

 というようなやりとりののち、そのお宅の裏へ回った。そこには家と近接してこんもりした円墳があり、石室の口が開いていた。

 
(左)看板  (右)モロに家の裏にある

 
(左)石室入口  (右)中は当然まっくら

 かがんで石室に入ろうとしたが当然まっくらで何も見えず、このお宅で厚かましくも懐中電灯を借りた。
 ふつう石室というものは、いくつもの大きな石を積み上げて造られているものだが、この古墳はちょっとたまげた。写真ではわからないが、内部は2メートルほどの高さがあり、横壁も天井もすべて巨大な岩1枚ずつでできている。

 このあたりはちょうど宍道湖と中海の中間地点にあたる。豊饒の水域を両睨みにし、両者の水運を牛耳る重要な位置だ。きっと大物豪族が盤居していたのだろう。

 懐中電灯を返しがてら、ご主人に10分ほどお話を伺った。
 石室の石は調査によると川の南側のなんとかいうところ(忘れた、スマヌ)の石だそうだ。(「ヤワイ石」とおっしゃるので最初はヤワイというところの石かと思ったが、よくよく聞くと「柔らかい石」のことだった)
 こんなに大きな石を使った古墳はそうないが、文化財には指定されていないらしい。石室の中は昔からからっぽだったという。
 「この古墳はこちらの家と何かゆかりがあるんですか」と聞いたら、「ぜんぜんない」とのことだった。
 いろいろ話してくださったが、じつのところ方言があまり聞き取れず、半分くらいしかわからなかった。そういや西日本の言葉の中では出雲方言だけが異質で、東北地方のズーズー弁と同系に分類されてるんだった。

 元の道に戻り、さらに歩みを進める。このあたりは川が南へ湾曲している。
 と、まもなく川岸に鳥居が現れ、そこから直角に丘の上へ神社の参道の階段が伸びていた。階段を登ると、ちょうどここで大橋川の3本の支流が合流しているのが見渡せた。

 
(左)川から船で参るのが正式なのかな  (右)上の社殿。熊野神社・・・だったかな?忘れたスマヌ


左が大橋川本流、真ん中が剣先川、右が朝酌川。まさに扇の要の位置に神が祀られている

 川はここから徐々に東へと向きを戻す。岸に迫っていた丘陵もだんだん背後へ遠ざかって、平地が増えてくる。
 やんだのかなと思った雨がまた降り始めた。

 ふいに対岸への渡し場が現れた。ここが今も残る大橋川唯一の渡し場だ。
 看板を見ると、松江駅周辺からここまでの遊覧船もある。俺は意地みたいに歩いているけど、本来ここは大昔から船で行き来する場所なんだな。

 さらに下ってゆくと、川の中に塩楯島がポツンと浮かんでいる。
 もっと下ると、前方についに中海大橋が見えてきた。

 
(左)矢田の渡し場    (右)岩の上にこんもり茂った塩楯島。中に神社があるらしい

 
(左)川岸に生えるガマの穂    (右)中海大橋だ!

 ここから道路は大橋川から少し離れて北へ逸れてゆく。でも俺はあくまで川に沿って、細い道を進んでいった。
 やがて道は消えて、田んぼのあぜ道になった。雨はだんだん本降りに近くなり、俺はもうびしょびしょだ。しかし今さらどうしようもない。

 あぜ道から川岸の堤防に上がった。堤防上の未舗装路はたいてい砂利がまかれているが、よく見たら驚いたことに、この道は全部しじみの殻で埋め尽くされていた。さすがというか。

 
(左)しじみ殻舗装の道  (右)大橋川が中海に流れ込む

 やがて中海大橋の袂に到達した。といっても橋はずっと高いところを通っている。
 ともあれ、ようやく大橋川の終着点だ。大橋川コミュニティセンターを出てから約2時間あまり、雨の中をよくやるよ俺。
 橋をくぐると雄大な中海となり、一気に視界が広がった。

 とその瞬間、鼻をつく悪臭に襲われた。ドブの臭いだ。もしやと思って中海の岸を覗き込むと、ヘドロ状のものが湖岸にべっとりと付着している。
 こんなのは宍道湖にはなかった。中海の汚染はひどいんだな。

 せっかく豊饒の汽水湖をつないで雨の中を歩いてきたのに、最後にヘドロ臭に迎えられるとは残念だ。
 中海の大規模干拓計画は環境保護運動の高まりによって中止に追い込まれたが、今でさえこのありさまだから、もし計画通りに埋め立てが行なわれていたら本当に死の海になっていた可能性もあるのではないか。

 
(左)中海大橋を見上げる  (右)中海の湖岸にへばりつく黒いヘドロ

 中海大橋を渡るには、少し北へまわらねばならない。臭い湖岸堤防から田んぼの畦を通って、中海大橋の大きな道路に出た。
 相変わらずの雨の中、車がビュンビュン走る中海大橋を濡れながらトボトボ登る。大橋のてっぺんで、双方向の写真を撮った。

 大橋の上から中海、かすんで対岸見えず


大橋の上から、大橋川の上流(松江・宍道湖)方面。右側の岸を歩いてきた

 さてと、松江の旅もこれで終わりだ。
 橋を渡ったら、そう遠くないところに東松江駅があるはずだが、道が左右に分かれた。表示は何もないけど、どっちだろう。地図では駅の東側(左)に幹線道路が通っているから、そっちへ向かった。
 このあたりは物流基地になっているようで、運送会社の倉庫が多く、大型トラックが行き交う殺風景なところだ。

 やがて東松江駅のホームはすぐそこに見えてきたが、そこへ渡る踏み切りがない。やられたな・・・駅の入口は反対側だ。線路を強引に横切ろうにも、フェンスには有刺鉄線が張られ、破れ目もない。
 歩くうちに駅は後方に遠ざかり、貨物駅が現れる。それを過ぎたところで、狭い道の奥にやっとこさ歩行者用の小さな踏切を発見した。

 
(左)意宇川を渡る鉄橋の手前に踏切があるはず!(希望的観測)  (右)あった〜

 踏み切りを渡ったのはいいが、ここからも線路沿いにはスンナリと駅へ行けない。農村集落内を大回りして、やっと東松江駅にたどりついた。4:28。
 天気がよければこういうのもまたよしだが、雨降りで傘もないときは辛いなあ。なんとかしてくださいね地元関係各位。

 東松江駅、自販機ひとつの無人駅

 以上、松江の町歩きと大橋川踏破記はおしまい。半年以上経過してしまったため、忘れてしまっている部分が多くてスマンカッタ。
ちょっとした旅ホーム