|
||||||||||||
【宮城県】の激渋銭湯 | ||||||||||||
かしわ湯(仙台市)(廃業) 花の湯(仙台市) つるの湯(石巻市) 亀の湯(気仙沼市) (廃業) |
||||||||||||
かしわ湯 ≪廃業≫
仙台駅から徒歩5〜6分、いちばん近くて便利な銭湯。 だがある意味で、いちばん遠い銭湯かもしれない。 見た目、古いマンションにしか見えず、実際「かしわハイツ」と書いてあってその「か」の字がとれてしまっているような古いマンションだ。若干ウロウロしてしまうが、よく見たら四角い電照の突き出し看板に「かしわ湯」と書かれている。 (左)このビル (右)ブラックシリカの幟も目印 暖簾もなんもない。たまたま通りかかって「あらお風呂入って行こうかしら」と思う人はゼロであることを断言できる、まったくそそられない外観だ。 ホンマにやっとんかと疑いつつその古マンションの入り口を入ると、地下へと通じる急な階段の上部に「公衆浴場入口」とある。ま、マジ? コツ、コツ・・・と足音を響かせながら、ほとんど根性試しに近い緊張感で階段を下りてゆく。すると、たどり着いた踊り場の奥に無機質な金属扉がある。 だがここは釜場の入り口であり、折り返してさらに階段を下りなければ浴場へはたどり着けない。 (左)悪い人たちのアジトにあらず・・・ (右)釜場の入り口 怪しさ120%の地下要塞。 「このまま進んでしまったら、もう二度とお日様を拝めないのではないか・・・」 そんな妄想に苛まれながら、気弱な人間を跳ね返すいくつもの関門をかいくぐった末に、やっと階下に銭湯らしき暖簾が見える。 なんと、地下2階にある銭湯だ。 お風呂・・・よね? 藁にもすがる思いで暖簾をくぐる。 すると狭いタタキに番台があり、目の前に広がるのは嗚呼まぎれもなく懐かしい脱衣場風景だ。よかった救われた! ここで強調すべきは、番台に座るお姉さまの若さ、美しさだろう。銭湯の番台に座っていそうな感じではない。 お姉さまの膝にはかわいいテリア系のワンちゃんがいた。 ここに至るまでの激ディープな印象とのさまざまな落差に目まいを覚える。 ほっとする脱衣場 こぢんまりとした脱衣場の床は板張りで、木のぬくもりに満ちている。鏡も年代もの。脱衣箱は大きくて、旅の荷物も余裕だ。丸籠もあるぞ。 ふーむ・・・ヨイではないか、この空間! 浴室も小ぶりだが、武骨なビル地下とは思えないほどの郷愁ムードが漂っている。別府あたりの共同浴場の風情にも通じるぞ。まったくもって意外のひとこと。 奥に深浅2槽が並ぶ東京構造だが、湯船のフチのタイルなどはいい感じのイニシエ色に染まっているし、奥壁には美保の松原からの富士山を描いた大きなモザイクタイル画がある。 湯船は奥行きがないが、熱めの湯がふんだんに沸かされ、「驚異の鉱石ブラックシリカ」が沈められている。これ、やたらとぬくもるんよねぇ〜。 しんみりとした雰囲気の中で、清潔で快適に風呂を楽しめる。ほんま銭湯は見かけではわからんわ。 この風呂でもうひとつ注目すべきは洗い桶だ。ふつうは「ケロリン」と書いてあるところに、すべて「男性用かつら」と書かれている。もとは商品名が別の色で書かれていたようだが、その色は消えてしまって、「男性用かつら」の文字だけがクッキリ堂々と浮かび上がっている。これは傑作だ。めっちゃほしい。 震災ではたいした被害がなく、地震の翌週から営業を再開されたという。 いろんな意味で、まさに都心の穴場銭湯だ。また行かねばのー。 (2013.4.25) |
||||||||||||
このページの頭<激渋銭湯トップ | ||||||||||||
花の湯
仙山線の東照宮駅から南東へ600mくらいの線路近く。仙台駅から歩いたら20分くらいかな。 何の変哲もない住宅地にあるフツーな感じの外観だが、男湯と女湯の入口が自販機を挟んで別の側面にあるのがちょっと変わってる。でも入ると中の廊下でつながっている。 すっきりオリジナル暖簾 靴を脱いで上がるとこぢんまりとした脱衣場。女湯との仕切り手前に番台があって、感じのよいおかみさんが座っている。 脱衣場は白いロッカーと丸籠、オロナミンCなどが入った冷蔵庫のほかになにもなく、板張り床が気持ちのよい素朴空間だ。 なんかすがすがしいね 浴室もこぢんまりしており、奥に湯船、手前の両サイドにカラン・シャワー配置の東京型。壁や天井はきれいに改装され、清潔感が漂う。 湯船はひとつだけで、右半分はジェットが噴出。隅に溶岩があしらわれ、そこから湯が流れ込んでいる。 澄み切った湯に浸かるや、「むおっ!」と声が出た。なんかもう瑞々しいといおうか、お湯がピチピチ生きとるで! 壁に「脅威の鉱石ブラックシリカ」とあり、湯の底に10×20×8cmほどの真っ黒いブロック状の石が沈められている。こいつか、ブラックシリカ! うむぅ、元々の水質のよさもあるんだろうけど、めためた気持ちエエ〜。 取り立ててどこがどうということもないが、震災後は1週間で営業を再開し、多くの仙台市民の生活を支えた花の湯。 お湯のよさと脱衣場のすっきり感で心地よい余韻が残るナイスなミニ銭湯だ。こういうお風呂、大好きね。 (2011.4.8) |
||||||||||||
このページの頭<激渋銭湯トップ | ||||||||||||
つるの湯
津波が市街を襲った石巻。いくつかあった銭湯はみなその被害に遭ったが、その中で唯一復活したのがここ。 被災地には無数の強インパクトなエピソードが渦巻いているが、銭湯に関しても語りつくせないドラマが多々ある。「復活した」という事実だけで、俺のような銭湯クソオタクかつ阪神大震災被災者はもう泣きそうになる。 今そこに風呂屋として存在すること、それ自体が激渋なのである。 (左)向かいは広大な更地。志賀直哉生家のすぐ近く (右)おかみさん最高 もとは民家や商店が密集したエリアだったが、つるの湯の向かい側はすべて津波被害を受けて撤去された。 そんな殺風景な中にたたずむこの銭湯も四角四面の建物で、見た目はなんら風情を感じさせるものではない。 震災前はビルの半分が「サウナ石巻」という別施設として運営されていたが、震災後は銭湯部分だけ週休3日で再開された。 いくぶん殺風景な事務所的入口を入ると、番台におかみさんが座るいつもの銭湯風景。ゆったりした脱衣場の内装は震災後に修理されている。 (左)ロッカーはなく棚に籠のみ (右)浴室方面 浴室はじつによい。 まず床を埋め尽くす細かなタイルの嵐に圧倒される。テーマ性を感じさせる色合いが素晴らしい。 そして目に飛び込んでくるのは、正面奥壁に書かれた富士山のペンキ絵だ。この絵は震災後に大阪の権田さんという人が1ヵ月かけて描いたもので、東京のペンキ絵とはまったく違う繊細なタッチが贅沢感を漂わせる。 (左)浴室 (右)島カランともども濃緑系でまとめられている (左)右上はつるの湯のシンボルマーク (右)深風呂のライオンお湯吐きがデカイ! 湯船は奥に深浅2槽があり、玉石タイルがふんだんに使われた昭和の風呂だ。ライオンの顔のデカさも迫力! 震災の影響か、床面は一部陥没した場所があったり、応急的に張り付けたとおぼしき壁面フローリングが若干ふやけてきてたりもする。 だがこの銭湯の最大の魅力は、震災被害の中でもとにかくみんなが楽しくお風呂に入れるように、経営者と大勢のボランティアとが一緒になって再生させた、その努力と愛情とが浴場全体に充満していることだろう。 つるの湯の再出発を盛り上げたいとの思いから、あたかもこの銭湯に憑依したかのごとく何ヵ月も泊り込んでイベントなどを行ってきたアート系の若者たちがいる。あるいは、石巻のまち歩きとこの銭湯とを組み合わせたツアーを企画する人もいる。 石巻で奇跡的に蘇った唯一の銭湯を応援すべく、人々が勝手に集っているのである。 被災地に限らず、日本に銭湯を残していくためには、こういった動きが各地に広がっていく必要があるだろう。 (2013.4.27) 暖簾もボランティアの手作り |
||||||||||||
このページの頭<激渋銭湯トップ | ||||||||||||
亀の湯 《廃業》
いまや銭湯はみな貴重である。 中でも、このサイトでいえばレトロがどうの造りがこうのというのは重要な要素だ。 しかし、んなもんどうでもエエからとにかく万難を排して今すぐ行きナハレ、と言いたくなる特別なナハレ銭湯というものが存在する。 その一つがここ、気仙沼の亀の湯だ。 東日本大震災の津波による壊滅から再建を決意されるまでの亀の湯については、2012年のNHK特集「気仙沼の人々」でくわしく紹介された。 同番組は、これまでに作られた銭湯ネタものとしては過去最も感動的な作品だろう。俺は感動のあまり、この番組をDVDにダビングしたおしていろんな銭湯関係者に配り歩いたりした。 そこをついに訪れる機会に恵まれたのである。 亀の湯は、気仙沼フェリー港近くの更地の中にポツンと立っていた。 津波が来るまでは、船員たちが出入りする飲食店や住宅が密集するにぎやかな場所だった。 外装の一部は貼り直されているが、建物自体が致命的な損傷を受けたわけではない。だが内部は天井まで海が押し寄せ、あらゆる設備がムチャクチャになって泥に埋もれた。 (左)更地にポツンと亀の湯 (右)再建でフロントロビー式になった NHK「気仙沼の人々」の優れたところは、気仙沼文化を特色付ける地域の核として、この銭湯の取材を震災前から始めていた点だろう。そこへ震災が起こり、番組は当初予定の筋書をはるかに超える壮絶なドラマとなっていった。 震災前の映像で、日本各地から入港した漁船員らが次々に訪れた昔ながらの番台は、震災後の再建でフロントロビーに改装された。 だがロビーのテーブル上には無料で飲めるインスタントコーヒーやお茶、お菓子が満載され、我が家のようにくつろげる。盛漁期は漁船員らが酒盛りを始め、まるで漁師の番屋のようになるという。 そのアットホームな雰囲気はひとえに、「気仙沼の母」と慕われる朗らかなおかみさんと、フランクな人柄のご主人によって作られている。 (左)立派な神棚と、くつろぎのスペース (右)ドラマの主人公、おかみさんとご主人 ロビー式にしたぶん脱衣場は狭くなったが、そこに貼られた「営業時間」が目を引く。 1〜5月の閑漁期は月2回休み。でもそれ以外のサンマ・カツオ盛漁期は無休営業となり、営業時間も広げられるらしい。 ここに、港と一体化した亀の湯の特殊性がある。 (左)脱衣場のお知らせ (右)浴室 浴室も改装されてスッキリしている。奥壁に美保の松原のタイル絵がある。 湯船は2槽に分かれているが、銭湯としては両方とも浅めだ。ご主人に聞くと、震災前は片方が深かったが、再建で天井が低くなって湯冷めしにくくなったぶん、浅くしたのだという。 釜場の壁の天井近くには、津波で浸水したラインがきっちりと残っている。それを眺めるだけで、この銭湯の復活が奇跡であることがわかる。 (左)釜場には「平成二十四年七月八日再開」と書かれている (右)煙突掃除タワシ ここへ来れば風呂に入れる! それは衣食住に次ぐ人間の根源的な願いだ。 復興予算がつかず、私財を投じて再建された亀の湯。地震国日本に住む風呂好きにとって、これ以上にありがたい場所はそうはない。(2013.4.29) |
||||||||||||
このページの頭<激渋銭湯トップ |