『四つの死亡時刻』書評
朝日新聞(1992.12.10)
週刊ポスト(1992.11.13)

◆朝日新聞 1992年(平成4年)12月10日

脳死と移植を問う「四つの死亡時刻」
 1990年8月29日夜、近鉄難波駅で起こった暴力事件。阪大病院に収容された被害者の男性会社員は「脳死」を理由に移植のためにじん臓を摘出された。この事件の経過を裁判や関係者の取材を通じて、市民や弁護士、医師たちが検証した『四つの死亡時刻』(さいろ社)が出版された。
 執筆は「脳死立法に反対する関西市民の会」のメンバーら。市民、阪大病院の看護婦、横山やすしさんの主治医の近藤孝医師もその一人だ。被害者は脳死判定が終わる4日前、「脳死状態」と判断され、脳を守る治療から、「首から下の臓器」を保存する治療方針に変えられていた。脳死がつくられた後、脳死が判定されたというわけだ。
 加害者の会社員(30)の刑事裁判で、「臨床医が脳死だと決めれば治療行為は止めていいのか」という弁護士尋問に対し、司法解剖を担当した法医学教授は「そうあるべきだと思う。脳死判定をして念のために確かめている」と答えた。「形式的セレモニーなのか」という質問に、「はい。医師に信用がないからそうしないといけないのです」と述べている。A5判210ページ。


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◆週刊ポスト 1992年(平成4年)11月13日号

シリーズ グループ1993 緊急報告 第11回
現役看護婦の内部告発から考える
「死の判定」の裏に医師の「臓器移植願望」はなかったか
阪大病院の『脳死裁判事件』を調べ直す


正式な脳死判定のないまま、医師の判断によって「患者」の治療方針が180度転換される。脳への治療が打ち切られ、家族への十分な説明のないまま、臓器がまるで機械の部品のように、切りとられていく……。阪大病院の看護婦や開業医たちの「移植殺人」告発を、法廷での証言をもとに徹底検証したー。

「4つの死亡時刻」が存在する

 ほんの小さな出版社から、重大な問題をえぐる本が、11月初旬に出る。『四つの死亡時刻』。版元は大阪府茨木市にあるさいろ社だ。
 いささかミステリーふうのタイトルだが、副題の「阪大病院『脳死』移植殺人事件の真相」で、見当がつく。脳死からの臓器移植はやはり、まがまがしさを払拭しきれないとみえる。
 “阪大事件”の発端は90年の8月29日夜だった。大阪の盛り場ミナミ、難波駅構内で40才のサラリーマンAさんが、30才の店員Bさんに顔面をなぐられて昏倒。阪大病院にはこびこまれた。しかし、経過がはかばかしくなく、Aさんは9月5日午後6時、心臓がとまった。そのあと、家族が了解したとのことで、腎臓を摘出され、2人の患者に移植された。
 だが、そのまえ、Aさんは脳死を宣言され、奥さんのCさんが、臓器つまり腎臓提供の説明を主治医からうけた。医師側は脳死段階での腎臓摘出を考えた。Aさんは傷害事件の被害者で、このまま死をむかえたら司法解剖の対象になる。その許可を阪大の法医学の若杉長英教授からもとめられ、警察側は「心臓死でなければ」と対立した。
 脳死問題に投じられた現場からの一石として、この事件はマスコミに大きくとりあげられた。けっきょく、脳死での腎臓摘出はならず、心臓死をまって、摘出がおこなわれた。
 以来2年余―。
 もともと傷害事件であったから、Aさんの死は裁判にかけられた。公判では、若杉教授や主治医のK医師が証言台に立った。ところが、彼らの証言がおどろくべき事実をつぎつぎさらけだした。Aさんという1人の人間に、4つの死亡時刻があることがわかった。
 医学の先端技術の産物である脳死患者からの臓器移植に、なんとも解しがたい不条理が横たわっているわけだ。「ぼく自身、臓器移植に反対とはっきりかたまってはいない。反対の立場でも、おもいは人によってちがうでしょう」と、本の編集にあたったさいろ社の松本康治氏。
『四つの死亡時刻』は、1人の著者の作品でなく、脳死立法に反対する関西市民の会のメンバーなどからのコラージュである。それでも、『四つの死亡時刻』は、寄稿者たち共通のキーワードとして、ためらうことなく本の題名にえらばれた。
 心臓死にさきだつAさんの脳死。それは阪大医学部の脳死検討委員会が定めた脳死判定基準によって、宣告された。第1回目が90年9月3日午後7時。第2回目は、その“確認”が義務づけられている24時間後の9月4日午後7時。だが、この2つよりもまえに、最初の死亡時刻がAさんにあたえられていた。
 加害者のBさん側の西川雅偉弁護士は、91年10月31日、カルテのコピーにもとづき、証人として出廷したK主治医に問いかけた。
―9月1日のところに、「臨床的に脳死状態」という表現があるんですけどもね。
「はい」
―「臨床的に脳死状態」ということばの意味ですが、臨床的にと書いておられるのは。
「臨床家として脳死だとおもう、ということです」
 脳死検討委員会が脳死判定するより2日もまえに、主治医は「臨床的に脳死状態」とみていた。では、いったいなんのために脳死判定基準があるのか。
 ―脳死か脳死でないかというのは正にその(脳死判定)基準をもって判断しなければならないという意味でしょう。
「そういう意味ではないですね」
 要するに、基準などどうでもよいわけで、脳死判定基準は、当時大学院生だった、K主治医のこの一言で粉砕された。
 4つ目の死亡時刻は、いうまでもなく心臓死(9月5日午後6時)だった。

「臓器移植と脳死」問題はどう推移してきたか

1968
 札幌医大の和田寿郎教授が日本初の心臓移植。83日間生存。のち、殺人罪で告発(70年不起訴処分)。
ハーバード大学、脳死判定基準を発表。
1971
 フィンランド、脳死容認。
1976
サイクロスポリンA(免疫抑制剤)開発。
1981
 米国大統領委員会、死の判定ガイドライン発表(脳死と心臓死の両方を認める)。
1984
 牧野太平さん、アメリカで心臓移植を受ける(86年11月死亡)。筑波大で脳死者からの膵臓と腎臓の同時移植。告発中。
1985
 厚生省「脳死に関する研究班」が脳死判定基準(いわゆる「竹内基準」)を発表。
1986
 日本法医学会が脳死を容認。
1988
 新潟信楽園病院で脳死者から腎移植。告発中。日本弁護士連合会が日本医師生命倫理懇談会最終報告(脳死を個体死とする)に対して慎重論を表明。杉本裕弥ちゃん、島根医大で日本初の生体肝移植を受ける(90年8月死亡)。
1990
 大阪大で腎移植実施。
1992(1)
 脳死臨調の答申で脳死容認(1月)。

脳の治療が打ち切られた謎

 実は、すでに91年7月15日の証言で、若杉教授が検討委員会による脳死判定を、「セレモニー」と軽視した。
「脳死判定基準は6年もかけてつくったはずです。それがはじめて適用されたわけですが、全然まもられてなかったことになるのでないか。しかも、若杉先生は、判定基準をつくった倫理委員会の副委員長をされてるのに……」
「阪大病院『脳死』と臓器移植の問題を考える会」の武田久子さん(阪大看護婦)から、嘆きと怒りがもれてくる。
 考える会は、K医師証言のあとの11月19日、阪大看護婦労組とともに、倫理委員会委員長の鎌田武信教授(第一内科)と話しあった。考える会の発行した文書によれば、鎌田教授はその席で、 「どんな脳死判定がおこなわれようと、倫理委員会に責任はない。力も権限もない」
「裁判の証言をするとき、若杉教授と話をし、個人の意見なら倫理委員会決定とちがうことを発言してよいといった」
 と、のべた。
 さらに、若杉教授と西川弁護士の法廷でのやりとりを引用する。
―世間のために、世間のしろうとのために、脳死判定をしているというたげの、形式的なセレモニーなのか。
「医師に信用がないから、そういうことをしないといけない」
―形式的なセレモニーということか。
「はい。それぐらいのものでないと困るとおもっている」
 脳死判定とは、極論すれば世間を納得させるために考えだされたにすぎないということで、若杉教授の証言の率直さを評価すべきなのかも知れない。
 ところで、9月1日のカルテに、「臨床的に脳死状態」と記入されていたのは、べつのもっと重大な意味が秘められていたと想像できる。
 9月1日の午前2時から3時のあいだに、Aさんへの治療が180度転回した。それまでのAさんは、脳を保護するためのイソゾールというバルビツール系睡眠薬を処方され、深昏睡状態にあった。最初かつぎこまれたとき、Aさんは呼吸停止、心停止であったが、胸を切開して直接的に心臓マッサージをくわえた結果、自発呼吸がはじまり、四肢を少しうごかす反応が出てきた。治療効果が上がりつつあったわけだ。
 それなのに、午前2時、イソゾールの投与が打ち切られて、3時から、ADH(抗利尿ホルモン)療法に切りかえられた。Aさんには、頭部外傷によるとおもわれる脳浮腫があった。ADH療法をすると、尿の出がわるくなる。さらに3点セットと称して、大量の輸液(点滴)や昇圧剤がくわわる。排尿はいっそうへって、体内に水分が充満し、脳浮腫に悪影響をもたらす。
 水づかりになったことで、逆に、内臓のダメージは小さくなる。この状態をさして、K医師は「首から下の治療」という。脳の治療をあきらめ、首から下へと180度転回した……。
 阪大病院の場合、救急患者は24時間オープンの特殊救急部にはいってくる。ここで気になるのが、特救の杉本侃(つよし)教授が85年に発表した研究だ。いわゆる3点セットをされた患者のほうが、脳死後も臓器が良好に維持され、移植に適したものがえられる。
 9月1日午後3時以降、Aさんは、阪大特救にとって、頭部外傷の救急患者でなく、臓器移植のドナーの候補とみられるようになった。「臨床的に脳死状態」とカルテに記した時こそ、その契機だったのではないだろうか。

阪大“白い巨塔”の威光で…

 大阪府・摂津市にある摂津医誠会病院の近藤孝氏(脳神経外科部長)は、俗説に反して、「脳死は心臓死のあとにくる」と主張する。
「脳機能のすべてをチェックすることはできない。だから、ほんとに脳死判定をしようとおもったら、心停止のあとで、脳機能をチェックするしかないんです。血液循環があるうちは、全部のチェックをすることはできない」
 Aさんは、9月1日正午に脳血管撮影をされ、脳に血流がないことが確認された。そして、午後2時、医師が家族に「脳死状態」とつげた。
 近藤氏によれば、「脳血管撮影は治療行為ではなく、患者を殺すためのもの」である。脳の血管にカテーテル(細管)を何本もさしこみ、造影剤(ヨード)を注入したうえで、連続的に何枚も撮影する。患者には、「雷が落ちたような衝撃をあたえる」という。
 撮影の結果、脳に血流があれば脳死ではないとわかる。脳死だとわかれば、臓器提供の段階にすすむ。そのための検査でしかない。
「Aさんの場合、9月1日午前2時にイソゾールを切って、治療をやめたじゃないですか。それなのに、そのあとで、脳血管撮影をやってる。治療のためではないわけですよ」(近藤氏)
 Aさんへの司法解剖は、若杉教授をリーダーに、実際の執刀は臨床医の手でおこなわれた。心停止直後の9月5日午後6時すぎからだった。
 脳をとりだし、肉眼でみたり、手でさわったりしながら、Aさんの脳は脳死後4〜5日たっていると若杉教授は判断した。「脳をとりだすときのたれ下がりぐあい」との表現も、法廷の証言ではなされた。しかし、弁護士からの質問に答えて、客観的なものさしは示さなかった。経験を強調することに終始した。
 脳死におちいった脳は、時とともに組織が崩壊してどろどろになると、よくきかされる。若杉教授のいう「たれ下がりぐあい」は、俗耳にうけいれられやすかろう。
 近藤氏は、その点に異をとなえる。
「どろどろになる脳とならない脳とがある。しかも、それは事前にはわからない」
 解剖所見によると、Aさんの脳には軽度のクモ膜下出血がみられるだけで、たいした損傷はなかった。この程度の傷害で、人は死にいたるものかどうか。若杉教授の書いた鑑定書は十分でないと、弁護士が脳外科医による再鑑定をもとめ、裁判長はそれを認めた。
 新たな鑑定人の選定が難航し、訴訟は昨年12月以来、中断している。難航した理由のひとつは、京大とともに西日本に君臨する阪大の“白い巨塔”のプレッシャーだろう。阪大をむこうにまわす勇気のある専門家が、医学界では容易にみつかるまいとおもう。
 学内の世論は、若杉鑑定書の不採用で、微妙に変化したようだ。“阪大事件”の追及に立ちあがったのは、少数の看護婦がつくる前記の考える会だった。
「鑑定書があかんかったときいて、『やっぱりなにかあるのかなァ』と、耳をかたむけてくれる人がふえてきましたね」と、考える会代表の橋岡剛子(つよこ)さん。
 大胆な推理も成りたつ。Aさんは致命傷をうけなかった。しかし、主治医がADH療法に切りかえたため、脳死におちいり、やがてレスピレーター(人工呼吸器)をはずされ、心臓死になった……。 「私たちは、脳死や臓器移植賛成の人ともいっしょに、けんめいにはたらかなければならない。『阪大にいったら臓器とられる』といわれるのはたまりません。しかし、市民の人がそうおもうのも仕方がない。おもわれるのがいやなら、いやだからこそ、当局がほんとのことを説明すべきなのに、していない」(橋岡さん)

家族への説得は十分だったか

 阪大病院は、来年9月、70年におこなわれた万国博跡地に移転することになっている。すでに建物はあらかた完成した。新病院の目玉は、ハイテクの重装備をきわめたインテリジェント・ホスピタルである。
 もうひとつは臓器移植体制の完備だ。おそらく全国で唯一となるだろうが、屋上にヘリポートがもうけられ、分秒を争う移植用のスタッフや臓器の輸送にそなえる。
 ソフト面では、移植をスムーズに実施するため、臓器制御部門なるものをもうけ、従来は心臓、肝臓、腎臓というふうにばらばらに教室にいる医師、看護婦、移植コーディネーターをひとつにまとめようとの案などが、目下検討中ときく。巨費を投じて完成したあかつきには、少なくとも西日本における移植医療センターとなるだろう。
 新病院への移転のまえに、臓器移植を花々しく成功させて前景気をつけるか、あるいはこけら落としのイベントに位置づけるか……。
 Aさんの主治医らは、9月1日午後2時、2日午後2時、3日正午の3回にわたり、家族に対し「Aさんは脳死状態」と説明した。しかし、この時点では、K主治医が「臨床的に脳死状態」とカルテに書いていただけで、脳死検討委員会の脳死判定はまだはじまっていない。そのような「脳死状態」を、主治医は3日間毎日、家族に話していたのだ。それでも、家族にとっては、心理的には大きな負担だったとおもわれる。
 その後、9月4日に脳死判定が出た。しかし、脳死のAさんからの腎摘出は、前述のように警察にはばまれ、翌5日、レスピレーターが切られて心停止。心臓死のAさんから、腎臓がとられた。
 この“阪大事件”を報じたマスコミは、Aさんの奥さんのCさんが、喜んで夫の腎臓提供に応じたと報道した。しかし、私のえた情報では、そうでない。Cさんは主治医らに説明されて提供に応じ、いまはむしろそのことを悔んでいるらしい。
 人間の気持ちは時とともにかわることがある。だが、この場合、そのような一般的な心理のうごきによるのではなくて、“阪大事件”の問題点に、Cさんが知識と認識を新たにしたからではないか。  ADH療法を開発した杉本教授は、91年9月の日本移植学会で臨床に応用した結果をも発表。脳死期間の長い臓器提供者からの臓器のほうが、脳死後間もない臓器よりも術後の結果がよいことをしめした。そして、同教授は、『毎日新聞』(91年9月20日付夕刊)紙上に、「時間をかけたより慎重な脳死判定ができ、また、家族も脳死をうけいれるための時間をながくもて、臓器提供者の機会がふえる可能性がある」とのコメントも出した。
 杉本教授の阪大病院特救にいれられたAさんは、9月1日午前3時から心停止の5日午後6時まで、4日半以上のあいだ、“水中毒”状態におかれた。そのあいだ、家族は3回にわたって、主治医らと脳死を話しあった。
 公判の証言では、「最初から、やるんだったら死体腎移植というふうに考えていた」と、K主治医はのべた。しかし、ADH療法のつづくかぎり、時とともに臓器の状態がよくなるのなら、杉本教授のコメントにあるとおり、K主治医は家族をじっくり説得できたのではないか。死体腎でも脳死腎(?)でも、たいしたちがいはなかろう。

「美談」に酔ってはならない

 若杉教授とK主治医にはコメントをもとめたが、若杉教授は、「どんな本が出るかわからないし、これまでの報道の多くは、言葉尻をとらえるばかりで、私だけでなく、被害者の家族も迷惑しているだろう」とガードを固めた。K主治医からは、コメントを得られなかった。
 栃木県益子町に住む陶芸家の小川晶子さん(44)のケースは、Aさんのケースとはちがい、本人が生前からアイバンクと腎バンクに登録し、臓器提供の意思表示をしていた。
 去る10月9日、小川さんはスズメバチに刺され、蜂毒のためショック状態におちいって、意識不明となった。かかりつけの同町の西明寺普門院診療所で手当てをうけた。症状はいったん回復したものの、心臓が一時停止していたことの影響で、脳の機能は完全にはもどらなかった。
 普門院診療所の田中雅博医師によれば、「14日の午後3時に、ご家族のまえで検査をして、これまでの経過から見て呼吸も心臓も回復の見込みなしとお話ししました。その検査とは、脳幹反射の検査です」。
 このとき、田中医師は家族から、小川さんに臓器提供の意思があること、日本尊厳死協会の会員であることなどをはじめて知らされた。
 日本尊厳死協会のいう尊厳死とは、末期がんや植物人間となった患者に、いたずらに延命措置をつづけないで、むかえる死をさす。
 弟の深井純一・立命館大学教授が、姉に対してとった措置を説明する。
「尊厳死よりも他人を救うことができる臓器提供のほうを優先したわけで、臓器のひきうけ先がきまるまで延命措置をとりました。これは、いたずらに生命を生きながらえさせることにはあたらないとおもいます」
 田中医師がレシピエント(臓器のうけ手)をさがしまわって、神奈川県のある大学病院に、左右2個の腎臓がはこばれていった。そのまえに、人工呼吸器がはずされ、小川さんは心臓死をとげた。
 最初の報道では、脳波の測定もせずに、医師が小川さんを見はなしたといわれた。だが、田中医師は「脳死判定をしたわけではないのだ」といい、この議論は平行線をたどる。厚生省による脳死判定基準は、田中医師の念頭になかったとおもわれる。
 アイバンクや腎バンクへの登録者はかなりいても、彼らの死後、角膜や腎臓を実際に提供する人はわずかしかいない。家族が登録の事実を知らないことが多いし、知っていても家族が反対して、故人の遺志を生かそうとしない。
 小川さんの場合も、母が27年前に世を去ったとき、家族の1人が反対したため、献体の手つづけをとっていた母の気持ちを無視してしまった。その二の舞をふむまいと、肉親が小川さんの遺志を尊重したという特殊事情があった。
 世間には、移植臓器の需給のアンバランスがひどいとの共通認識がある。それに照らせば、小川さんの件はたいへんな美談である。感動した田中医師は、さっそく腎バンクに登録した。移植医療の壁が多少なりともこえられるのではないか―希望的観測が日本列島にただよう。
 反面、はたして臓器摘出をするにあたってどの時点で「死」を判断するのかなど、議論の余地もあるのではないか。
 小川さんのテーマには、“阪大事件”のような構造的で組織的な矛盾や不条理はないだろう。だが、美談に酔うあまり、“阪大事件”を忘れてしまってはなるまい。

●取材と文・平澤正夫(ジャーナリスト)
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