ちぎれそうなところ
富岡(とみおか)(熊本県天草郡苓北町) 2010.1.4
天草下島の北西端に、なにやらトンボロらしき特徴的な地形を見つけた。

 
(左)富岡の位置(赤印)     (右)天草灘周辺(赤印が富岡)
 地図を拡大してみよう。

 赤線は歩いたルート

 こいつはもう、どう見てもバリバリのトンボロでんがな。

 トックリ状に膨らんだ根元からスーッと砂州が伸びて島をつかまえておるではありませぬか。しかもトンボロを貫いて国道324号線が走り、いちばんクビレたところがしっかりと町になっているようす。
 これこそトンボロの町といわねばなるまいて。
 でも陸繋島の標高が低いから、ダイナミックな鳥瞰を得るのは難しそう。
志岐

 天草下島南端の牛深から路線バスを3本乗り継いで西海岸を北上すると、前方に白い火力発電所が見えてくる。
 その向こうにうっすらと浮かぶのは・・・沖合いに浮かぶ島と、そこへつながる平べったい陸地。

 右のほうに発電所、その左に伸びている

 そう、トンボロでございますね!

 やがてバスは志岐という町に着く。ここは苓北町の中心地で、山ばかりの天草には珍しく2本の川によって沖積された平野が広がっている。
 バスはこのままトンボロを渡って陸繋島の付け根にある富岡港まで行くが、砂州の付け根から歩きたいのでここで下車した。

 
(左)志岐の町。左端がバス待合所   (右)変わった地蔵堂がある
 
 
(左)志岐の平野。地形図では水田だが畑地に転換済み   (右)三会川を渡ってトンボロ方面へ

 志岐川を渡り、八幡神社などに寄りながらぶらぶら歩いていくと、今度は三会川という川の河口近くを渡る。
 地図によるとこの川の河口で平野はいったんくびれ、そこから陸地がトックリ状にふくらんで、その先の細い首の部分がトンボロのようだ。
 ちょっとおもしろい形になっているけど、どういうことかな?
虐殺の跡

 三会川を渡ってトックリ地形に進入した。

 前掲の拡大地形図をよく見ると、このトックリ型の南西側には標高15mほどの丘がある。「富岡吉利支丹供養碑」と書かれているあたり。学校マークもある。
 この丘は火力発電所のあたりから海岸沿いに連なる微高地のようだ。昔は細長い岬の先端だったのかもしれない。
 志岐の平野は、この細長い岬と天草下島との間の海に、川からの土砂が溜まってできたのだろう。

 
(左)トックリ地形の北側平野部は畑として利用されている   (右)南西側の丘と平野部の間には市街地が続く
 
 
(左)富岡教会   (右)富岡港へ続く国道324号線

 富岡教会の前で国道324号線に出た。これは陸繋島にある富岡港へ行くための国道で、港で行き止まりになっている。富岡は天草と長崎を結ぶ重要港なのだ。
 地図によると、富岡吉利支丹(キリシタン)供養碑はこのあたりだが・・・。

 それは国道から少し外れた住宅地の中にあった。
 日本史上最大の一揆となった1637年の天草・島原の乱では、討ち死にしたキリシタン一揆軍の首1万あまりを3分割して埋めた。そのうちの一つがこれなんやと。

 
(左)富岡吉利支丹供養碑   (右)謎の文字がシンボル

 乱のあとこの地は天領となり、供養碑はその初代代官が建てたものらしい。
 この下に3000もの首が埋まっているかと思うと、なんともぞっとする。自然に手を合わせてしまう。

 供養碑から離れ、住宅地を抜けてトックリ平野を進んだ。


トックリ平野部。左の住宅地のさらに左方に丘がある。正面方向の先がトンボロへと続く

 上写真の左に見えている住宅地から南西方向、標高15メートルの丘を見たのが下の2枚の写真。

 
(左・右)緑に覆われた部分がその丘。上には学校がある

 この丘が本島部分から続いている以上、ここはまだトンボロとはいえないな。
 でも進むにつれて、丘は低くなってくる。
小島の跡

 丘を左手に見ながら進み、やがて丘がほとんど姿を消したかと思われるあたりで、今度は右手にこんもりとした別の小さな丘が現れた。昔はポツンと浮かぶ小島だったのだろう。
 前掲の地形図では、お寺のまんじマークがあるところ。

 
(左)トンボロへ向かう道を右に折れて小さな丘へ   (右)丘の麓で東側の海に出た


堤防から陸繋島方面を見る。東側の海(富岡湾)は遠浅でおだやか。海岸沿いには松林が続いている

 地形図によると、この遠浅の海は茶色いテンテンがついている。これは干潟記号だ。
 なるほど、わかったぞ。
 さっきの学校のある丘とこの小島とがL字型に囲む部分に溜まった砂、それがこのトンボロ根元のトックリ平野なのだな。

 小さな丘は北側に階段があり、登ってみるとてっぺんに富岡神社があった。
 その脇には、さっきのキリシタン供養碑を建てた代官・鈴木重成の供養碑がある。鈴木重成は乱後の窮民を救うために年貢の軽減を幕府に建言したといわれる、徳の高いお代官様であったらしい。

 富岡神社拝殿、きれいに手入れされている
 
 富岡神社がある丘の北側にまわると、そこから先は陸繋島まで続く平たい土地が続くのみとなった。
 まっすぐな道の両側に家々が立ち並んでいる。地図を見るとこの先はまさしくバチ状の狭い地峡帯になっている。
 ここからがいよいよ正真正銘、トンボロの町だ!

 やっと来たトンボロちゃん
トンボロ集落
 トンボロ部分拡大

 左右を海に挟まれた狭いトンボロ内は、ひっそりと静まり返っていた。
 まっすぐに並ぶ家々はわりと古い木造家屋が多い。

 
(左)趣のある朱色の瓦の家   (右)富岡トンボロの中心、ピカピカの富岡公民館   

 右上写真が、このトンボロで唯一といっていい近代的な建物だ。正面に「海抜4メートル」と書いてある。
 この先、トンボロは最も狭くなる。
 狭いところを2本の舗装道路が走っている。上の写真の道は、トンボロ内部のメインストリート。これとは別に、西岸の堤防上に国道がある。

 左下写真はメインストリートから堤防方面を見たところで、土地が少し高くなっていく様子がわかる。
 右下写真は逆に東岸側を見たところ。左右に走るメインストリートのすぐ先、正面の2軒の家のスキマから東岸の松林がのぞいている。

 
(左)トンボロ西岸の堤防方面を見る   (右)東岸の松林を見る   

 つまり、これがトンボロの幅だ。100mちょっとしかないぞ! ほそーい!
 西岸の堤防へ上がってみよう。

 
(左)西岸の堤防へ続く階段   (右)階段を上がった堤防台地にも道がある   

 
(左)堤防台地からトンボロ低地を見下ろす   (右)堤防上の国道   


堤防から見た西岸。左が天草下島方面、右が陸繋島方面

 おだやかな東岸とは違って、ここ西岸には天草灘からの風浪が直接打ちつける。だから堤防は東岸よりも高く、真新しく整備されていた。石積み護岸によって砂浜はほとんどなし。
 しばらく海を見てからトンボロ内に戻り、さらに陸繋島へ向かって進む。


 
(左)堤防上と堤防下の建物の高低差がわかる   (右)堤防を下りると、トンボロ中央部に井戸があった   

 
(左)角に木の茂った素敵な家   (右)陸繋島(正面)が近づいてきた   

 トンボロ内唯一の商店

 ちなみに、上の拡大図によるとこのトンボロ内には「林芙美子文学碑」や「頼山陽詩碑」があるはずだが、このときは気づかなかった。
 文人が訪れる、詩情をさそう風雅なトンボロであったのか。
切断トンボロ
 富岡神社北側の門から陸繋島の付け根まで、距離にして600mほど。
 これがこのトンボロの長さといえる。
 ウロウロしながらでも、あっという間に終わってしまう。

 トンボロ終点、すなわち陸繋島の付け根に至ると、目の前にいきなり城の石垣が現れた。
 案内板によると、これは陸繋島の高台にあった富岡城の大手門跡の石垣らしい。
 そしてこの前の道路は、かつての外堀の跡だ。

 ということは・・・つまり右下写真のように、かつて城の防衛のためにこの位置でトンボロを掘削して切断し、城のあった陸繋島を離島にしていたというではないか。

 
(左)大手門前の石垣   (右)トンボロ切断図。肌色の部分が富岡トンボロ

 このトンボロ切断工事は、天草・島原の乱の直後、1638年6月から行なわれたっちゅー話。
 乱では一揆軍のトンボロからの攻撃に対して無防備に近い状態だったらしい。それを反省してこのように切断し、境目の海岸に石垣を築いてトンボロから攻められないようにした。
 案内板には、
 「これによって富岡城は天草下島から切り離され、太古に島であった状態になりました」
 と書かれている。

 富岡トンボロは、天草四郎率いるキリシタン一揆軍の突撃路でもあったのだな。
 そのとき幅100mちょっとしかない狭いトンボロ内は、どんなありさまになっていたのだろう。逃げ場のない砂州の中で、ここに住んでいたであろう一般民たちは、いったいどうなったのか。

 大手門跡を右へ回り込むと、じきに富岡港だ。
 このあたりには立派な家が多い。富岡城下の武家屋敷だったのかもしれない。

 
(左)大手門東側、港へ通じる道沿いの家々   (右)港の駐車場から、富岡城跡が見える

 ちょうど長崎の茂木港行きのフェリーが出る時刻が近づいている。
 でも俺にはもうひとつ行きたいところがあった。右上写真の富岡城跡に立つビジターセンターだ。この陸繋島は標高が低いためトンボロ地形を高いところから鳥瞰するのは難しいが、それでもこのビジターセンターからはトンボロ特有の美しい景色がある程度は見えるらしいのね。

 しかしそのときにわかに空が掻き曇り、雨が降り始めた。しかし俺は傘を持っていない。傘なしでビジターセンターを往復するにはちょっと厳しい降り方だ。
 そしてフェリー出航の時刻は迫っている。これを逃すと次は3時間後。傘なしで3時間はツライのではないか。それに次の船だと日はとっぷり暮れて真っ暗で景色を楽しむこともでけへんぞ。でもせっかくこんなとことまで来たんだし・・・。
 くよくよ迷っている間に汽笛が鳴る。あーもう、ビジターセンターから景色を眺めるのは次回のお楽しみだっ!

 俺は雨に負けて船に乗った。軟弱だ。
 船に乗ったとたん、雨がやんだ。いつものことね。とほ〜〜。

 船からは、いま歩いてきたトンボロがこんなふうに見えた。


左のほうが志岐、松林はトンボロ東岸

 ところで、冒頭の地形図に戻っていただくと、富岡港の東側をぐるっと守っている砂嘴がある。こいつも気になるじゃないか。
 船から観察した。

 右に延びるのが砂嘴

 先端部拡大

 そんなわけで、俺は近いうちにまた富岡を訪れることになるだろう。それもまたよし、だ。
 おしまい。 (2010.12.10)
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