ちぎれそうなところ
宇久井(うぐい)(和歌山県那智勝浦町) 2009.1.16
紀伊半島の地図を眺めているとき
熊野灘沿岸、勝浦と新宮の間に
宇久井というトンボロチックな場所を見つけた。

さっそく行ってみた。

 
まずは高いところから
 地図を見ると、南北に長細い島が、東西にのびた砂州で紀伊半島本土と結ばれているように見える。砂州は「上地ノ浜」という名前で、そこに「里」という集落が乗っているようだ。
 そういえば「日本3大トンボロ」の一つである鹿児島県甑島のトンボロ集落も「里」だぞ。

 旧島の部分には北寄りに国民休暇村があり、中央部に57.6mの三角点ピークがある。そのどちらかに登ったらトンボロの状況が見えるのではないか。
 旧島の丘へは、砂州南端部からナナメに登って行く車道がつけられている。まずはそれを登ってみた。

 すると、丘の上に「宇久井ビジターセンター」という真新しい立派な公共施設が立っている。環境省が平成18年に設置した、吉野熊野国立公園の拠点施設のようだ。
 内部はピカピカで、この地域の自然林や海岸動植物などの資料が展示されている。

 
(左)宇久井ビジターセンター内部   (右)センター掲示の地図拡大

 若くてかわいらしいスタッフの女性2人が出てきて応対してくれた。
 すると、57.6mの三角点ピークの位置に新しく展望台を作ったばかりで、そこから砂州が眺められるとおっしゃる。国民休暇村のほうは建物内部に上がらないと見えないらしい。

 そこで教えられた通りに行くと、材木を組んだ展望台があった。そこから見たのが冒頭の写真だ。
 これはまぎれもなくトンボロだ。
 ただし、右側(北岸)の浜は砂州らしい曲線を描いているが、左側(南岸)は明らかに人工的に造形され、中央の道路より左は不自然な空き地が目立っている。埋立地だな。

 
(左)展望台から見たトンボロ砂州部分の市街地拡大   (右)埋立地部分と丘陵地開発(左上部)

 埋立地の遠方に、これも明らかに山を削って造成された台地上の住宅地が見える。おそらくは、あそこを削った土砂でトンボロ南岸を埋め立てたのだろう。
 俺が住む神戸でイヤと言うほど繰り広げられているパターンだが、こんな辺鄙な地方でも、美しいトンボロ砂州の景観を壊すかたちで行なわれているのは残念だ。

 ビジターセンターに戻ってさっきの女性スタッフに聞くと、埋め立てがいつ、どういう目的で行なわれたのかはここに資料がなくてよくわからないという。
 「丘陵地のニュータウンにはどういう人が住んでいるのですか」
 「地元の人ではなく、おもによそから来た人たちが住んでいるようです」
 「埋立地にも家が見えますが、そこには誰が住んでいるのですか」
 「あそこは地元の人たちです。若い人たちが結婚して家を建てたり」
 「空き地が目立ちますが、あそこはどういう用途に?」
 「・・・ちょっとわかりません」

 あれ、なんか詰問調になってるか俺? もしかしてS?
 んなことはどうでもよろし。
 ちなみに、帰ってから宇久井ビジターセンターのHPを見たら、「宇久井半島の成り立ち」というところに昭和35年ごろのトンボロ写真が載っていた。
 いやー、これはかなりの幅の狭さだ。現在は砂州の幅は350〜400mくらいだが、当時はおそらく一番狭いところは200mなかっただろう。つくづく埋め立てが残念。

 「地元のおばあさんらに聞くと、昔は家の前から裸足でちょっと走ったら、こっちの浜へあっちの浜へと遊びにいけたそうです。当時は南の浜もアサリなどの貝がざくざく出たらしいですが、沖の白須鼻と鍋島の間に防波堤ができてからはほとんど獲れなくなったようです」

 彼女らが見せてくれた宇久井の村史によると、江戸期以前には何度か津波被害に遭っている。これだけ幅の狭い砂州だと、いとも簡単に大波が乗り越してしまったことだろう。
 でもここ100年以上は大きな被害の記録はないようだ。

 かつて砂州の住民はこの旧島の麓や丘の上を畑地にして耕作に通っていたらしい。その後放棄されて荒地になっていたのを、この半島の自然の美しさを知る地元民らが中心になって整備し、このセンターが建てられることになったということだ。
 半島の北部にはシイノトモシビタケという光るキノコが自生しており、梅雨時の夜には光のじゅうたんのようになるという。ビジターセンターで定期的に観察会が行なわれている。

 ビジターセンターをあとにして丘を下った。
 旧島と砂州の付け根の南端には神社の跡地がある。大波で社殿がさらわれたらしい。

 
(左)波にさらわれた神社跡   (右)神社の石垣と海岸線

 ここからは砂州の集落を行ったり来たり歩き回ったけど、ウロウロしすぎて道順どおりに書くとワケわからんので、以下「西岸」「東岸」「砂州内部」と分けて書くことにする。
西岸(埋立地)

 神社跡から本土方面(北西)を見ると、正面に例の埋立地が広がっている。これをたどってみよう。

 
(左)かつてここはアサリの湧く砂浜だった   (右)砂浜は消滅

 
(左)埋立地南部は一部が新興住宅地になっている   (右)その隣は荒地が広がる

 
(左)アサリの浜は遠くなった   (右)かつての港湾施設がそのまま放置されている

 
(左)砂州の北端。ここが本来の本土末端部   (右)旧島方面を振り返る。道路の左側が本来の砂州。右は埋立地

 砂州西岸の北端に港あり。漁協もある

 トンボロ砂州というものは本来、左右の砂浜が弧を描いて湾入して三味線のバチ状になるので、中央部分の幅が最も狭くなるのが普通だ。
 だが宇久井は西側の浜が埋め立てられたため、本土側の付け根にあるこの漁港部分で幅が一番狭くなっている。地図で見ると350mくらい。

 写真の通り、埋立地の大部分は利用されていない。
 しっかりした計画もなく、単に余った土砂を海に投げ込んだだけの、高度成長期やバブル期にありがちな荒っぽい埋め立てだったと思われる。
 日本列島のかけがえのない美しい地形が無造作に破壊されてしまうことへの人々の関心の低さは、すなわち地理という分野に対する関心の低さを表している。

 俺はここでいきなり反省した。
 今後、「地理オタク」と称するのはやめることにする。オタクの世界観は閉じている。アニメキャラ分野なんかは閉じていたって全然かまわないが、地理は閉じてはいけない。
 地理が好きだという人間の数はごく限られている。それだけに、地形風物を愛する変態としてその貴重さ、美しさ、おもしろさを世間に広くアピールし、人々の関心を惹起するという地球規模の責務が課せられていると考えざるを得ない。
 でないと日本列島の宝がどんどん消滅してしまうのだ。

 俺は今日から宗教団体「幸福の地理」主宰・松本まっちゃん松ノ介だ。
東岸(上地ノ浜)

 宗教団体「幸福の地理」主宰・松本まっちゃん松ノ介は、砂州の東の浜に移動した。
 ここは地図によると本来の美しい弧状の砂浜で、「上地ノ浜」と書かれている。ということは、さっきの西浜は埋め立てられる前は「下地の浜」だったのかもしれぬ。

 上地ノ浜と集落との間には、真新しくがっしりとした堤防が築かれていた。旧島寄りの地点で堤防に登り、本土方面を見たのが下の写真だ。

 東岸の堤防

 なんかここも大規模な工事が行われているぞ。波打ち際にはテトラポットがぎんぎんに置かれ、テトラと堤防の間には運び込まれた土砂で埋められている。ここはたしか海水浴場のはずなんだが。
 沖に視線を移すと、左右から伸びた防波堤が小島とつながって、湾口を遮っている。開口は中央の一部だけだ。


東岸堤防から湾口を見る

 上写真、左手前のテトラが切れたところから右側は自然の浜辺になっているが、砂は少なく、丸い石に藻がへばりついているのがおわかりだろうか。
 住む人や漁港の安全を考えると、防波堤も必要だろう。しかしそれによって潮流は堰き止められ、砂州への砂の供給が途絶えて、浜は痩せ細る。砂と違って動かない石には藻がはびこる。
 そうなると海水浴場としてはもうダメだ。それでなくても近年、砂防ダムの作りすぎで海に山の砂が流れてこなくなって、どこの砂浜も痩せていく傾向にあるのだが。

 そして痩せていく海岸線を維持するためには、より丈夫な堤防を築き、テトラによる防御と土砂搬入によって浜を保護しなければならなくなる。
 世界中どこでも、人間の安全や利便と引き替えに自然がどんどんグロテスクに改変されている。この小さなトンボロもまたその小さな1例にすぎない。

 堤防の内側には道路があり、その内側に集落がある。集落のきわにはしっかりとした石垣が築かれている。かつてはこの石垣からそのまま砂浜になっていたのだろう。
 それは確かに危険な住環境であったに違いない。だが俺のトンボロの町への関心は、そういう場所にも人が住み町を作るという人間の営みの奥深さに起因している。自然の改変を軽々に批判できない難しさがここにある。

 東岸に平行するしっかりとした石垣


上地ノ浜の北端にも港あり。正面の丘の上の中央付近にビジターセンターがある
砂州内部(里)
 宗教団体「幸福の地理」主宰・松本まっちゃん松ノ介は・・・この名前、長いな。やめよう。それに俺はよく考えたら宗教団体は嫌いなんだった。
 よし、偉大なる「さかなクン」を見習って、俺は今日から「チリクン」だ。チリの首都はサンチアゴだよチリチリ。

 でそのチリクンは、次に「里」と呼ばれるトンボロ集落の内部に潜行した。

 
(左)砂州の住宅地(道路の左側)に侵入する。   (右)素朴な散髪屋がいい感じ

 
(左)狭い路地が続く   (右)ウバメガシの生垣が多い

 
(左)少し進んでゆくと・・・   (右)もう反対側の東海岸に出ちゃった

 集落内は狭い路地が縦横に走っており、どの家もきちんと剪定された生垣が美しい。路地にチリ一つ落ちていない、典型的な日本の清潔な田舎集落だ。
 砂州を横切るかたちで集落内を歩くと、あっという間に対岸の海に出てしまう。これがトンボロ散策の醍醐味だ。

 
(左)砂州内に明らかな段差がある(本土側を見たところ)   (右)段差の下側には畑がちらほら

 上写真のところで思わず足が止まった。砂州内に土地の高低がはっきりとある。1mほどだが、東側、つまり上地ノ浜側が高い。なるほど、上地とはそういう意味だったのか?
 厳しい熊野灘に挟まれた狭い砂州内で、かつては1mの段差が持つ意味は小さくなかっただろう。

 どこもきれいに手入れされている美しい集落だが、下写真の路地だけ、石垣がナナメになって窪んだり盛り上がったりしていた。俺はこういうところのほうに魅かれる。

 
(左)丸みのある石を積んだぐねぐねの石垣。おもしろい   (右)ぐねぐね石垣が90度カーブする

 
(左)全体としては石垣よりも生垣が目立つ   (右)再び上地ノ浜の高い石垣

 最後に、JR宇久井駅はトンボロ付け根の出見世という場所にある。
 砂州内には、埋立地にうどん屋が1軒、集落入口に散髪屋が1軒あっただけだが、鉄道と国道が通るこちらには数件の飲食店や郵便局、警察などがある。
 地名からして、砂州の「里」から本土側の「出見世」へと、交通事情の変化に伴って村落の中心が移っていったのかもしれない。

 
(左)宇久井駅、心霊スポットとして一部で有名らしい   (右)駅前にも真新しい案内板がある


駅構内の跨線橋から宇久井半島方面の眺め

 ちなみに、宇久井半島の北端には、マリンエキスプレスという会社が運航する長距離フェリーが寄港する「那智勝浦フェリーターミナル」があった(冒頭の地図参照)。川崎→那智勝浦→宮崎という、ちょっとふしぎな航路だったが、2005年6月をもってこの路線は廃止された。現在、フェリーターミナル跡は立入禁止になっている。
 浜の埋め立ては、その航路があったがゆえの投資だったのかもしれない。そして真新しいビジターセンターの設置は、もしかしたらその航路廃止の見返りという側面もあるのかもしれない。

 いずれにせよ、自然観察と教育を目的とするビジターセンターができたことは喜ばしい。同センターが中心となって、少しずつ宇久井の自然環境が回復されることを、・・・えーとなんだっけ、そうそう、チリクンは願うのであった。

 おしまい。
このページの頭トンボロの町へちょっとした旅ホーム