県庁所在地シリーズちょっとした旅ホーム
チープ&ディープな男の旅路・県庁所在地シリーズ

長崎

---坂と港と男と女---

(2008.4.9〜10)

(その2)


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↓(3)失われた華僑の町・・・唐人屋敷(このページ)
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(3)失われた華僑の町・・・唐人屋敷

 崇福寺から坂道をぶらぶら〜っと下りてゆくと、賑やかな繁華街に出た。
 このあたりが長崎の中心商業地のようだ。

 
(左)観光通り   (右)浜町アーケード

 アーケードを抜け、小さな店でチャンポン食ってさらに南へ歩くと、中華街が現れた。

 こじんまり

 長崎の中華街は神戸や横浜のに比べるとずいぶん小さいが、歴史はいちばん長い。ここは江戸中期に中国からの積荷を保管する倉庫のために海を埋め立てて作った土地で、新地と呼ばれている。

 江戸時代には、オランダ人が出島に押し込められていたのと同じように、中国人は山手の「唐人屋敷」という一角に押し込められていた。屋敷といっても1軒のお屋敷ではなく、一つの町を形成していた。
 なにせ当時6万人だった長崎の人口のうち1万人が中国人だったというからな。

 街角の案内板によると、その唐人屋敷がすぐ近くなので行ってみた。

 広馬場商店街という名のだらだらとした坂を登ってゆくと、右手にボロイ市場があり、正面に中華風のお寺みたいなのが現れた。もうこのあたりから唐人屋敷が始まっているようだ。現在は「館内」という町名になっている。
 1万人の町だったというから当時はさぞや賑やかだったのだろうが、いまは静かで、寂れたケハイが漂っている。

 
(左)れんが塀   (右)門をくぐると池があり、橋を渡って本堂へ。台湾でもよく見かけた造り

 
(左)土神堂だと? 土神って何や? はじめて聞いたけど   (右)小さな像がある・・・

 これが土神だっ!

 土神は金色のハゲたじじいだった。なんかしらんが、中国の神様なのだろう。

 土神堂の右手に鉤型の狭い路地があったので侵入してみた。
 すると出たぞ、銭湯だ!

 
(左)丸金温泉、なかなかの風情じゃありませんか   (右)中華風の装飾があるが・・・

 渋いロケーションだが、中華風の装飾は明らかに最近貼り付けたペラペラのプラスチック板で、やや興ざめ。
 暖簾は出てないけどすでに営業が始まっているようで、一風呂浴びたい誘惑に駆られたが、まあもうちょっとこのあたりを歩いてみよう。

 商店が連なる狭い路地

 丸金温泉の先の階段を登ると狭い路地に商店が連なり、まるで台湾の裏通りのようだ。
 まもなく右手に橋が見えたのでその川を渡ってみると、やや雰囲気の異なる石畳の道があった。いい感じだが、こっちはフツーの日本の町だ。

 なかなかいい感じ

 唐人屋敷は堀によってその外と区切られていたらしいが、どうやらさっきの川がそれのようだ。
 再び橋を渡って元へ戻り、奥へ進むとまたレンガ塀の廟が現れた。

 
(左)天后堂、とある   (右)ということはまぎれもなく・・・

 
(左)出ました天上聖母   (右)まそちゃんです

 
(左)その右手にはヒゲもじゃらの赤ら顔   (右)誰か知らんけど・・・もしかしたら関羽かも

 
(左)ほなこれはアル中の張飛?   (右)何を怒ってらっしゃるの?

 
(左)例によって船の進路を探る媽祖のしもべ   (右)これは・・・焼け焦げた媽祖像か?

 台湾の媽祖廟はこれでもかーというほどハデハデしかったが、それに比べるとそっけない堂内にポツンと置かれた媽祖たちはちょっと寂しそうだ。

 天后堂の裏手には、唐人屋敷を囲む堀の一部が残存している。

 いちばん山側の堀(唐人屋敷の南端)

 唐人屋敷に住んでいた中国人らは、開国を機に港に近い新地中華街に移り住んだ。ゴーストタウンとなった唐人屋敷は明治3年に焼失し、その後市民に分譲されたっちゅーことだ。
 今はフツーに長崎市街地の一部になっているが、やはり町の様相が他とは異なる。歴史のオーラがそこはかとなく残っているな。

 南端部にある市営住宅のエレベーターは一般開放されている。それで上へ上がると、そのまま唐人屋敷を一望できる東側高台に出られるらしいので、登ってみた。

 
(左)エレベーターで上がると崖上の狭い路地がある   (右)路地を行くと、唐人屋敷を見渡せた

 こうやって見ると、唐人屋敷は高台と高台に挟まれた谷間に広がっていることがわかる。右上写真でいうと、すぐ下の屋根から、左端のオレンジ屋根の家あたりまでがその東西の幅だ。

 
(左)向こうの丘の上に素敵な洋館がある   (右)そのへんにいたおばさんに聞くと、海星高校だそうです

 うねうねと起伏の多い丘がすべて街に覆われている。芦屋や西宮にも似たような感じのところはあるが、それよりもっと雑然とした感じがおもしろい。アジアっぽい景色というかね。

 崖下へ降りてゆく急な階段を伝って、再び唐人屋敷内へ。

 
(左)下ったところに木造4階建てがある   (右)家だらけの丘の眺め

 土神堂のあたりまで戻り、唐人屋敷の中心部にある福建会館へ行ってみた。ここも明治期に焼失したあと再建されたものらしい。
 会館というから公会堂みたいな建物を想像していたが、ここも寺のような感じだ。
 あとで調べたら、本館は原爆で倒壊してしまったとのことだ。

 
(左)福建会館は小さな丘の上にある   (右)山門の奥にまた階段があり、その上に本堂がある

 
(左)おや?   (右)またもや媽祖廟だった

 
(左)まそちゃん   (右)蛇踊りの龍がひそんでいる

 次々と現れる媽祖。荒海を越えてきた福建人らが、いかに航海の神である媽祖を崇拝していたかがわかる。
 しかし台湾で見た媽祖は真っ黒な顔をしているのが多かったが、長崎ではすべて真っ白だ。

 これは何だろう? 由緒ありげな物体だが

 長崎は観光都市だけあって、このさびれた唐人屋敷も観光コースとして整備されつつある。たしかにそうなれば歩きやすいし、観光客が増えれば町の活性化にもつながるだろう。
 でも、なんの案内もなく長崎をぶらつき、なんにも知らずに夕暮れにここへ迷い込んだりするのも、きっとおもしろいだろうなと想像した。

 また来てみたい。
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