ちぎれそうなところ
(さと)(鹿児島県薩摩川内市・甑島) 2010.1.2
九州の西の海上に浮かぶ甑島(こしきじま)列島。
南北に細長く上甑・中甑・下甑と連なるが、
そのうちの上甑島に日本3大トンボロの一つ、里集落がある。
(ちなみにあと2つは串本と函館)

 
(左)甑島の位置(赤印)     (右)上甑島拡大(赤印が里)

しかもここは日本で唯一、「トンボロの里」を自称している。
「トンボロ」が地域のアイデンティティになっている偉大なトンボロタウンなのだ。

・・・他になんもないんかい!

と思ってしまったアナタ。
し〜っ・・・(小声)

そんなトンボロの聖地への、1泊2日の旅である。
 甑島列島の玄関口である里は城下町でもあり、長く独立した町だった。が、平成の大合併で甑島全体が九州本土の薩摩川内市の一部になった。
 そのくせ甑島に渡るフェリーは川内ではなく隣の串木野から出ている。串木野新港から里まで70分、片道2000円。競合相手がいないせいか料金お高めだ。


赤線は冒頭写真を撮った遠目木山山頂へ至るまでに歩いたルート、青線は下山ルート

 地図のトンボロ右側から海に点線が伸びているが、これがフェリー航路。
 トンボロの南側が上甑島の本島で、北側が陸繋島だ。トンボロ砂州上には、薗上、薗中、薗下という字名が並んでいる。
 トンボロ南東には村西、村東という地名がある。ここにかつて城があり、濃い緑で塗られた部分は今も武家屋敷跡としてそのままの景観が残っているらしい。

 つまり「里」はトンボロ部分の「薗」とその脇の「村」に分かれており、「村」が城下町で「薗」が庶民(漁民)の町だったと目される。
甑島上陸
 正月の寒空を突っ切って、フェリーは東シナ海を西へと走る。
 九州本土が遠ざかるのと入れ違いに、前方から甑島列島の影が近づいてきた。正面に上甑、そして左舷の方向に中甑・下甑が遠くまで連なっている。

 
(左)下甑島が遠く南まで続いている   (右)上甑島の北東に、悲しげにとがった岩がいくつか突き出て並んでいる

 
(左)平たいトンボロが近づいてきた   (右)乗ってきたフェリー、けっこう大きい

 右手の陸繋島には遠見山があり、左手の上甑本島には甑島の最高峰である遠目木山がそびえている。その間のペッタンコの部分が、トンボロの里集落だ。

 甑島に近づくと、まず目立つのはこの島唯一のホテル、甑島館。港の真横にある。甑島で唯一の現代的な建物といっていいだろう。
 もちろん俺が泊まるのはここではない。里にいくつかある民宿の一つ、石原荘に予約を入れてある。

 甑島館

 港を出るや、トンボロ大プッシュな言葉たちが、俺様こと日本で唯一のトンボロマニアを歓迎してくれる。

 
(左)トンボロの自覚バリバリ   (右)健康づくりもトンボロで

 トンボロ解禁。ついに来た夢のトンボロ王国・・・感無量。

 港の横の案内地図によると、石原荘はトンボロ砂州の北端近くにあるらしいので、とりあえず砂州東岸に沿ってそこへ向かった。

 
(左)トンボロ東岸を北へ向かう   (右)こんな熱帯性の木が生えている

 
(左)堤防沿いにある高潮よけの扉   (右)海の水は港内でこの美しさ

 
(左)真新しい祠あり   (右)漁村の定番、えべっさん

 
(左)無骨な石積みが渋い   (右)屋上への階段がカッコイイ

 海の底から拾い上げて積んだと思しき丸い石垣がなんとも脱力なオーラを醸し出している。まだ海岸から眺めただけだが、村のたたずまいがどことなく沖縄を思わせる。

 
(左)トンボロ内部の道   (右)石原荘の旧館

 石原荘は、東岸の道が陸繋島に突き当たる少し手前で、トンボロ内部に1筋入ったところにあった。
 新館と旧館があり、旧館は宿泊料が1000円安い(2食つき6500円)というので、そっちにした。建物は古いが部屋は清潔で、俺的には何の問題もない。

 さてと。荷物を置いて、さっそくトンボロ探索に出発だ!
陸繋島からの眺めと西海岸
 トンボロ紀行でまずしなければならないのは、その妙なる地形を高いところから見下ろすことだ。
 3大トンボロでいうと、串本はそれに適う山がなくて風景をイマイチ堪能できなかったが、まだ見ぬ函館は陸繋島に函館山がそびえていて、そこからのダイナミックな景観はご存知の通り。なんせ日本3大夜景ですからな。
 つまり、しっかり見えさえすれば観光資源になりうる(と俺は思う)。それがトンボロ地形の知られざる魅力だ。

 今回の里トンボロはというと、本島側に遠目木山(423.3m)というおあつらえ向きの山がある。その山頂から撮ったのが冒頭の写真だ。この山からトンボロ地形が見えることは事前にわかっていた。

 でも今夜の宿は陸繋島寄りなので、まずはそっちから試してみよう。遠見山という250mの山がある。
 見た感じ樹木が茂っていて山頂からの眺望はあまり期待できそうにないけど、山麓の「遠見の段」を越える林道が下から見えているので、とりあえずそれを登った。

 トンボロの北端、陸繋島の付け根部分に沿って歩くと、低地の草原がある。これはおそらくトンボロ砂州形成後も存続した海跡湖の名残っぽい。

 
(左)トンボロ北端の海跡湖の名残?   (右)トンボロ北端から砂州中心方面。本島側の山がそびえている

 西海岸に近い部分から、林道が陸繋島の斜面をナナメに登っている。そこを登るにつれ、西側の海岸線が見えてきた。

 
(左)丸い石をしっかり積んで段々畑が作られている   (右)トンボロ砂州北西部にある漁港

 15分ほど登った道路端から、里のトンボロ砂州がこんなふうにナナメに見えた。



 フェリーが接岸するトンボロの東海岸は砂州中央部から桟橋が伸びていたが、西海岸の漁港より南側はずっと砂浜が弧を描き、それに沿って松の防風林が一筋続いている。
 トンボロの町は、風浪の当たりの強い側に砂浜が残され、風の当たりにくい側に中心的な港が造られることが多い。
 すなわちこのトンボロがおもに東シナ海からの偏西風によって形成されたのであろうことがわかる。

 地形を眺めるには少し低いが、道はこの先どんどん西へとずれていく(写真でいうと右側へ)。それに空模様が怪しくなってきた。
 そこで陸繋島側からの眺めはとりあえずここで断念し、来た道を下った。

 そのあと西海岸の堤防に上がった。今日の東シナ海はおだやかだ。
 だが浜辺の砂の量は少なく、砂利を入れなければならない状況になっている。こんな辺鄙な離島でさえこれか。

 
(左)手前は砂浜だが、その先は搬入された砂利   (右)砂は細かく水は美しい

 
(左)湾口と防波堤の開口部   (右)開口部付近の沿岸が砂利で保全され、その向こうはまた砂浜

 
(左)堤防と防風林   (右)防風林の松は貧弱。造られてまだ年月が浅そうだ

 甑島の年表によると、1951年に台風による高潮被害で全島が大被害に遭ったらしい。
 しかし搬入砂利や防風林はわりと近年に整備されたようだ。
トンボロ砂州内部
 防風林と集落との間には石垣が積まれている。これは古くからのものだろう。
 その切れ目から里の集落内に入っていった。

 トンボロ砂州の大部分を占める里集落は、これまで訪れたどのトンボロ集落とも異なる、なんとも味わい深い郷愁感に満ちた、おだやかな村だった。
 その風景をご覧あれ。

 
(左)この切れ目から侵入。大きな木が印象的だ   (右)宇久井トンボロで見たのとそっくりな、ゆがんだ石垣

 
(左)ブロック塀が多い。直線の道もあるが   (右)曲がりくねった道もある

 
(左)家々のほとんどは寄せ棟造り   (右)道路からプライベートな小道を入って数棟並ぶ。畑もある

 
(左)石垣の塀も少なくない   (右)瓦はほとんどがセメントで固められている

 石垣と生垣が美しい

 建物はほぼ平屋建て。そして集落のたたずまい、家々と塀の配置などが、どことなく沖縄を感じさせる。
 まあ沖縄ほどの脱力感というか明るさはないけど、こういう村落風景は対岸の九州本土側の串木野や阿久根には見られないし、すぐ北の天草諸島とも違う。
 甑島は、沖縄・奄美から続く南島文化圏の北端なのかもしれない。

 
(左)ちょっと地味な竹富島、という感じ?   (右)集落内にご神木っぽい木が無造作にあったりするのも

 
(左)そしてこの感じ   (右)こんな故郷がほしいなぁ・・・

 
(左)島の子どもたちは自転車で走り回っている   (右)里の中心、郵便局

 集落散策に時間を忘れ、行ったり来たりジグザグに歩きながらトンボロ砂州の南端付近まで来た。
 さて、いよいよ本日のハイライト、遠目木山に登るとしよう。 
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