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【泉州】の激渋銭湯 | ||||||||||||
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菊水温泉 ★(和泉市)(廃業) 国道湯(和泉市)(廃業) 朝日湯(岸和田市)(廃業) 梅湯(岸和田市)(廃業) 共楽温泉(岸和田市)(廃業) 平和湯(貝塚市)(廃業) 大将軍湯 ★(泉佐野市)(廃業) 日の出湯(泉佐野市)(廃業) 白水湯(泉佐野市)(廃業) 桜湯(岸和田市)→大阪府南部の廃業銭湯 |
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【大阪府】 大阪市/北摂/河内/堺市/泉州 | ||||||||||||
菊水温泉★<廃業>
らんちゃんに「ここはいいですよ〜!」と強く薦められていた。 JR阪和線・信太山駅を出て正面の道をまっすぐ(西)へ歩くと、3分くらいで「ゆ」という大きな赤い文字が見えてくる。 建物はどこにでもありがちな昭和中期型だが、裏へ回るとゆったりした敷地に高い煙突が聳え、脇に積まれた廃材風景がなんとも三丁目の夕日。 (左)中央の「ゆ」の字が目印 (右)鯉のぼりでもくくりつけたくなるねぇ 暖簾をくぐると下足室、なかなかの田舎風情。正面に宝船のモザイクタイル画があり、古い下駄箱の上には他で見たことのない傘入れがある。 中に入るとけっこう広々している。番台に品のいいおかみさんが座っているが、200円とは嬉しいやおまへんか。 と、ここで驚愕。この銭湯、違う! 並の風呂屋ではない! 緑に彩色された格天井や柱などのイニシエ風情もよいが、それ以上に、壁に飾られたレトロな絵や物品の数々に目が奪われる。なんやここは! (左)美しい格天井 (右)入口側の壁 (左)番台頭上の激渋ラヂヲ (右)むむっ、これは・・・ (左)恐るべき化粧水広告 (右)マニア垂涎の初代ガッヅィーラ・ポスター (左)バリ島で購入されたものらしい (右)ロッカー上には明治頃の伊勢参拝絵図 ほかにもいっぱいあるが、雑然とした感じはまったくない。選び抜かれた品々が、適切な場所にセンスよく配置されている。 建物と調度品が見事に調和して、まるで脱衣所全体が小さなレトロ美術館のような趣を呈しているのである。もう俺、興奮してフルチンで三脚振り回しちゃったよ。合わせて6本が大暴れだ。 さて、浴室は素朴な昔ながらの空間だが、ここもまたなにかと楽しめる。 まず目に留まるのは、浴室の三角に配置された観葉植物コーナー。それぞれに信楽タヌキや大国様みたいな置物が添えられている。 そして奥壁にはお寺の、男女壁には鯉のタイル絵がある。 ぷくっと膨らんだ懐かしタイルの主浴槽はやや熱め、奥にある「中将湯」の薬湯はややぬるめ。壁には注意書きがマジックでじか書きだ。 洗い場にシャワーはないが、カランの出がいいので問題なし。カランの水は冷たくて気持ちがよく、何度もかぶりたくなる。 あがっておかみさんに聞くと、ここの井戸は300mも掘られたものだという。どうりでなあ。 「この渋い品々を集められた方によろしく」と言うと、「いま釜で火を焚いてます」とのことだった。 とにかく、イニシエ風情と趣味のいいコレクション展示がスパーク、しかも水質が抜群によいという、脱帽したくなるようなくつろぎの銭湯だ。(2008.5.1) ※「レトロ銭湯へようこそ関西版」に掲載されました。 |
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国道湯 《廃業》
JR阪和線の北信太駅から東へ、道をクキクキ曲がって徒歩5分ほどで旧国道に出る。 目に飛び込んで来る煙突ズドーン。その根元に、この道がかつて国道であったことを伝える1軒の銭湯が、道に思いっきり面して建っている。 屋根はトタンだが、小さな破風もあって感じよい。正面には道路交通から玄関を守る腰高の壁があり、その内側に小さなベンチが置かれている。 暖簾前のベンチ、いいね! 玄関を抜けて中へ入ると、番台におかみさんが座っている。入浴料350円、ここは組合共通券不可だ。 脱衣場は広々していて、高度成長期的な内装だが、やや暗めの照明のせいか、なんともいえぬセピアチックな郷愁感に満ちた空間だ。中央のチープなテーブルセットがええ味を出しとるわ。 変わっているのは脱衣箱。上下2段しかない。でも大きめサイズやからリュックも楽々ね。 裸になって浴室へ入ると、なんとも説明の難しい変形浴室だ。 手前の島カランから太い円柱が伸びて、低い天井を支えている。 男女壁に沿って手前から水風呂、浅深の主湯、電気、ジェットと並んでいるのだが、ここで俺は軽いショックを受けた。 主湯はレトロな白御影石造りで、周囲に腰かけ段がある。ここまでは大阪伝統スタイルだが、驚いたのは湯船フチ(またぎ)の低さ。15cmくらいしかないやん! 腰かけ段は通常の高さがあるため、湯船のふちが首をすくめたように見える。こんなの初めて見たぞ、たぶん。 こう低いと、くみ出し洗いのときに石鹸の泡が湯船に入りやすいのではないか。 だが見渡すと浴室3辺にはカラン・シャワーがたくさん並び、水圧もよいので、くみ出し洗いをする人はあまりおらんかもしれん。 浅風呂の気泡と奥のジェットは勢いがよくてゴキゲン。電気風呂も広い。 入口横にはスチームサウナがあり、長々入ってるおやじがいる。 床タイルは補修によるパッチワーク状。セメントで塗り固めた場所も3ヶ所ある。しかしいずれも丁寧な仕事だ。 湯船の石やタイル味があるし、水風呂にはリスの水吐きもあったりして、見どころは多い。 上がってだら〜っと牛乳を飲んでいたら、ラッキー植松さんが描いたこの銭湯のイラストが飾られているのを見つけた。 値段の割に何かと楽しめるお風呂屋さんだ。また来ようっと。 (2014.3.13) 道路の向かい側から |
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朝日湯 《廃業》
南海本線春木駅を下車し、駅の南側を東西に走るにぎやかな通りを西へ500メートルほど行ったところ。わりと新しい看板が目立つ。 トタン屋根に破風造り 暖簾をくぐると狭い下足室。正面の石のレリーフのようなものは初めて見るが、タイル絵がボロくなって張り替えたのだろうか。 (左)謎の石板 (右)玄関の格天井 戸を開けると、新建材で改装された番台にほがらかなおかみさんが座る。 天井はそこそこ高いが、壁や天井はビニルクロス張りで残念。ロッカーもほとんど新しいものに換えられていて、全体にこだわりなくパッパと改装してしまったような感じだな。 が、うれしいことに16個だけ木製ロッカー、しかも「いろは」表示モノが残されている。もちろん僕はそこを使う。 (左)いろはにゆへと? (右)ロッカー開けたらセコイ広告、でも丸正はもう存在しないそうな 浴室へ。中型の広さ。 天井は男女統一カマボコ天井。 おやっ、この感じ・・・。男女仕切り壁沿いに、1列にタイル張りの湯船がストーンとあるシンプル配置だが、どっかで見たような。なんとなく湯治場を思い出す・・・。 わかったぞ、古さ加減といい、今はなき神戸の天王温泉にちょっと雰囲気が似てるんだ。 手前の深い浴槽の底は薄緑タイルだが、隣の浅い浴槽の底には黄土色のタイルが張られている。黄土色だぞ黄土色、よりによって。そのために湯の色が土色に染まって見え、浴槽配置のみならず中まで天王温泉(含土類重曹泉)っぽいわけね。 この浅い浴槽はかなり広々していて、気泡とジェット2連つき。奥には電気風呂もある。 湯船外側の座り段には黒系の不揃い小石型タイル、ああ昭和中期。カラン上の段にはやさしい薄桃色タイル。他の部分も僕好みの渋い色使いだな。 いや〜、やっぱり天王温泉はいいなぁ(違うって・・・)。 しかし、こりゃしみじみとくつろぐよ。「トルマリン湯」と書いてあるが、すごくぬくもる感じ。僕が酔ってるせいかいな。カランの水も勢いよく、頭からかぶって冷やしちゃあ湯船に浸かる。出入り口の横に水鉢もあり。 うむ。ここはなかなかエエ。 上がりは飲み物販売もあり。感じのいいおかみさんとしゃべってたら、どういうわけか地震の話になり、さらにしみじみとなった。 壁や天井がビニールクロスで★を逸したが、居心地のいい銭湯だ。 (2004.10.29) しみじみ銭湯 |
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梅湯《廃業》
上で紹介している桜湯から100mしか離れていない。まじで。 しかも暖簾がかかっていなければ廃屋にしか見えない、凄みのある風貌。 最初、定休日に通りかかったときは、てっきり廃業銭湯だと思い込んでいた。銭湯が次々に廃業している岸和田のこと、こんなに2軒が近接してたら無理だわな・・・。 ところが次に前を通ったら、暖簾がかかっている! (左)この外壁タイルが渋い (右)2階は廃墟状態 暖簾をくぐると、広めの玄関スペース。正面に梅湯らしく梅にウグイスのタイル絵がある。下駄箱は木のものが一部残っているが、多くはアルミ製に替えられている。 (左)じつは現役 (右)このタイル絵、ヨイではないか 戸を開けて中に入ると、番台には誰もいない。呼んでも静寂のみ。番台にお金を置いとこか、でもこういうところは組合料金より安いことがあるしな。料金表もないし、ええわ先に入ったれ。 脱衣所の壁や天井はチープな合板で貼りなおされている。ロッカーも木のものが一部残っているが、大半は高度成長期的な集製材モノ。だが、鍵がひとつもついていない。全部壊れてます。 浴室へ。先客が3名いる。 ありゃりゃ、ここはきれいなタイル張りに全面改装されていて、建物外観から想像した古さはない。深浅の主浴槽と、奥に気泡風呂。隅に水鉢。カマボコ天井も新しい。 カランまわりも新しくてきれいだが・・・おや? 赤いほうを押しても水しか出えへん。こういうときはしばらく出してたらだんだんと・・・あかん、なんぼ出してもチベタイままやがな! 仕方なく湯舟の湯をかい出して使う。他客も当然、みんなそうしている。まあ湯舟はなかなかいい湯が沸いている。 上がると番台にほがらかなばあさんが座っている。湯銭は370円、大阪府料金より20円安い。 この建物は、ばあさんによると「100年から経ってまっさかい」。隣家と密接しているため建て替えも難しく、今日に至っているとのこと。 「岸和田も風呂屋が少のうなりました」 マッサージ器に座ってスコールをしみじみ飲んだ。 (2005.11.8) 玄関から外を見る |
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共楽温泉(廃業)
岸和田市のようだが最寄駅は南海忠岡駅。 そぼ降る雨の中を歩くにつれ田んぼ混じりの片田舎風景へと移ろい、「焼肉ひょうたん屋」で右折するとまもなく岸和田市に入る。 そこにひっそりと1軒の風呂屋発見。 (左)見えてきた (右)反対側の道はクランク状になっている 左右に前栽がある凸型玄関。木彫り屋号もそのまんま。玄関周りのガラス類も昭和モロ出しの風情だ。 (左)細かいタイルと古いガラスブロック (右)このガラスもナカナカ渋い 営業案内の掲示が何ヶ所かにあるが、定休日「日曜日」「金曜日」とか「11時まで」「10時半」「10時」とかいろんなことが書いてある。 いちばん新しい紙によると金曜定休、4〜10時、みたい。 ガラス戸を開けると、いにしえ素敵な玄関スペースが迎えてくれる。 浴室の床タイルが補修でパッチワーク状になっているのはよく見るけど、ここは玄関の床からすでにパッチがワークしとるやん。 (左)木の扉が泣かせる (右)これどっかでも見たな パッチワーク状のタイル 中に入るや、大音量テレビドラマが入浴客を迎え撃つ。番台のバーサマはちと耳遠いんかな? でも落ち着いて脱衣場を見回せば、ここもまた味わい深いレトロ空間やおまへんか。板の間の床がひじょーによろしい。 浴室入口部分が奥まって、中庭と流しの連結部分がある。この手の大阪レトロ系では珍しい造りだ。 (左)コゲチャ色はレトロ色 (右)奥まり 裸になって奥へ進むと、入って右の水鉢で壷持ちビーナスがお出迎えしてくれる。 この浴室も古めかしい静かな空間だ。主湯は深浅四角で隅カーブ、フチ石ノセ。深浅分け目がカーブに合わせて窪んでいたりする。 お湯は熱めの43度くらい。ジェット類一切なしの潔さ。 奥に岩を組んでジオラマ風になった電気風呂があるけど通電していない。岩の上方に大黒らしき像がある。 奥壁にはドイツ城らしきモザイク画があり、男女壁には天女が飛ぶ美保の松原富士山のタイル絵もある。 湯船まわりの座り段やカラン下には大きめの円形タイルが使われているのが目を引く。シャワーの水圧は弱いけど、床や浴槽などの手作業タイル補修を見ていると許さざるを得ない。 若干くたびれ系な雰囲気もあるが、なにげに見どころも多い。街はずれで静かなひとときをしみじみと過ごせる、昨今貴重なお風呂屋さんだ。 (2014.2.27) |
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平和湯(廃業)
貝塚市に残る最後の1軒、すなわち孤高のラスイチ銭湯だ。 紀州街道をずっと歩いて津田川河口のちょい南、古い土壁作りの酒屋さんの隣にある。 玄関上部外壁にくっついてるレンガタイルのアーチ状の装飾がかわいらしい。唐破風を模したようにも見える。 暖簾をくぐれば石畳の小空間があり、その奥の戸を開けてやっと下足スペースという2段構えの奥まった造り。 あー、こういうのに俺はなんでかちょっとホロっとくる。ゲートをくぐるたび、何かの時空が切り替わっちゃうんだねロバート。って誰やねんロバートって。 (左)紀州街道 (右)のれん内側、玄関床の石敷と第二の扉 この位置の下駄箱はレア 戸を開けると、番台に簡素な脱衣場の古典スタイル。 脱衣箱は2段のみ。昔ながらの水色ベンチや神棚の存在が郷愁をさそう。 浴室へ進むと、田舎っぽさの漂うこぢんまりとしたレトロ空間ながら、設備は悪くない。 中央には男女壁に接して深浅主湯、奥には薬湯・ジェット・電気風呂が1列に並んでいる。手前には水風呂とスチームサウナもあるぞ。 湯船はタイル張りフチ石ノセの大阪標準だが、腰かけ段に貼られた肌色系の玉石タイルが花形などいろいろ混じりで味わい深い。 夏休みで帰省しているとおぼしき小さな女の子を、じいさんが連れてきている。銭湯に慣れない様子で、じつにほほえましい。はじめは水風呂に入れなかったが、一度入ってしまえばもう気に入ってずっと入っている。 ええのー。風呂上りには好きな飲み物を買ってもらうんだよジェニー。 とりたてて何がどうっちゅーことはない。しかし何といってもラスイチ銭湯、ずっとこのままがんばってほしいなぁ。 「銭湯のない街」が増えないよう、応援しよう!(2014.7.22) (左)湯上り、夕方の風へ (右)昔はこの街道も賑やかだったろうねロバート… |
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大将軍湯★<廃業>
うえ〜んおかーちゃーん、渋いよぉ〜。 南海電車泉佐野駅の西側から商店街奥の旧市街地へ。5分も歩くと、なにやらもうそのへんのまちなみからして時代がかってくる。 迷路状の路地をぐにゃぐにゃ歩いていると、高速逆回転していた時計の針がついに振り切れたあたりで煙突発見。表へまわると・・・でででで出たぁ〜! (左)裏の路地で煙突発見 (右)表へまわる。チョンマゲ結ってないのが不自然なまちなみ 小さいけど懸魚つきの唐破風 圧倒されるような激古建築物。心拍数がものすごいことになってくる。 暖簾をくぐると狭い下足室。靴を脱いで中に入ると、番台の横に気さくなオヤジが立っている。360円を払おうとしたら、250円だと言う。ん、250円? 「えらい安いですねぇ」 「これも最近250円に上げたばっかしやねん」 「なんでまたこないに安いん?」 「いろいろおますのや」 「商売なりたつんですか」 「なりたたへん」 いきなりの失礼な質問にも嫌そうな表情ひとつ見せないオヤジ。エクセレントな人柄だ。 脱衣所は狭い。最小クラスのプチ銭湯。番台・壁・床・ロッカーなどはチープな合板系で適当に張り直されている。 男女仕切り壁の上に、天井から大きな提灯がぶらさがっているのがおもしろい。奥に神棚もあり。 裸になってコンパクトな浴室へ。 かはーーっ、出ちゃったよー石畳、隙間コンクリ固め。 湯舟は手前に深い主浴槽、奥に浅い子ども風呂があるが、フチも座り段もすべて素朴な白御影でドドーンと重量級。 この狭さと石地獄ぶりは、岡山の柳湯あたりに並ぶものだ。わが脳内の渋銭ランキングボードで激しいドラムロールが鳴り響き、Aランクを示す赤ランプが狂ったように点滅している。 壁上部や仕切りは板張りというのも貴重だ。 カランは奥壁に2組と、手前にパイプむきだしで2組。「井戸水」と書いてある。シャワーなんかあるわけない。あるほうが不自然だろ。椅子もなし。あったらおかしいって。 鏡は当然のごとく立った位置。その下にしつらえられた木の手作り棚がいい感じ。 お湯はたっぷりざんざか、入るとザブーと溢れる。 最初43度くらいだったがどんどん沸いて、あとから来た他客がうめると、ますますザブー。ていうかもう常時ザーザー流れていく状態だ。 いや−しかし、これはぬくもるわあ。首までどっぷり浸かって、よく磨かれた石のフチからザバザバあふれる湯を見てるだけで幸せいっぱい気分になる。 出入り口横に石造りの大きめ水鉢があるのもうれしい。水をかぶっては何度も浸かる。 奥に釜場へのドアがあってオヤジが出入りしているので、フルチンのまま釜場を見せてもらう。 そこは目まいを覚えるような年代空間だった。蒸気機関車のような釜口で、周囲はレンガ造り。中でハギレ材や、オガクズを固めたブロックなどが赤々と燃えている。 「わしんとこはこの銭湯を昭和11年からやってるけど、建物はもっと昔からあった。たぶん大正時代やろ。設備はそのときのままや」 オヤジは誇らしげにそう語る。 お客はけっこう途切れずに来ていた。20代の若い客もいる。 脱衣所に流しはないから、しっかり拭いて上がるべし。 飲み物販売もなし。そうだろうとも。 脱衣所はややそっけないが、周囲のまちなみと、オヤジの人柄、値段の安さも含めて、渋銭ファンなら感激確率100%釜場見て120%。 まさに小さな大将軍だ。(2005.6.9) |
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日の出湯<廃業>
朝早く関空に行かんならんので泉佐野で宿泊。 南海泉佐野駅の東口を出て徒歩3分のホテルにチェックインし、窓から外を見てみたら・・・すぐ近くの道に「日の出湯」という看板が見えるがな。さっそくGO! 外観は殺風景な白いビル風、でも横から見たら瓦屋根の2階建。暖簾をくぐったらモックンモックンの木造建築やないの。 しかもこここここれは・・・下駄箱といい上がりがまちといい、俺の脳天クイ打ち系のケハイが満ち倒しとる。 はやる心を落ち着けて靴を脱ぎ、脱衣所へ入ると・・・! (左)看板を目印に (中)来たでぇこの下駄箱周辺! (右)番台におかみさん (左)脱衣場とご主人 (右)脱衣箱の決定版! 涙なしではいられないイニシエ・オールスターズ勢揃い。ゲージツ的な番台があまりに素晴らしい。そして脱衣箱はケヤキ一枚板に漢数字浮き彫りの最高級品。男女壁の広告入り鏡も激渋。浴室入り口の豆タイル群がまた泣かっしょる。 もはや涙腺ガバガバ状態でゼニコ払おうとしたら、入浴料250円やと! おかみさんに「安い!なじぇ!」と聞くと、「うちは古いから」とおっしゃる。 そんな濃厚レトロ空間で、若者2人が湯上りで服を着ている。さすが泉佐野、根付いてるぞ渋銭文化! 滂沱の涙は頬を伝うに任せつつ、裸になって浴室へ。 ゆるいカマボコ天井の下、中央横向きに小判型湯船が一つきりの超シンプルタイプだが・・・この湯船、タイル張りでしかも周囲に大阪名物の腰掛段がないぞ! フチには神戸西部でよく見るえんじ色の豆タイルが貼られている。 右側と奥にカランが並んでいる。カラン下には低い石段がついている。 右側のカランを使おうとしたら、浴室内を通って釜場へ行くご主人が、「こっちはぬくもってない。奥がいいよ」と教えてくださった。 熱い湯に身を沈めては、隅の水鉢から冷水をかぶる。 先客おじさん2名だが、あとからもポツリポツリと客が来る。俺より若い人もいる。 湯気と静寂に包まれた空間。なんとなく別府を思い出した。 上がってカボスドリンクをいただきながら聞くと、昭和29年、おっちゃん22歳のときに始めた銭湯で、脱衣場は木造だが浴室は鉄筋コンクリでできているという。 骨董品的な脱衣場でテレビだけが液晶の新型、このミスマッチがまた鮮烈だ。 (左)便所も激渋、言わずもがなのボットン式 (右)まぼろし遭遇時間も終わり 経営者はとても素敵なご夫婦だ。でもご高齢なだけにちょっと心配。また入りに来ますのでぜひお元気で! ほこほこになって外へ出たら、俺と入れ替わりに20歳前後の今どきギャルが自転車でやって来て、ケータイいじりながら風呂道具を持って入っていった。これが泉佐野の銭湯文化の実力なのか。 終了時刻を聞くのを忘れたけど、10時過ぎにホテルの窓から見たらもう看板の電気が消えていた。最後の常連客が帰ったら閉めるパターンかもしれないので、早めに行くほうがいいだろう。(2011.1.20) |
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白水湯<廃業>
南海電車の鶴原駅から西へ数分。車ではキツイ古路地の中に忽然と現われる、古式蒼然たる銭湯。なかなかどっしりとした貫禄で、「ほ〜残っとるなぁ〜」と思わず声が出てしまう。 こういうのを見つけると嬉しいもんでっせ。ワカル? ワカルよね、こんなページを見ているアナタなら。 玄関の左右に前栽を備えた伝統スタイル (左)暖簾をくぐると正面ゴチャゴチャ (右)古い木の下駄箱あり アルミサッシ戸を開けると、古くて立派な半円形の木の番台に、無表情なおかみが座る。 湯銭を問うと、「270円、髪を洗うなら280円」とそっけなく返ってきた。大将軍湯も安いがここも安い。それは嬉しいけど、今どき洗髪10円をわざわざとるって・・・時代が止まっておりますな。 中型の広さの脱衣所は合板系でそっけなく改装されている。天井は高いがベニヤ張り、前栽には大きな室外機があって風情イマイチ。 脱衣所と浴室が少し離れていて、間につなぎスペースあり。ここに小さなステンレス流しがこれまたそっけなくポンと設置されている。 浴室は昭和中期的な細かいタイル張りで、床は数箇所の排水口へ向かって大きく波打っている古いスタイル。 湯舟は広めの深浴槽と、ジェット2連の浅浴槽。へりと座り段は白御影石で、なかなかよろすい。とくに浅風呂の底の不揃い小石型タイルと壁際の丸い豆タイルが目を引く。 そして男女隔壁に、これはこれは、タイル6枚に描かれた富士山のタイル絵があるじゃありませんか。 しかしまー、壁やカランまわりのタイルはかなりくたびれとるな。補修が素人仕事で仕上がりがまあなんちゅーか、あまり見栄えがよろしくありません。 出入り口横に水鉢あり。 午後8時前後に入ったが、先客1名、途中から貸切になった。 上がりは飲み物いろいろあり。 建物は渋いし、石造りの湯舟やタイル絵など、なかなか味わい深いものがある。だが脱衣所や浴室の雰囲気から、経営モチベーション的にやや心配かも。立地的にもちょっと厳しいのかもしれん。 それでも、がんばって生き残っている貴重な古銭湯であることは確か。近所の人はぜひ応援しませう。 (2005.6.9) 夜、浴舎を横から見ると一段と風情よし |
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